●歌は、「かきつはた衣の摺り付けますらをの着襲ひ猟する月は来にけり」である。
●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(9)にある。
●歌をみてみよう。
◆加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比獦須流 月者伎尓家里
(大伴家持 巻十七 三九二一)
≪書き下し≫かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり
(訳)杜若(かきつばた)、その花を着物に摺り付け染め、ますらおたちが着飾って薬猟(くすりがり)をする月は、今ここにやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ますらを【益荒男・丈夫】名詞:心身ともに人並みすぐれた強い男子。りっぱな男子。[反対語] 手弱女(たわやめ)・(たをやめ)。 ⇒参考 上代では、武人や役人をさして用いることが多い。後には、単に「男」の意で用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)きそふ【着襲ふ】他動詞:衣服を重ねて着る。(学研)
題詞は、「十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首」<十六年の四月の五日に、独り平城(なら)の故宅(こたく)に居(を)りて作る歌六首>である。
左注は、「右六首天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作」<右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)に居(を)りて、大伴宿禰家持作る。>である。
家持は、天平十年から十六年、内舎人(うどねり)であったことから、題詞、左注の「独り平城(なら)に居り」、「平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)」から、安積親王の喪に服していたと考えられるのである。
安積親王についてならびに家持の歌六首はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1126)」で紹介している。
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三九二一歌に詠まれている「ますらを」について調べてみる。
大伴家持が一番多く詠っており、四七八、七一九、三九二一、三九六二、四〇一一、四〇九四、四〇九五、四一五二、四一六四、四一六五、四一八七、四一八九、四二一一、四二一六、四三二〇、四三三一、四三三二、四三九八歌と十八首に上っている。
さらに四四六五歌では「ますらたけを」と「ますらを」をさらに強めた言葉を使っている。
(注)ますらたけを【益荒猛男】名詞:勇ましくてりっぱな男。勇猛な武士。 ※「益荒男(ますらを)」を強めた語。(学研)
他には、笠金村(二三〇、三六四、三六六、九三五歌)、大伴坂上郎女(一〇二八、四二二〇歌)、柿本人麻呂(一三五歌)、大伴旅人(九六八歌)、田辺福麻呂(一八〇一歌)、高橋虫麻呂(一八〇九歌)等全部で六十首が収録されている。
恋に苦しむ「ますらを」たる自分を「醜(しこ)のますらを」とおどけてみせた舎人皇子の歌にさらりとそれでいて理屈っぽく和(こた)えた舎人娘子の「ますらを」であるが故に面白おかしさを漂わせる歌をみてみよう。
題詞は「舎人皇子御歌一首」<舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首>である。
(注)舎人皇子:天武天皇の子。日本書紀編纂の総裁。(伊藤脚注)
◆大夫哉 片戀将為跡 嘆友 鬼乃益卜雄 尚戀二家里
(舎人皇子 巻二 一一七)
≪書き下し≫ますらをや片恋(かたこひ)せむと嘆けども醜(しこ)のますらをなほ恋ひにけり
(訳)ますらおたる者、こんな片恋なんかするものかと、しきりにわが心に言いきかせて抑えに抑えるのだが、おれはろくでなし、とんまなますらおだ、それでもやっぱり恋い焦がれてしまう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
題詞は、「舎人娘子奉和歌一首」<舎人娘子(とねりのをとめ>、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。
◆嘆管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼
(舎人娘子 巻二 一一八)
≪書き下し≫嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我(わ)が結(ゆ)ふ髪の漬(ひ)ちてぬれけれ
(訳)ご立派な男の方が嘆き苦しんで恋い慕って下さるので、しっかり結んだ私の髪がその嘆きの霧にびしょびしょ濡れてひとりでにほどけたのですね。なるほど、道理あることでした。(同上)
(注)ひつ【漬つ・沾つ】自動詞:ひたる。水につかる。ぬれる。(学研)
(注)漬(ひ)ちてぬれけれ:相手の「嘆き」を自分の髪の「漬ちてぬれ」る理由に持ち込んだもの。嘆きは霧に立つという当代の発想を踏まえる表現。(伊藤脚注)
(注)ぬる 自動詞:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。(学研)
ますらおたるものは、という「ますらをと思へる我(わ)れ」というように、官人(武人や役人)意識が強い使い方をしている歌をみてみよう。
題詞は、「幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌」<讃岐(さぬき)の国の安益(あや)の郡(こほり)に幸(いでます)時に、軍王(こにきしのおほきみ)が山を見て作る歌>である。
(注)軍王 いくさのおおきみ:飛鳥(あすか)時代の歌人。舒明(じょめい)天皇にしたがい、讃岐(さぬき)でよんだ歌を「万葉集」にのこす。斉明天皇七年(661年)百済(くだら)(朝鮮)に帰国した百済の王子余豊璋(よ-ほうしょう)とする説、文武天皇のころの人物とする説などがある。「こにきしのおおきみ」ともよむ。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
(注)安益(あや)の郡:香川県綾歌群東部。(伊藤脚注)
(注)山を見て作る歌:山を見て望郷の念を述べる歌。(伊藤脚注)
◆霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨座 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情
(軍王 巻一 五)
≪書き下し≫霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥(どり) うら泣け居(を)れば 玉たすき 懸(か)けのよろしく 遠(とほ)つ神(かみ) 我(わ)が大君の 行幸(いでまし)の 山越(やまこ)す風の ひとり居(を)る 我(わ)が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば ますらをと 思へる我(わ)れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海人娘子(あまをとめ)らが 焼(や)く塩の 思ひぞ焼くる 我(あ)が下心(したごころ)
(訳)霞(かすみ)立ちこめる、長い春の日がいつ暮れたのかわけもわからぬほど、この胸のうちが痛むので、ぬえこ鳥のように忍び泣きをしていると、玉襷(たまたすき)を懸(か)けるというではないが、心に懸けて想うのに具合よろしく、遠い昔の天つ神そのままにわれらが大君のお出(で)ましの地の山向こうの故郷の方から神の運んでくる風が、家を離れてたったひとりでいる私の衣の袖(そで)に、朝な夕な、帰れ帰れと吹き返るものだから、立派な男子だと思っている私としてからが、草を枕の遠い旅空にあることとて、思いを晴らすすべも知らず、網(あみ)の浦(うら)の海人娘子(あまおとめ)たちが焼く塩のように、故郷への思いにただ焼(や)け焦(こ)がれている。ああ、切ないこの我が胸のうちよ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)
(注)わづき:区別。孤語で、他に例がない。(伊藤脚注)
(注)むらきもの【群肝の】分類枕詞:「心」にかかる。心は内臓に宿るとされたことからか。「むらぎもの」とも。(学研)
(注)ぬえこどり【鵼小鳥】分類枕詞:悲しげな鳴き声から「うらなく(=忍び泣く)」にかかる。(学研)
(注の注)ぬえ【鵼・鵺】名詞:鳥の名。とらつぐみ。夜、ヒョーヒョーと鳴く。鳴き声は、哀調があるとも、気味が悪いともされる。「ぬえことり」「ぬえどり」とも。(学研)
(注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)
(注の注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)
(注)かけ【掛け・懸け】名詞:心や口の端にかけること。口に出して言うこと。(学研)
(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)ここでは①の意
左注は、「右檢日本書紀 無幸於讃岐國 亦軍王未詳也 但山上憶良大夫類聚歌林曰 記曰 天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸于伊与温湯宮 云々 一書 是時 宮前在二樹木 此之二樹斑鳩比米二鳥大集 時勅多挂稲穂而養之 乃作歌 云々 若疑従此便幸之歟」<右は、檢日本書紀に検(ただ)すに、讃岐の国に幸(いでま)すことなし。 また、軍王(こにきしのおほきみ)もいまだ詳(つばひ)らかにあらず。ただし、山上憶良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)が類聚歌林(るいじうかりん)に曰(い)はく、「紀には『天皇の十一年己亥(つちのとゐ)の冬の十二月己巳(つちのとみ)の朔(つきたち)の壬午(みづのえうま)に、伊与(いよ)の温湯(ゆ)の宮(みや)に幸(いでま)す云々(しかしか)』といふ。 一書には『この時に宮の前に二つの樹木あり。この二つの樹(き)に斑鳩(いかるが)と比米(ひめ)との二つの鳥いたく集(すだ)く。時に勅(みことのり)して多(さは)に稲穂(いなほ)を掛けてこれを養(か)はしめたまふ。すなはち作る歌云々』といふ」と。けだし、ここよりすなはち幸(いでま)すか>である。
(注)この左注は、天平十七年(745年)段階で大伴家持たちが付したものらしい。(伊藤脚注)
(注)壬午(みづのえうま):干支で日を数えたもの。十四日。(伊藤脚注)
(注)いかるが【斑鳩】名詞:鳥の名。もずに似た渡り鳥。まめまわし。「いかる」とも(学研)
(注の注)斑鳩:「比米」と共にスズメ科の小鳥。(伊藤脚注)
柿本人麻呂も「石見相聞歌」の一三五歌で詠っている。こちらもみてみよう。
題詞は、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の二首目である。
◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴
(柿本人麻呂 巻二 一三五)
≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ
(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)
(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。
(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)
(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)
(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)
(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)
(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)
(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)
(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)
(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)
(注)渡の山:所在未詳
(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)
(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)
(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)
(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。
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◆大夫跡 念流吾乎 如此許 三礼二見津礼 片念男責
(大伴家持 巻四 七一九)
≪書き下し)ますらをと思へる我(わ)れをかくばかりみつれにみつれ片思(かたもひ)をせむ
(訳)ひとかどの男子と思っている私なのに、何でこんなに身も心も痩せ衰えて、片思いに沈まねばならないのか。(同上)
(注)みつる【羸る】[動ラ下二]:やつれる。疲れはてる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
剛の男子だと思っている私なのに「みつれにみつれ片思(かたもひ)をせむ」と、「ますらを」とのイメージのギャップを自戒している歌である。「をせむ」を「男責」と書いたのは書き手の遊び心であろう。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その11改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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◆大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭
(大伴旅人 巻六 九六八)
≪書き下し≫ますらをと思へる我(わ)れや水茎(みづくき)の水城(みづき)の上(うへ)に涙(なみた)拭(のご)はむ
(訳)ますらおだと思っているこの私たるものが、別れに堪えかねて水城の上で涙を拭(ぬぐ)ったりしてよいものか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 ※参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。(学研)
大伴旅人が、京に上る時に、児島娘子(こしまのをとめ)の歌に和(こた)えた歌である。娘子から九六五歌で「おほらかならば(並のお方であられたらなら)」と貴いお方とされたのを受け、「ますらおだと思っているこの私たるものが」、「涙ぬぐはむ(涙を拭(ぬぐ)ったりしてよいものか)」と自戒しているのである。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その801)」で紹介している。
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◆大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在来
(作者未詳 巻十一 二五八四)
≪書き下し≫ますらをと思へる我(わ)れをかくばかり恋せしむるは悪(あ)しくはありけり
(訳)立派な男子だから恋なんかにとらわれるものかと思っている私なのに、その私をこんなにも恋しがらせるとは、何ともよくないことです。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
◆天地尓 小不至 大夫跡 思之吾耶 雄心毛無寸
(作者未詳 巻十二 二八七五)
天地(あめつち)に少(すこ)し至らぬますらをと思ひし我(わ)れや雄心(をごころ)もなき
(訳)天地の大きさに少々足らぬだけの立派な男子だと思ってきたこの私としたことが、今はその雄々しい心もないというのか。(同上)
◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家
(薩妙観命婦 巻二十 四四五六)
≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける
(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。
(注)ますらを【益荒男・丈夫】名詞:心身ともに人並みすぐれた強い男子。りっぱな男子。
[反対語] 手弱女(たわやめ)・(たをやめ)。 ⇒ 参考 上代では、武人や役人をさして用いることが多い。後には、単に「男」の意で用いる。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その277)」で紹介している。
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「官人」にしろ「男子」にしろ、ある高邁なイメージを抱いているが、もろくもそれが崩されるダメージを自戒する気持ちを巧みに詠っている。四四五五歌では、命婦からの「ますらを」のイメージから外れているのではといった戒め的に詠われている。
「ますらを」たる者が、「ますらを」的でないことに溺れることを自戒したり、揶揄的に使ったりと微妙な心の機微を衝き「ますらをたる者」を浮かび上がらせる歌が多いのである。
「ますらを」のますらをたることを詠った歌もみてみよう。
「ますらを」が詠われているのは九七四歌であるが、イメージをつかみやすくするべく九七三歌もみてみよう。
題詞は、「天皇賜酒節度使卿等御歌一首 幷短歌]」<天皇(すめらみこと)、酒を節度使の卿等(めへつきみたち)に賜(たま)ふ御歌一首 幷せて短歌]>である。
(注)せつどし【節度使】名詞:奈良時代、地方の軍事力を整備・強化するために、東海・東山・山陰・西海・南海道などに派遣された、「令外(りやうげ)の官(くわん)」。(学研)
◆食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇朕 宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒者
(聖武天皇 巻六 九七三)
≪書き下し≫食(を)す国の 遠(とほ)の朝廷(みかど)に 汝(いまし)らが かく罷(まか)りなば 平(たひら)けく 我(わ)れは遊ばむ 手抱(たむだ)きて 我(わ)れはいまさむ 天皇(すめら)我(わ)れ うづの御手(みて)もち かき撫(な)でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来(こ)む日 相(あひ)飲(の)まむ酒(き)ぞ この豊御酒(とよみき)は
(訳)朕が治める国の遠く離れた政庁に、そなたたたちがこうして出向いたなら、心安らかに私は日々楽しんでいられよう。腕を組んで私は時を過ごしておいでになれよう。天皇たる私は、尊い御手で、そなたたちの髪を撫でてねぎらい給うぞ。そなたたちの頭(こうべ)を撫でてねぎらい給うぞ。そなたたちが帰って来る日、その日に相ともにまた飲む酒であるぞ。この奇(くす)しき酒は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)をす【食す】他動詞:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)
(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)
(注)たむだく【拱く・手抱く】自動詞:両手を組む。何もしないで腕組みをする。「たうだく」とも。(学研)
(注)います【坐す・在す】自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
(注の注)いまさむ:自敬表現。下の「うづの御手もち」「ねぎたまふ」も同じ。天皇という絶対的地位に対する尊敬。(伊藤脚注)
(注)うづの御手もち:私の高貴なる手で。(伊藤脚注)
◆大夫之 去跡云道曽 凡可尓 念而行勿 大夫之伴
(聖武天皇 巻六 九七四)
≪書き下し≫ますらをの行くといふ道ぞおほろかに思ひて行くなますらをの伴
(訳)これからの道、ますらおたるものが行くという厳しい道であるぞ。通りいっぺん思って行くではないぞ。ますらおのこたちよ、(同上)
(注)とも【伴】名詞:(一定の職能をもって朝廷に仕える)同一集団に属する人々。◇上代語。(学研)
左注は、「右御歌者或云太上天皇御製也」<右の御歌は、或(ある)いは「太上天皇(おほきすめあみこと)の御製なり>である。
(注)太上天皇:ここは、四四代元正天皇。この類の歌は臣下の壮行歌として慣用されたので、この異伝がある。(伊藤脚注)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」