万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2272)―

●歌は、「かきつはた衣に摺り付けますらをの着襲ひ猟する月は来にけり」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影



●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 三九一六~三九二一の題詞は、「十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首」<十六年の四月の五日に、独り平城(なら)の故宅(こたく)に居(を)りて作る歌六首>である。

(注)独り:内舎人の仲間と離れて独り。(伊藤脚注)

(注)平城の故宅:奈良の佐保の邸。当時、平城京は古都であった。(伊藤脚注)

 

◆加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比獦須流 月者伎尓家里

       (大伴家持 巻十七 三九二一)

 

≪書き下し≫かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり

 

(訳)杜若(かきつばた)、その花を着物に摺り付け染め、ますらおたちが着飾って薬猟(くすりがり)をする月は、今ここにやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)きそふ【着襲ふ】他動詞:衣服を重ねて着る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右六首天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作」<右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)に居(を)りて、大伴宿禰家持作る。>である。

 

 

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 三九一六~三九二一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その339)」で紹介している。

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 題詞、左注の「独り平城(なら)に居り」、「平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)」から、安積親王の喪に服していたと考えられるのである。家持は、天平十年から十六年、内舎人(うどねり)であった。

(注)天平十六年:744年

(注)うどねり【内舎人】名詞:律令制で、「中務省(なかつかさしやう)」に属し、帯刀して、内裏(だいり)の警護・雑役、行幸の警護にあたる職。また、その人。「うとねり」とも。 ※「うちとねり」の変化した語。(学研)                  

 

 安積親王の喪に服していたと考えられる。このことに関して、藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)の中で、「安積親王の亡き後、大伴家持の動静を伝える歌や記録は伝えられていない。内舎人として難波・恭仁・紫香楽のどの宮で職務についたのかわからないが、おそらく家持は平城の旧宅で一年におよぶ服喪の期間を過ごしていた可能性がつよいと思われる。」と書いておられる。また、その根拠として、「『喪葬令(そうそうりょう)』服紀(ぶっき)条によると、『凡(およ)そ服紀は、君、父母および夫、本主の為に一年』、また『選叙令(せんじょりょう)』本主亡条に、『凡そ帳内(ちょうない)・資人(しじん)等、本主(ほんじゅう)亡(もう)しなば、朞年(きねん)の後に、皆式部省に送れ。・・・』とあり、内舎人を帳内・資人らと同様にみると、本主である安積親王のための服喪は一年間となる。」と書いておられる。

 

 

 「かきつばた」を詠んだ歌は、次のように万葉集では七首収録されている。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1322)」で紹介している。

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 「かきつばた」七首の書き下しを抜きだし、あらためて「かきつばた」をながめてみよう。

 

◆常ならぬ人国山(ひとくにやま)の秋津野(あきづの)のかきつはたをし夢(いめ)に見しかも(作者未詳 巻七 一三四五)

◆住吉(すみのえ)の浅沢小野(あささはをの)のかきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付け着む日知らずも(作者未詳 巻七 一三六一)

◆我(あ)れのみやかく恋すらむかきつはた丹(に)つらふ妹(いも)はいかにかあるらむ(作者未詳 巻十 一九八六)

かきつはた丹(に)つらふ君をいささめに思ひ出(い)でつつ嘆きつるかも(作者未詳 巻十一 二五二一)

かきつはた佐紀沼(さきぬ)の菅(すげ)を笠(かさ)に縫(ぬ)ひ着む日を待つに年ぞ経(へ)にける(作者未詳 巻十一 二八一八)

かきつはた佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる菅(すが)の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ(作者未詳 巻十二 三〇五二)

かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり(大伴家持 巻十七 三九二一)

 

 一三四五歌では、美しい「かきつばた」を人妻に譬えて詠っている。

 一九八六,二五二一歌の「かきつはた」は枕詞で、「丹つらふ」に、二八一八、三〇五二歌も同様、枕詞で「佐紀沼」に懸っている。

(注)かきつはた【枕詞】① 花の美しさから、「にほふ」「丹(に)つらふ」にかかる。② 花が咲くところから、「さき」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)につらふ【丹つらふ】自動詞:紅(くれない)に照り映えて美しい。 ※上代語。(学研)

 一三六一、三九二一歌では、「かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付け」と詠われている。

 

 万葉びとは、草木の特質を細やかに観察しており、そこに自らの心情を重ね合わせ、掛詞や枕詞として歌のなかに取り込んでいる。

 

 そのほかの事例をみてみよう。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

        (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(学研)

(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1155)」で紹介している。

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◆三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我

       (高橋虫麻呂 巻九 一七四五)

 

≪書き下し≫三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが

 

(訳)那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水、その水が絶え間なく湧くように、ひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)みつぐりの【三栗の】分類枕詞:栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。「絶えず」を起こす。

 

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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2034)」で紹介している。

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◆大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南

       (作者未詳 巻十二 三〇七二)

 

≪書き下し≫大崎(おほさき)の荒礒(ありそ)の渡り延(は)ふ葛(くず)のゆくへもなくや恋ひわたりなむ

 

(訳)大崎の荒磯の渡し場、その岩にまといつく葛があてどもなく延びるように、これからどうなるのか見通しもないまま恋い焦がれつづけることになるのか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)大崎:和歌山市加太の岬。

(注)上三句は序。「ゆくへもなく」を起こす。

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その763)」で紹介している。

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◆足桧木乃 山菅根之 懃 不止念者 於妹将相可聞

        (作者未詳 巻十二 三〇五三)

 

≪書き下し≫あしひきの山菅の根のねもころにやまず思はば妹(おも)に逢はむかも

 

(訳)山菅の長い根ではないが、ねんごろに心底いつまでも思いつづけていたら、あの子に逢えるのであろうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)やますげ【山菅】名詞:①山野に自生している菅(すげ)(=植物の名)。根が長く、葉が乱れていることを歌に詠むことが多い。 ※「やますが」とも。②やぶらん(=野草の名)の古名。(学研)

(注)やますげの【山菅の】分類枕詞:山菅の葉の状態から「乱る」「背向(そがひ)」に、山菅の実の意から「実」に、同音から「止(や)まず」にかかる。(学研)

(注)上二句は序。「ねもころに」を起こす。

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1243)」で紹介している。

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◆朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨

      (作者未詳 巻十 二二九一)

 

≪書き下し≫朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも

 

(訳)朝咲いても夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消え果ててしまいそうな恋、そんなせつない恋を私はしている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。「月草」は露草。(伊藤脚注)

(注の注)つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(学研)

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1814)」で紹介している。

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 この歌に出会って、ツユクサが一日花であるということを知ったのである。「朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の」と事実を詠っているが、その事実を超絶した自らの切ない恋に思いを重ねる詩情性には驚かされる。

 機会があれば、こういった歌を深耕していきたいものである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「goo辞書」

★「歌の解説と万葉集」 (柏原市HP)