●歌をみていこう。
題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。
◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有
(柿本人麻呂 巻二 二二三)
≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ
(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。(伊藤脚注)。
(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意
(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)
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「鴨山五首」といわれる歌群の一首である。「鴨山五首」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2178)」で紹介している。
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「磐根、岩根」、「岩根し枕く」、「岩根こごし」、「岩根踏み」は言葉で情景を浮かび上がらせるように思える、恋の行く手を阻む障害であり、それを乗り越えてという覚悟を表す斬新な響きを持っている。これらを詠んだ歌をみてみよう。
◆如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物呼
(磐姫皇后 巻二 八六)
≪書き下し≫かくばかり恋ひつつあらずは高山(たかやま)の岩根(いはね)しまきて死なましものを
(訳)これほどまでにあの方に恋い焦がれてなんかおらずにいっそのこと、お迎えに出て険しい山の岩を枕にして死んでしまった方がましだ。(同上)
(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意
一一三〇歌をみてみよう。
題詞は、「芳野作」<吉野作(よしのさく)>である。
◆神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛
(作者未詳 巻七 一一三〇)
≪書き下し≫神(かむ)さぶる岩根(いはね)こごしきみ吉野の水分山(みくまりやま)を見れば悲しも
(訳)神々しい大岩の根のごつごつと切り立つ、ここみ吉野の水分山、この山を見ると、せつないほどに身がひきしまってくる。(伊藤 博 著「万葉集 二」 角川ソフィア文庫)
(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。※上代語。(学研)
(注)水分山(みくまりやま):吉野水分神社のある山。(伊藤脚注)
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四〇〇六歌もみてみよう。
◆・・・之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈波 孤悲之家久孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽・・・
(大伴家持 巻十七 四〇〇六)
≪書き下し≫・・・白雲(しろくも)の たなびく山を 岩根踏(ふ)み 越えへなりなば 恋(こひ)しけく恋(こひ)しけく 日(け)の長けむぞ・・・
(訳)・・・白雲のたなびく山々、その山の険しい岩を踏みしめながら越えて遠く隔たってしまったならば、あなた恋しい日がいつまでも続くことになるのです・・・(伊藤 博 著「万葉集 四」 角川ソフィア文庫)
二四二二歌もみてみよう。
◆石根踏 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四二二)
≪書き下し≫岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも
(訳)大きな岩を踏み越えて行かねばならないような隔ての山はありはしないのだが、逢えない日が度重なるので、ずっと恋焦がれてばかりいる。(伊藤 博 著「万葉集 三」 角川ソフィア文庫)
もう一首二五九〇歌をみてみよう。
◆石根踏 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛
(作者未詳 巻十一 二五九〇)
≪書き下し≫岩根(いはね)踏み夜道(よみち)は行かじと思へれど妹(いも)によりては忍(しの)びかねつも
(訳)ごつごつした岩を踏み越えて、あぶない夜道など行くまいと思っているけれど、愛しいあの子のためには、とても辛抱しきれない。(同上)
(注)忍びかねつも:とても我慢しきれぬ。つい女の許へ出かけてしまう男心。(伊藤脚注)
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■島根県益田市 萩・石見空港駐車場万葉歌碑(巻二 一三二)■
●歌をみていこう。
◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
(柿本人麻呂 巻二 一三二)
≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか
(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)
(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)
(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)
(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(学研)ここでは①の意
(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)
高津柿本神社の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1330)」で、萩・石見空港の歌ならびに歌碑については、同「同(その1331)」で紹介している。
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■島根県益田市 県立万葉公園「石の広場」万葉歌碑(巻四 七四三)■
●歌をみていこう。
◆吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏
(大伴家持 巻四 七四三)
≪書き下し≫我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに
(訳)私の恋の重荷(おもに)は、千人がかりで引く石を七つも首にかけるほどですが、それも神の思(おぼ)し召(め)しのままです。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ちびき【千引】の=岩(いわ)[=石(いし)]:千人で引かなければ動かせないような重い岩石。ちびき。ちびきいわ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考:名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1983)」で紹介している。
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■島根県益田市喜阿弥町ふれあい広場万葉歌碑(巻二 一三一)■
●歌をみていこう。
一三一から一三七歌の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上(のぼ)り来る時の歌二首 幷せて短歌」である。
題詞「或る本の歌一首 幷せて短歌」の一三八、一三九歌の歌群を含め「石見相聞歌」と言われている。
◆石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等<一云 礒無登> 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 <一云 礒者> 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎<一云 波之伎余思妹之手本乎> 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山
(柿本人麻呂 巻二 一三一)
≪書き下し≫石見(いはみ)の海 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見(み)らめ潟(かた)なしと<一には「礒なしと」といふ> 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は<一に「礒は」といふ>なくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振(ふ)る 風こそ寄らめ 夕 (ゆふ)羽振る 波こそ来(き)寄れ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を<一には「はしきよし妹が手本(たもと)を> 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)の 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)へて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山
(訳)石見の海、その角(つの)の浦辺(うらべ)を、よい浦がないと人は見もしよう。よい干潟がないと<よい磯がないと>人は見もしよう。が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい干潟は<よい磯は>はないにしても、この角の海辺を目指しては、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝(あした)に立つ風が寄ろう、夕(ゆうべ)に揺れ立つ波が寄って来る。その寄せる風浪(かざなみ)のままに寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように私に寄り添い寝たいとしい子であるのに、その大切な子を<そのいとしいあの子の手を>、冷え冷えとした露の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。(学研)
(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち 副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)ここでは②の意
(注)いさなとり【鯨魚取り・勇魚取り】( 枕詞 ):クジラを捕る所の意で「海」「浜」「灘(なだ)」にかかる。 (weblio辞書 三省堂大辞林第三版)
(注)和田津(にきたづ):所在未詳(伊藤脚注)
(注)ありそ【荒磯】名詞:岩石が多く、荒波の打ち寄せる海岸。 ※「あらいそ」の変化した語。(学研)
(注)はぶる【羽振る】自動詞:飛びかける。はばたく。飛び上がる。「はふる」とも。(学研)
(注)朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ:風波が鳥の翼のはばたくように玉藻に寄せるさま。(伊藤脚注)
(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)
(注)かよりかくよる【か寄りかく寄る】[連語]あっちへ寄り、こっちへ寄る。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注の注)か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を:前奏を承け、「玉藻」を妻の映像に転換していく。(伊藤脚注)
(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)
(注)なつくさの【夏草の】分類枕詞:①夏草が日に照らされてしなえる意で「思ひしなゆ」②夏草が生えている野の意で「野」を含む地名「野島」や「野沢」にかかる。③夏草が深く茂るところから「繁(しげ)し」「深し」にかかる。④夏草を刈るの意で「刈る」と同音を含む「仮(かり)」「仮初(かりそめ)」にかかる。(学研)
(注)夏草の思ひ萎へて偲ふらむ妹が門見む靡けこの山:結びは短歌形式をなす。(伊藤脚注)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1987)」で紹介している
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■島根県益田市西平原町 鎌手公民館万葉歌碑(巻十四 三四四四)■
●歌をみていこう。
◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢
(作者未詳 巻十四 三四四四)
≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね
(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)茎韮(くくみら):《「くく」は茎、「みら」はニラの意》ニラの花茎が伸びたもの。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注の注)みら(韮):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。(「植物で見る万葉の世界」 万葉の花の会発行)
(注)なふ 助動詞特殊型《接続》動詞の未然形に付く:〔打消〕…ない。…ぬ。 ◆※上代の東国方言。(学研)
上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。
新版 万葉集 三 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ] 価格:1,068円 |
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1980)」で紹介している。東歌の歌碑が、柿本人麻呂作として鎌手公民館に立てられている疑問についてにもここでふれている。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學万葉の花の会発行
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」