―その1620―
●歌は、
「我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり(三六一五歌)」ならびに
「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを(三六一六歌)」である。
●歌をみていこう。
三六一五、三六一六歌の題詞は、「風速浦舶泊之夜作歌二首」<風早(かざはや)の浦に舶泊(ふなどまり)する夜に作る歌二首>である。
◆和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利
(遣新羅使 巻十五 三六一五)
≪書き下し≫我(わ)がゆゑに妹(いも)嘆くらし風早の浦の沖辺(おきへ)に霧たなびけり
(訳)私が元であの子が溜息(ためいき)をついているらしい。ここ風早の沖辺には霧が一面に立ちこめている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
◆於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎
(遣新羅使 巻十五 三六一六)
≪書き下し≫沖つ風いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)が嘆きの霧に飽(あ)かましものを
(訳)沖から吹く風、その激しい風が吹きでもしてくれたら、いとしいあの子の嘆きの霧に、心ゆくまで包まれていることができように。(同上)
(注)飽(あ)かましものを:思う存分包まれように。(伊藤脚注)
風早の浦(かざはやのうら)については、「ひろしまの魅力再発見 ひろしま文化大百科(公益財団法人 ひろしま文化振興財団HP)に、「JR呉線風早駅の裏山、保野山の東斜面に、平成2年(1990)の秋から京の大文字送り火と同様の『万』の字の火が灯されている。ここ風早の浦は、万葉集巻十五の遣新羅使の歌に歌われた万葉の故地。近くの祝詞山八幡宮には、<わが故に妹歎くらし風早の浦の沖へに霧たなびけり>など2首の万葉歌碑に並んで山下真一画伯の原画をもとに陶芸作家、財満進氏が焼いためずらしい陶板壁画が飾られている。万葉時代にはこの山すそまで入江になっていたらしいが、今は海が遠くなった。それでも沖の大小の島々が霧にかすんで見える瀬戸内の風景は、昔をしのばせるに十分である。(後略)」と書かれている。
―その1621―
●歌は、「君が行く海辺の宿に霧立てば我が立ち嘆く息と知りませ」である。
●歌碑は、東広島市安芸津町 祝詞山八幡神社「万葉陶壁説明案内板」にある。
●歌をみていこう。
◆君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢
(遣新羅使の妻 巻十五 三五八〇)
≪書き下し≫君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ
(訳)あなたが旅行く、海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出てはお慕いして嘆く息だと思って下さいね。(妻)(同上)
(注)息:嘆きは霧となるとされた。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1307)」で紹介している。
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伊藤 博氏は三六一五歌の脚注で、「次歌と共に、冒頭悲別歌三五八〇・三五八一と響き合う」と書かれている。
三五八一歌もみてみよう。
◆秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟
(遣新羅使人等 巻十五 三五八一)
≪書き下し≫秋さらば相見(あひみ)むものを何しかも霧(きり)に立つべく嘆きしまさむ
(訳)秋になったら、かならず逢えるのだ、なのに、どうして霧となって立ちこめるほどになげかれるのか。(夫)(同上)
(注)秋さらば:遣新羅使歌群は「秋」は帰朝を前提、つまり「愛しい人」に逢えることを軸に詠われている。当時の遣新羅使は数か月で戻れるのが習いであった。(この時は夏四月に発っている)
(注)す 他動詞:①行う。する。②する。▽ある状態におく。③みなす。扱う。する。 ⇒語法 「愛す」「対面す」「恋す」などのように、体言や体言に準ずる語の下に付いて、複合動詞を作る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ます:尊敬の助動詞
駐車場には、ドライブシアターさながらの「万葉陶壁」が佇んでいる。その左横に歌碑は建てられている。
■■7月15日■■
7月14、15日、香川県の万葉歌碑巡りを行なった。15日の概要を書かせていただきます。
県道16号線沿い、五色台の麓にある小さな楼門と社殿が建っているだけの小ぢんまりとしたオープンスペースの神社である。楼門の右側境内の隅っこに歌碑は建てられている。
坂出市万葉を歩く会が建立したもので、冒頭に巻一 五歌「霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥(どり) うら泣け居(を)れば・・・」と刻されており、「ぬえこ鳥(トラツグミ)」は、ものの哀れを想起させる鳥である旨が書かれていた。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1367)」で紹介している。
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神社をあとにし、四国八十八カ所第八十一番白峰寺に通じる山道を上って行く。白峰展望台に歌碑は建てられている。
塩竈神社の歌碑もそうであるがここも磨き上げた黒色の鏡面に刻されているので、映り込みがきつく写真としては苦手な歌碑である。そういえば「サヌキサヌカイト」では?と調べてみた。坂出市HPに次の様に書かれている。
「坂出市東部にある五色台及びその付近の山頂には,古来から讃岐の名石『カンカン石』として親しまれてきたサヌカイトが産出します。和名を『讃岐岩』といい,たたくと『カーン,カーン』金属音を発し,心地よい余韻を残して響きます。人々は,この岩石を江戸時代のころから『馨石』(けいせき)とも呼び親しんできました。
サヌカイトは,この五色台や屋島をはじめとする本県北部地域に広く分布する古銅輝石安山岩の一種で,瀬戸内地域に起こった火山活動によってマグマが地表に流出し,冷え固まってできた岩石です。」
展望台へのみちは、ルート的には盲腸線である。引き返すしかない。
冠纓(かんえい)神社に到着。格式高い立派な神社である。
碑らしきものがあちこちに。本命はこれもサヌカイトであるので分かりやすいのだが。
殺虫剤を噴霧している方がいらっしゃったので聞いてみた。社殿の脇から奥に進めば池があるのでその付近では、と教えていただく。
祝詞が流れてくる厳かな雰囲気のなか、池の方へ。分社の社の手前左手に歌碑が建てられていた。
車に戻ろうと歩いていると、先ほどの方を見承けたので、お礼を申し上げた。神社をあちこち巡っておられるのですか、との質問があったので、万葉歌碑を巡っている旨お話をした。
ご親切に、よかったら、神社のパンフレットがありますからもらって下さい、とのこと。社務所に戻られ、中からわざわざ持ってきていただいたのである。(殺虫剤を噴霧されていたので、業者の方と思っていたが、神社の関係者であったのだ。失礼しました!)
(注)かんえい【冠纓】:冠かんむりのひも。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
■高松市香南町 冠纓神社⇒高松市朝日町 西日本高速道路㈱四国支社
次は、西日本高速道路㈱四国支社である。
受付にお邪魔をし、歌碑について尋ねてみた。雑草がはびこっているので見ずらいですが、とことわりながら、わざわざ案内していただいたのである。有り難いことである。
西日本高速道路㈱四国支社万葉歌碑
■高松市朝日町 西日本高速道路㈱四国支社⇒高松市東山崎町 石清水八幡宮
歌碑は、本殿脇の境内分社「謡乃神社」の脇に建てられている。
「庵治石」で有名な庵治町の鎌野海岸に向かう。快適な海辺のドライブである。道の両側に石屋さんが建ち並んでいる。鎌野漁港を過ぎしばらく行くと道路脇に建てられている歌碑を見つけた。
鎌野海岸の歌碑を写してから帰途につく。
今回は、淡路島は通り抜けである。
途中のPAで玉ねぎをゲットした。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「ひろしまの魅力再発見 ひろしま文化大百科」 (公益財団法人 ひろしま文化振興財団HP)
★「坂出市HP」