万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2578)―書籍掲載歌を中軸に―

●一三一から一三四の歌群の中の歌は、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか(柿本人麻呂 2-132)」、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば(柿本人麻呂 2-133)」である。

 

一三五から一三七の歌群の歌は、「つのさはふ石見の海の言さへく唐の崎なる海石にぞ深海松生える荒磯にぞ・・・(柿本人麻呂 2-135)」、「青駒が足掻きを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける(柿本人麻呂 2-136)」、「秋山に散らふ黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む(柿本人麻呂 2-137)」である。

 

一三八から一三九の歌群の歌は、「石見のや打歌の木の間より我が振る袖を妹見つらむか(柿本人麻呂 2-139)」である。

 

島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(柿本人麻呂 2-132) 20211012撮影



島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(柿本人麻呂 2-133) 20211012撮影



島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(柿本人麻呂 2-135) 20211012撮影

 

島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑((柿本人麻呂 2-136) 20211012撮影

 

島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑((柿本人麻呂 2-137) 20211012撮影

 

●歌碑は、それぞれ島根県益田市 県立万葉公園にある。

 

●歌群を追って歌をみていこう。

 一三一から一三七の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首并(あは)せて短歌>である。そして一三八・一三九の題詞は、「或本歌一首 幷短歌」<或る本の歌一首 併せて短歌>である。

(注)石見国島根県西部。人麻呂は、持統七年(六九三)から九年前半まで、石見の国司だったか。(伊藤脚注)

 

■■一三一から一三四の歌群■■

■一三一歌■

◆石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等<一云 礒無登> 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 <一云 礒者> 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎<一云 波之伎余思妹之手本乎> 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山

     (柿本人麻呂 巻二 一三一)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見(み)らめ潟(かた)なしと<一には「礒なしと」といふ> 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は<一に「礒は」といふ>なくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振(ふ)る 風こそ寄らめ 夕 (ゆふ)羽振る 波こそ来(き)寄れ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を<一には「はしきよし妹が手本(たもと)を> 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)の 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)へて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山

 

(訳)石見の海、その角(つの)の浦辺(うらべ)を、よい浦がないと人は見もしよう。よい干潟がないと<よい磯がないと>人は見もしよう。が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい干潟は<よい磯は>はないにしても、この角の海辺を目指しては、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝(あした)に立つ風が寄ろう、夕(ゆうべ)に揺れ立つ波が寄って来る。その寄せる風浪(かざなみ)のままに寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように私に寄り添い寝たいとしい子であるのに、その大切な子を<そのいとしいあの子の手を>、冷え冷えとした露の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)角の浦:島根県江津市都野津町あたりか。「み」はめぐりの意。(伊藤脚注)

(注の注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち 副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)ここでは②の意

(注)いさなとり【鯨魚取り・勇魚取り】( 枕詞 ):クジラを捕る所の意で「海」「浜」「灘(なだ)」にかかる。 (weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)和田津(にきたづ):所在未詳。(伊藤脚注)

(注)ありそ【荒磯】名詞:岩石が多く、荒波の打ち寄せる海岸。 ※「あらいそ」の変化した語。(学研)

(注)朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ:風波が鳥の翼のはばたくように玉藻に寄せるさま。(伊藤脚注)

(注の注)はぶる【羽振る】自動詞:飛びかける。はばたく。飛び上がる。「はふる」とも。(学研)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を:前奏を承け、「玉藻」を妻の映像に転換していく。(伊藤脚注)

(注)か寄りかく寄る:磯に根生える藻が浜辺に向かってくねりゆれるさま。(伊藤脚注)

(注の注)かよりかくよる【か寄りかく寄る】[連語]あっちへ寄り、こっちへ寄る。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)

(注)なつくさの【夏草の】分類枕詞:①夏草が日に照らされてしなえる意で「思ひしなゆ」②夏草が生えている野の意で「野」を含む地名「野島」や「野沢」にかかる。③夏草が深く茂るところから「繁(しげ)し」「深し」にかかる。④夏草を刈るの意で「刈る」と同音を含む「仮(かり)」「仮初(かりそめ)」にかかる。(学研)

(注)夏草の思ひ萎へて偲ふらむ妹が門見む靡けこの山:結びは短歌形式をなす。(伊藤脚注)

 

■一三二歌■

◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香

      (柿本人麻呂 巻二 一三二)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか

 

(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)

(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)

(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)

(注の注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)

 

 

■一三三歌■

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(同上)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(学研)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

(注)別れ来ぬれば:前歌の見納めの山、高角山での最後の別れを承ける表現。(伊藤脚注)

 

 

■一三四歌■

 題詞は、「或本反歌曰」<或る本の反歌に曰はく>である。

 

◆石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨

       (柿本人麻呂 巻二 一三四)

 

≪書き下し≫石見にある高角山の木の間ゆも我(わ)が袖振るを妹見けむかも

 

(訳)石見にある高角山の木の間からも私が袖を振ったのを、あの子は見たことであろうか。(同上)

(注)都から石見を思う表現。(伊藤脚注)

 

 

一三一、一三二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 一三三歌については、同「同(その1272)」で紹介している。

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■■一三五から一三七の歌群■■

■一三五歌■

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

      (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(同上)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりかという。(伊藤脚注)

(注)玉藻:下の「深海松の」と共に前奏部を承けて本旨へと転じる。本旨は、前歌群一三一の「玉藻なす・・・置きてし来れば」とほぼ同じ段階の心情を詳述する。(伊藤脚注)

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳。(伊藤脚注)

(注)妻ごもる:「屋上」の枕詞。以下四句は実景の序。「惜しけども隠らひ来れば」を起す。月に妻の姿を重ねている。(伊藤脚注)

(注)屋上の山:共寝した妻を連想させるため、異文の実在の「室上山」(所在未詳)を改めた作品上の山名か。(伊藤脚注)

(注の注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

(注)敷栲の:「衣」の枕詞。「敷栲」は寝具。「衣」は妻の形見の衣らしい。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

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■一三六歌■

◆青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之當乎 過而来計類 <一云 當者隠来計留>

         (柿本人麻呂 巻二 一三六)

 

≪書き下し≫青駒(あをごま)が足掻(あが)きを速(はや)み雲居(くもゐ)にぞ妹(いも)があたりを過ぎて来にける<一には「あたりは隠り来にける」といふ>

 

(訳)この青駒の奴(やつ)の歩みが速いので、雲居はるかにあの子のあたりを通り過ぎて来てしまった。<あの子のあたりは次第に見えなくなってきた>(同上)

(注)あがき【足掻き】:① 苦しまぎれにじたばたすること。② 手足を動かすこと。手足の動き。③ 馬などが前足で地をかくこと。また、馬の歩み④。 子供がいたずらをして暴れること。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは③の意

(注)くもゐ【雲居・雲井】名詞:①大空。天上。▽雲のある所。②雲。③はるかに離れた所。④宮中。皇居。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは③の意

(注)一三六歌は長歌の結びをただちに承け、一三七歌は長歌の「黄葉の・・・さやにも見えず」の部分に帰して承けながら、全体を結んでいる。(伊藤脚注)

(注)「過ぐ」は、国庁から出発した「ますらを」(官人)が、中途、妻の所に立ち寄り、その里を心ならずも通り過ぎることをいう。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■一三七歌■

◆秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見<一云 知里勿乱曽>

        (柿本人麻呂 巻二 一三七)

 

≪書き下し≫秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む <一云 散りな乱ひそ>

 

(訳)秋山に散り落ちるもみじ葉よ、ほんのしばらくでもよいから散り乱れてくれるな。あの子のあたりを見ようものを。<散って乱れてはくれるな>(同上)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

 

 前の一三六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1259)」で、この歌ならびに次の一三八・一三九については、同「同(その1260)」で紹介している。

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■■一三八・一三九の歌群■■

題詞は、「或本歌一首 幷短歌」<或る本の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)一三一から一三三に対する或る本の歌。この一三八から一三九がまず作られ、単独に披露されたらしい。のち続編を求められて、この歌群を改作した一三一の異文系統と一三四とに、一三五から一三七の異文系統を合わせた作が生れ、再三の聴衆の求めに応じてさらに手を加え、一三一から一三三と一三五から一三七との組が成ったらしい。(伊藤脚注)

 

■一三八歌■

◆石見之海 津乃浦乎無美 浦無跡 人社見良米 滷無跡 人社見良目 吉咲八師 浦者雖無 縦恵夜思 潟者雖無 勇魚取 海邊乎指而 柔田津乃 荒礒之上尓 蚊青生 玉藻息都藻 明来者 浪己曽来依 夕去者 風己曽来依 浪之共 彼依此依 玉藻成 靡吾宿之 敷妙之 妹之手本乎 露霜乃 置而之来者 此道之 八十隈毎 萬段 顧雖為 弥遠尓 里放来奴 益高尓 山毛超来奴 早敷屋師 吾嬬乃兒我 夏草乃 思志萎而 将嘆 角里将見 靡此山

      (柿本人麻呂 巻二 一三八)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海(うみ) 津(つ)の浦(うら)をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和田津(にきたつ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 明け来(く)れば 波こそ来(き)寄れ 夕(ゆふ)されば 風こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄り 玉藻なす 靡(なび)き我(わ)が寝し 敷栲(しきたへ)の 妹が手本(たもと)を 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里離(さか)り来(き)ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)えて 嘆くらむ 角(つの)の里見む 靡けこの山

 

(訳)石見の海、この海には船を泊める浦がないので、よい浦がないと人は見もしよう、よい潟がないと人は見もしよう、が、たとえよい浦はなくても、たとえよい潟はなくても、この海辺を目ざして、和田津の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝方になると波が寄って来る、夕方になると風が寄って来る。その風浪(かざなみ)のまにまに寄り伏しする玉藻のように寄り添い寝た愛しい子なのに、その子を冷え冷えとした霜の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の多くの曲がり角ごとにいくたびもいくたびも振り返って見るけれど、いよいよ遠く妻の里は遠のいてしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。いとおしいわが妻の子が夏草のようにしょんぼりしているであろう、その角(つの)の里を見たい。靡け、この山よ。(同上)

(注)津の浦:船を泊める港用の浦。(伊藤脚注)

(注)風こそ来よれ:この歌の前奏部には妻の里「角」が現れないので、妻への執心の程が一三一の前奏部に比べて薄れる。(伊藤脚注)

(注)敷栲の:「手本」の枕詞。「手本」は手首。男女共寝の折の枕。(伊藤脚注)

(注の注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)

(注)たもと【袂】名詞:①ひじから肩までの部分。手首、および腕全体にもいう。②袖(そで)。また、袖の垂れ下がった部分。 ※「手(た)本(もと)」の意から。(学研)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

(注)角の里:一三一で冒頭にあった「角」がここでは最後にある。(伊藤脚注)

 

 

■一三九歌■

◆石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香

       (柿本人麻呂 巻二 一三九)

 

<書き下し>石見の海打歌(うつた)の山の木(こ)の間(ま)より我(わ)が振る袖を妹(いも)見つらむか

 

(訳)石見の海、海の辺の打歌の山の木の間から私が振る袖、この袖を、あの子は見てくれているのであろうか。(同上)

(注)打歌の山:所在未詳。「高角山」の実名らしいが、これだと見納めの山の意が伝わらない。(伊藤脚注)

 

左注は、「右歌躰雖同句々相替 因此重載」<右は、歌の躰(すがた)同じといへども、句々(くく)相替(あひかは)れり。これに因(よ)りて重ねて載(の)す。>である。

 

 

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「人麻呂の哀歓」の項「石見(いわみ)の離別」を読み進もう。

 「・・・あの著名な石見(いわみ)の国から妻と別れて上京して来るときの長歌(巻二、一三一~一三九)も、・・・軽の妻の挽歌の心情と、さして異ならないのである。この時の歌も二首の長歌と或(あ)る本の長歌一首とで、反歌を含めると八首の歌群だが、この第二首は、ことにそうである。まず、『つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 韓(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にそ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寐(ね)し児を(訳は略)』と歌い出されるのは、・・・『靡く』段階である。そしてこれについで、『 深海松の 深めて思(おも)へど さ寝(ね)し夜はいくだもあらず這(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば(訳は省略)』と、慕情にくらべるとあまりにも逢(あ)う夜が少ないことを嘆き、その妻との離別へと歌い進む。あの軽の妻が隠し妻のせいで逢瀬(おうせ)が少なかったのを、想起するだろう。さらに、『肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹(いも)が袖(そで) さやにも見えず(訳は省略)』という。この『かへりみすれど』『さやにも見えず』、また先の『別れし来れば』という離別をあらわすことばを、たとえば死別に用いられる『すぎにしかば』などと換えてみれば、これはそのまま先の挽歌の、悲痛なおのれの姿とちがわない。『嬬隠(つまごも)る 屋上(やがみ)の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠ろひ来れば(訳は省略)』 これも軽の妻が、『渡る日の 暮れぬるが如(ごと) 照る月の 雲隠(かく)る如』といわれるのと同じ表現である。そしてこのことによって人麻呂は涙する。『天つたふ 入日さしぬれ 大夫(ますらを)と 思へるわれも 敷栲(しきたへ)の 衣(ころも)の袖(そで)

は 通りて濡(ぬ)れぬ(訳は省略)』と。この涙する人麻呂は、せんすべのなさの中にある。・・・この結末の段落は、一種壮絶である。おりしも天空を西にうつっていった太陽は、今落暉(らっき)となって人麻呂の周辺に輝いている、その落日の輝きの中に、その華麗さのゆえに、人麻呂の袖は濡れるのである。それではこの壮絶さは何のゆえに生ずるか。・・・これはたったひとつ、人麻呂の詩精神のあり方だったと思われる。離別とは、愛への告別である。だから死が愛をもって語られたように、愛もまた死をもって語られなければならなかったのである。死によって透かし見た愛がこの壮絶な結びを呼んだのではなかったか。」(同著)

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」