万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2579)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、柿本人麻呂行幸従駕(ぎょうこうじゅうが)の賛歌である。「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「行幸従駕」の項には、吉野従駕(巻一、三六~三九)、猟路池従駕(巻三、二三九・二四〇)、安騎野従駕(巻一、四五~四九)さらに新田部皇子に献上した歌(巻三、二六一・二六二)が挙げられている。

 これらの歌を順にみていこう。

 

■■吉野従駕(巻一、三六~三九)■■

■巻一、三六歌■

題詞は、「幸于吉野宮之時、柿本朝臣人麻呂作歌」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麿が作る歌>である

 

◆八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百磯城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟竟 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高良思珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可聞

                               (柿本人麻呂 巻一 三六)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大王(おほきみ)の きこしめす 天(あめ)の下(した)に 国はしも さはにあれども 山川(やまかは)の 清き河内(かうち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散(ぢ)らふ 秋津(あきづ)の野辺(のへ)に 宮柱(みやはしら) 太敷(ふとし)きませば ももしきの 大宮人(おほみやひち)は 舟(ふな)並(な)めて 朝川(あさかは)渡る 舟競(ぎそ)ひ 夕川(ゆふかは)渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知(たかし)らす 水(みな)激(そそ)く 滝(たき)の宮処(みやこ)は 見れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)あまねく天の下を支配されるわれらが大君のお治めになる天の下に、国はといえばたくさんあるけれども、中でも山と川の清らかな河内として、とくに御心をお寄(よ)せになる吉野(よしの)の国の豊かに美しい秋津の野辺(のべ)に、宮柱をしっかとお建てになると、ももしきの大宮人は、船を並べて朝の川を渡る。船を漕ぎ競って夕の川を渡る。この川のように絶えることなく、この山のようにいよいよ高く君臨したまう、水流激しきこの滝の都は、見ても見ても見飽きることはない。

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。 ▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)かふち【河内】名詞:川の曲がって流れている所。また、川を中心にした一帯。 ※「かはうち」の変化した語。

(注)みこころを【御心を】分類枕詞:「御心を寄す」ということから、「寄す」と同じ音を含む「吉野」にかかる。「みこころを吉野の国」(学研)

(注)ちらふ【散らふ】分類連語:散り続ける。散っている。 ※「ふ」は反復継続の助動詞。上代語。(学研) 花散らふ:枕詞で「秋津」に懸る、という説も。

(注)たかしる【高知る】他動詞:立派に治める。(学研)

奈良県吉野町宮滝 宮滝野外学校万葉歌碑(柿本人麻呂 1-36) 20200924撮影



 

 

 

■巻一 三七歌■

◆雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟

       (柿本人麻呂 巻一 三七)

 

≪書き下し≫見れど飽かぬ吉野の河の常滑の絶ゆることなくまた還り見む

 

(訳)見ても見ても見飽きることのない吉野の川、その川の常滑のように、絶えることなくまたやって来てこの滝の都を見よう。(同上)

(注)とこなめ【常滑】名詞:苔(こけ)がついて滑らかな、川底の石。一説に、その石についている苔(こけ)とも。(学研)

 

 三六、三七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その771)」で紹介している。なお三七歌の歌碑は、吉野町宮滝 河川交流センターにもある。こちらは、同「同(その772)」で紹介している。

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奈良県吉野町宮滝 河川交流センター万葉歌碑(柿本人麻呂 1-37) 20200924撮影

 

 

 

■巻一 三八歌■

◆安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆 疊有 青垣山 ゝ神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 <一云 黄葉加射之> 逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨

       (柿本人麻呂 巻一 三八)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと 吉野川 たぎつ河内(かふち)に 高殿(たかとの)を 高知(たかし)りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山(あをかきやま) 山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)かざせり <一には「黄葉かざし」といふ> 行き沿(そ)ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕(つか)へ奉(まつ)ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川(やまかは)も 依(よ)りて仕(つか)ふる 神の御代(みよ)かも

 

(訳)安らかに天の下を支配されるわれらが大君、大君が神であるままに神らしくなさるとて、吉野川の激流渦巻く河内に、高殿を高々とお造りのなり、そこに登り立って国見をなさると、幾重にも重なる青垣のような山々の、その山の神が大君に捧(ささ)げ奉る貢物(みつぎもの)として、春の頃おいには花を髪にかざし、秋たけなわの時ともなるとになると色づいをかざしている<色づいた葉をかざし>、高殿に行き沿うて流れる川、その川の神も、大君のお食事にお仕え申そうと、上の瀬に鵜川(うかわ)を設け、下の瀬にすくい網を張り渡している。ああ、われらが大君の代は山や川の神までも心服して仕える神の御代であるよ。(同上)

(注)「神ながら 神さびせすと」:神のままに神らしくなさるとて。(伊藤脚注)

(注)せす【為す】分類連語:なさる。あそばす。 ※上代語。 ⇒なりたち サ変動詞「す」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」(学研)

(注)たたなはる【畳なはる】自動詞:①畳み重ねたような形になる。重なり合って連なる。②寄り合って重なる。 ⇒参考 ①の用例の「たたなはる」は、「青垣山」にかかる枕詞(まくらことば)とする説もある。(学研)ここでは①の意

(注)かざす【挿頭す】[動]《「かみ(髪)さ(挿)す」の音変化という》:① 草木の花や枝葉、造花などを髪や冠にさす。② 物の上に飾りつける。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)おほみけ【大御食】名詞:召し上がり物。▽神・天皇が食べる食べ物の尊敬語。 ※「おほみ」は接頭語(学研)

(注)うかは【鵜川】名詞:鵜(う)の習性を利用して魚(多く鮎(あゆ))をとること。鵜飼い。また、その川。(学研)

(注)さで【叉手・小網】名詞:魚をすくい取る網。さであみ。(学研)

 

 

■巻一 三九歌■

◆山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母

       (柿本人麻呂 巻一 三九)

 

≪書き下し≫山川も依りて仕ふる神(かむ)ながらたぎつ河内(かふち)に舟出(ふなで)せすかも

 

(訳)山の神や川の神までも心服してお仕えする尊い神であられるままに、われらが大君は吉野川の、この激流渦巻く河内に船を漕ぎ出される。(同上)

 

左注は、「右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌」<右は、日本紀には「三年 己丑(つちのとうし)の正月に、天皇吉野の宮に幸(いでま)す。 八月に、吉野の宮に幸(いでま)す。 四年庚寅(かのえとら)の二月に、吉野の宮に幸す。 五月に、吉野の宮に幸す。 五年辛卯(かのとう)の正月に、吉野の宮に幸す。 四月に、吉野の宮に幸す」といふ。いまだ詳(つばひ)らかにいづれの月の従駕(おほみとも)にして作る歌なるかを知らず>である。

(注)持統天皇の吉野行幸は在位中三一回。以下、そのうち初めの五年までが記す。(伊藤脚注)

 

 

 

■■猟路池従駕(巻三、二三九・二四〇、二四一)■■

■巻三 二三九歌■

 二三九、二四〇歌の題詞は、「長皇子遊獦路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」<長皇子(ながのみこ)、猟路(かりぢ)の池に遊(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。二四一歌の題詞は、「或本反歌一首」<或る本の反歌一首>である。

(注)獦路池(かりぢのいけ):奈良県宇陀市榛原区の宇田川、芳野川合流点付近の池かという。(伊藤脚注)

 

◆八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三獦立流 弱薦乎 獦路乃小野尓 十六社者 伊波比拜目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拜 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞

       (柿本人麻呂 巻二 二三九)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君(おほきみ) 高光(たかひか)る 我が日の御子(みこ)の 馬並(うまな)めて 御狩(みかり)立たせる 若薦(わかこも)を 猟路(かりぢ)の小野(おの)に 鹿(しし)こそば い匐(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ い匐(は)ひ廻(もとほ)れ 鹿(しし)じもの い匐(は)ひ拝(をろが)み 鶉(うづら)なす い匐(は)ひ廻(もとほ)り 畏(かしこ)みと 仕(つか)へまつりて にさかたの 天(あめ)見るごとく まそ鏡 仰(あふ)ぎて見れど 春草(はるくさ)の いやめづらしき 我が大君かも

 

(訳)あまねく天下を支配せられるわが主君、高々と天上に光ろ輝く日の神の皇子、このわが皇子が、馬を勢揃いして御狩りに立っておられる猟路野(かりじの)の御猟場では、鹿は膝を折って匍(は)うようにしてお辞儀をし、鶉はうろうろとおそばを匍(は)いまわっているが、われらも、その鹿のように匍(は)って皇子をうやまい、その鶉のように匍(は)いまわって皇子のおそばを離れず、恐れ多いことだと思いながらお仕え申し上げ、はるか天空を仰ぐように皇子を仰ぎ見るけれども、春草のようにいよいよお慕わしく心ひかれるわが大君でいらっしゃいます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)

(注)たかひかる【高光る】分類枕詞:空高く光り輝くの意で、「日」にかかる。(学研)

(注)わかこもを【若薦を】分類枕詞:若菰を刈る意から同音を含む地名「猟路(かりぢ)」にかかる。(学研)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

(注)はるくさの【春草の】分類枕詞:①春草はめでたたえるべきである意から「めづらし」にかかる。②春草は生い繁(しげ)る意から「繁し」にかかる。(学研)

 

 

 

■巻三 二四〇歌■

◆久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有

      (柿本朝臣人麻呂 巻二 二四〇)

 

≪書き下し≫ひさかたの天行く月を網(あみ)に刺し我(わ)が大君は盍(きぬがさ)にせり

 

(訳)天空高く渡る月、この月を網を張って捕えて、われらの大君は、今しも盍(きぬがさ)にしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)天行く月:月を背に夕狩りに出で立つ皇子の姿をこう言った。(伊藤脚注)

(注)網に刺し:網を張って捕えて(伊藤脚注)

(注)盍(きぬがさ):貴人のうしろからさしかける織物製の傘。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■巻三 二四一歌■

題詞は、「或本反歌一首」<或本(あるほん)の反歌一首>とある。伊藤 博氏は前述書の脚注で「二四〇に対する初案か。長歌に対して孤立している。」と書いておられる。 

 

◆皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞

       (柿本人麻呂 巻二 二四一)

 

≪書き下し≫大君は神にしませば真木(まき)の立つ荒山中(あらやまなか)に海を成すかも

 

(訳)わが大君は神であらせられるので、杉や檜の茂り立つ人気のない山中に海をお作りになっている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まき 【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)

(注)あらやま【荒山】名詞:人けのない、さびしい山。(学研)

(注)海:猟路の池を、皇子の力によってできた海とみてこう言った。(伊藤脚注)

 

二三九から二四一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その111改)」で紹介している。

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良県桜井市倉橋ため池ふれあい公園万葉歌碑(柿本人麻呂 3-241) 20190531撮影



 

 

 二四〇歌の歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その113改)」で紹介している。

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多武峰談山神社 東大門前万葉歌碑(柿本人麻呂 3-240) 20190531撮影



 

 

■■安騎野従駕(巻一、四五~四九)■■

題詞は、「軽皇子宿干安騎野時柿本朝臣人麿作歌」<軽皇子、安騎(あき)の野に宿ります時に、柿本朝臣人麿が作る歌>である。

 

■巻一 四五歌■

◆八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而

        (柿本人麻呂 巻一 四五)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君 高照らす 日の御子(みこ) 神ながら 神さびせすと 太(ふと)敷(し)かす 都を置きて こもくりの 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を 岩が根 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかとり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕(ゆふ)さりくれば み雪降る 安騎(あき)の大野(おほの)に 旗(はた)すすき 小竹(しの)を押しなべ 草枕 旅宿(たびやど)りせす いにしへ思ひて

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわれらが大君、天上高く照らしたまう日の神の皇子(みこ)は、神であられるままに神々しく振る舞われるとて、揺るぎなく治められている都さえもあとにして、隠り処(こもりく)の泊瀬の山は真木の茂り立つ荒々しい山道なのに、その山道を岩や遮(さえぎ)る木々を押し伏せて、朝方、坂鳥のように軽々とお越えになり、光かすかな夕方がやってくると、み雪降りしきる安騎の荒野(あらの)で、旗のように靡くすすきや小竹(しん)を押し伏せて、草を枕に旅寝をなさる。過ぎしいにしえのことを偲んで。(同上)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)

(注)たかてらす【高照らす】分類枕詞:空高く照るの意で、「日」にかかる。(学研)

(注)ふとしく【太敷く】他動詞:居を定めてりっぱに統治する。(宮殿を)りっぱに造営する。(柱を)しっかり立てる。(学研)

(注)こもりくの【隠り口の】分類枕詞:大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。(学研)

(注)さへき【禁樹】名詞:通行の妨げになる木。(学研)

(注)さかどりの【坂鳥の】分類枕詞:朝早く、山坂を飛び越える鳥のようにということから「朝越ゆ」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)はたすすき【旗薄】名詞:長く伸びた穂が風に吹かれて旗のようになびいているすすき。(学研)

(注)いにしへ:亡き父草壁皇子の阿騎野遊猟をいう。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その370)」で紹介している。

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奈良県宇陀市 かぎろひの丘万葉歌碑(柿本人麻呂   1-45) 20191216撮影

 

 

 

■巻一 四六歌■

◆阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 古部念尓

        (柿本人麻呂 巻一 四六)

 

≪書き下し≫安騎の野に宿る旅人(たびひと)うち靡(なび)き寐(い)も寝(ね)らめやもいにしへ思ふに

 

(訳)こよい、安騎の野に宿る旅人、この旅人たちは、のびのびとくつろいで寝ることなどできようか。いにしえのことを思うにつけて。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】自動詞:①草・木・髪などが、横になる。なびき伏す。②人が横になる。寝る。 ③相手の意に従う。(weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)いもぬらめやも【寝も寝らめやも】分類連語:寝ていられようか、いや、寝てはいられない。 ※なりたち名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の終止形+現在推量の助動詞「らむ」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

奈良県宇陀市 阿紀神社万葉歌碑(柿本人麻呂 1-46) 20191216撮影

 

 

 

■巻一 四七歌■

◆真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師

       (柿本人麻呂 巻一 四七)

 

≪書き下し≫ま草刈る荒野(あらの)にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し

 

(訳)廬草(いおくさ)刈る荒野ではあるけれども、黄葉(もみちば)のように過ぎ去った皇子の形見の地として、われらはここにやって来たのだ。(同上)

(注)ま草刈る:「荒野」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)黄葉の:「過ぐ」の枕詞。(伊藤脚注)

 

奈良県宇陀市 神楽岡神社万葉歌碑(柿本人麻呂 1-47) 20191216撮影

 

 

 

■巻一 四八歌■

◆東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

       (柿本人麻呂 巻一 四八)

 

≪書き下し≫東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてけへり見すれば月かたぶきぬ   

 

(訳)東の野辺には曙の光がさしそめて、振り返ってみると、月は西空に傾いている。

(注)かぎろひ【陽炎】名詞:東の空に見える明け方の光。曙光(しよこう)。②「かげろふ(陽炎)」に同じ。[季語] 春。※上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その368)」で、かぎろひの丘の歌碑は、同「同(その369)」で紹介している。

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奈良県宇陀市 人麻呂公園万葉歌碑(柿本人麻呂 1-48) 20191216撮影

 

奈良県宇陀市 かぎろひの丘万葉歌碑(柿本人麻呂   1-48) 20191216撮影

 

 

 

■巻一 四九歌■

◆日雙斯 皇子命乃 馬副而 御﨟立師斯 時者来向

        (柿本人麻呂 巻一 四九)

 

≪書き下し≫日並皇子(ひなみしみこ)の命(みこと)の馬並(な)めてみ狩(かり)立たしし時は来向(きむか)ふ

 

(訳)日並皇子(ひなみしみこ)の命、あのわれらの大君が馬を勢揃いしてみ猟(かり)に踏み立たれたその時刻は、今まさに到来した。(同上)

(注)日並皇子(ひなみしみこ):日に並ぶ皇子の意。草壁皇子に限っていう。(伊藤脚注)

(注)きむかふ【来向かふ】自動詞:近づいて来る。 ※参考 こちらを主とした場合は「迎ふ」であるが、「来向かふ」は向かって来るものを主にして、その近づくのを期待する気持ちがある。(学研) 

 

 

 

奈良県宇陀市 大宇陀地域事務所万葉歌碑(柿本人麻呂 1-49) 20191216撮影

 

 

 四六、四七歌、四九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その372)」、同「同(その373)」、同「同(その371)」で紹介している。

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■■新田部皇子に献上した歌(巻三、二六一・二六二)■■

題詞は、「柿本朝臣人麻呂獻新田部皇子歌一首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、新田部皇子(にひたべのみこ)に献(たてまつ)る歌一首 幷せて短歌>である。

 

■巻三 二六一歌■

◆八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傳来 白雪仕物 徃来乍 益及常世

       (柿本人麻呂 巻三 二六一)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ) 高光(たかひか)る 日(ひ)の御子(みこ) 敷きいます 大殿(おほとの)の上(うへ)に ひさかたの 天伝(あまづた)ひ来(く)る 雪じもの 行き通(かよ)ひつつ いや常世(とこよ)まで

 

 

 

(訳)あまねく天下を支配せられる我が主君、天上高く光給う日の神の御子、この我らの皇子が統(す)べていらっしゃる大殿の上に、天空から降りしきる白雪(しらゆき)、その白雪のように行き通い続けて奉仕しよう、いついつまでも永遠に。(同上)

(注)敷きいます:主人として住んでおられる。(伊藤脚注)

(注)ゆきじもの【雪じもの】副詞:雪のように。雪めいて。 ※一説に「ゆき」にかかる枕詞(まくらことば)とも。「じもの」は接尾語。(学研)

(注の注)-じもの 接尾語:名詞に付いて、「…のようなもの」「…のように」の意を表す。※上代語。(学研)

 

 

 

■巻三 二六二歌■

◆矢釣山 木立不見 落乱 雪驪 朝樂毛

       (柿本人麻呂 巻三 二六二)

 

≪書き下し≫矢釣山(やつりやま)木立(こだち)も見えず降りまがひ雪の騒(さわ)ける朝(あした)楽(たの)しも

 

(訳)矢釣山、この山の木立も見えないほどに降り乱れて、雪のさわさわと積もるこの朝の何とも楽しいことよ。(同上)

(注)明日香村八釣の山。近くに新田部皇子の宮があったのであろう。(伊藤脚注)

 

 

「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「行幸従駕」の項を読み進んでいこう。

 「・・・人麻呂は賛歌を、多くの行幸に従駕して作っている。」上記で紹介した四つの賛歌に「共通することは、冒頭が『やすみしし わご大君』という表現からはじまることであり、直接持統に献上したと思われる吉野以外の三歌はついで「高光る 日の皇子」と歌われることで共通する。・・・賛歌にはある傾向がある。・・・属目のものから『―じもの』(―のように)と奉仕する姿へと転じていく手法」を取っている。賛歌にあって、「人麻呂は景物や動物の姿をもってした。そこに人麻呂のひとつの創造があった。」(同著)「これらに対して吉野の賛歌は多少異なっている。・・・従来の国見歌の発想によりながら自然の景へと筆をうつし、その自然の様子を・・・天皇への奉仕と考え・・・自然が『じもの』『なす』を媒体として人間の奉仕に結びついていたが、ここでは自然そのままが直接奉仕する点に、いっそうの積極性がある。・・・吉野の歌においては分化すべき自然が人間と融在していることを示す。そこにまた、ひとつの人麻呂の感受の仕方がある。・・・『清し』という万葉集のことばは、単に清浄感のみならず、神聖なる感情をあらわすもので、天皇行幸にともなって用いられることが多い。これは人事による自然の所有だった。人麻呂は、それが神なる日の皇子の資格によって可能だったと考えた。」(同著)「・・・賛歌という形式の中で、人麻呂が行幸従駕の歌によって試みたものは、この自然と人間との契約による新たな自然の創造であった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉