万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1983)―島根県益田市 県立万葉公園「石の広場」―万葉集 巻四 七四三

●歌は、「我が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに」である。

島根県益田市 県立万葉公園「石の広場」万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園「石の広場」にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏

       (大伴家持 巻四 七四三)

 

≪書き下し≫我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに

 

(訳)私の恋の重荷(おもに)は、千人がかりで引く石を七つも首にかけるほどですが、それも神の思(おぼ)し召(め)しのままです。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ちびき【千引】の=岩(いわ)[=石(いし)]:千人で引かなければ動かせないような重い岩石。ちびき。ちびきいわ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考:名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 七四一から七五五歌までの歌群の題詞は、「更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首」<さらに、大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌十五首>である。

 

 この歌群は、七二七歌から収録されている大嬢との贈答歌のまとめである。(伊藤脚注)

 題詞のみでみてみると。

 ■「大伴宿禰家持、坂上家の大嬢に贈る歌二首 離絶すること数年、また会ひて相聞往来す」(七二七~七二八歌)

 ■「大伴坂上大嬢、大伴宿禰家持に贈る歌三首」(七二九~七三一歌)

 ■「また、大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌三首」(七三二~七三四歌)

 ■「同じき坂上大嬢、家持に贈る歌一首」(七三五歌)

 ■「また家持、坂上大嬢に和(こた)ふる歌一首(七三六歌)

 ■「同じき大嬢、家持に贈る歌二首」(七三七、七三八歌)

 ■「また家持、坂上大嬢に和(こた)ふる歌二首」(七三九、七四〇)

 ■「さらに、大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌十五首」(七四一~七五五歌)

 

 七四一から七五五歌のすべてみてみよう。

◆夢之相者 苦有家里 覺而 掻探友 手二毛不所觸者

       (大伴家持 巻四 七四一)

 

≪書き下し≫夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻(か)き探(さぐ)れども手にも触れねば

 

(訳)夢で逢うのはつらいものでありました。目を覚(さ)まして手探(てさぐ)りしても、あなたはおろか、何も手に触れないのですから。(同上)

 

 

◆一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成

       (大伴家持 巻四 七四二)

 

≪書き下し≫一重(ひとえ)のみ妹が結ばむ帯をすら三重(みへ)結ぶべく我(あ)が身はなりぬ

 

(訳)あなたが結んでくれる時には一回(ひとまわ)りだけのこの帯でさえ、三回(みまわ)りに結ぶほど、私の身はすっかり細くなってしまった。(同上)

 

 

◆暮去者 屋戸開設而 吾将待 夢尓相見二 将来云比登乎

       (大伴家持 巻四 七四四)

 

≪書き下し≫夕さらば屋戸(やど)開(あ)け設(ま)けて我(あ)れ待たむ夢(いめ)に相見(あひみ)に来(こ)むといふ人を

 

(訳)夕方になったら、家の戸口をあけて私は心待ちに待とう。夢で逢いに来ようというあの人を。(同上)

 

 

◆朝夕二 将見時左倍也 吾妹之 雖見如不見 由戀四家武

       (大伴家持 巻四 七四五)

 

≪書き下し≫朝夕(あさよひ)に見む時さへや我妹子(わぎもこ)が見れど見ぬごとなほ恋(こほ)しけむ

 

(訳)たとえ朝夕逢えるようになった時でさえも、あなたは、逢っていても逢っていないかのように、やっぱり恋しく思われるにちがいありません。(同上)

 

 

◆生有代尓 吾者未見 事絶而 如是▼怜 縫流嚢者

       (大伴家持 巻四 七四六)

  ▼は、「りっしんべん」に「可」 「▼怜」=「おもしろく」

 

≪書き下し≫生ける世に我(あ)はいまだ見ず言(こと)絶えてかくおもしろく縫へる袋は

 

(訳)この世に生まれてこのかた、私はまだ見たことがない。言葉に表せぬほど、こんなに見事に縫ってある袋は。(同上)

(注)袋:針や火打石などを入れる。親しい人に袋を贈る習慣があった。(伊藤脚注)

 

 

◆吾妹兒之 形見乃服 下著而 直相左右者 吾将脱八方

       (大伴家持 巻四 七四七)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)の衣(ころも)下に着て直(ただ)に逢ふまでは我(わ)れ脱(ぬ)かめやも

 

(訳)あなたが形見にくれた衣、これを肌身にしっかりつけて、じかに逢うまではどうして脱いだりするものか、この私というものが。(同上)

(注)かたみ【形見】名詞:①遺品。形見の品。遺児。故人や遠く別れた人の残した思い出となるもの。②記念(物)。思い出の種。昔を思い出す手がかりとなるもの。(学研)ここでは②の意

(注の注)脱がなければ逢えるとされた。(伊藤脚注)

 

 

◆戀死六 其毛同曽 奈何為二 人目他言 辞痛吾将為

       (大伴家持 巻四 七四八)

 

≪書き下し≫恋ひ死なむそこも同(おや)じぞ何せむに人目(ひとめ)人言(ひとごと)言痛(こちた)み我(あ)れせむ

 

(訳)恋焦がれて死んでしまうこと、それだって人目を憚(はばか)って逢えないでいるとのと苦しみは同じじゃないか。何でいまさら、人目や噂を煩わしがって逢うのをためらったりするものか。(同上)

(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)

(注)こちたし【言痛し・事痛し】形容詞:①煩わしい。うるさい。②甚だしい。度を越している。ひどくたくさんだ。③仰々しい。おおげさだ。(学研)

(注の注)こちたむ 動詞:煩わしがる

 

 

◆夢二谷 所見者社有 如此許 不所見有者 戀而死跡香

       (大伴家持 巻四 七四九)

 

≪書き下し≫夢(いめ)にだに見えばこそあらめかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか

 

(訳)夢にだけでも姿を見せてくれればまだよいが、こんなにまで姿を見せてくれないのは、私に恋死にせよとでもいうのですか。(同上)

 

 

◆念絶 和備西物尾 中々荷 奈何辛苦 相見始兼

       (大伴家持 巻四 七五〇)

 

≪書き下し≫思ひ絶えわびにしものをなかなかになにか苦しく相見そめけむ

 

(訳)一度は思いを絶ち切ってひっそりとわびしく暮らしてきたのに、なまはんかに、何でまたこんな苦しいまま逢いはじめたりしたのだろう。(同上)

(注)思ひ絶えわびにしものを:一度は思いを絶ち切ってひっそりとわびしさに堪えて来たのに。離絶数年のわびしさ。(伊藤脚注)

(注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(学研)ここでは①の意

 

 

◆相見而者 幾日毛不經乎 幾許久毛 久流比尓久流必 所念鴨

       (大伴家持 巻四 七五一)

 

≪書き下し≫相見ては幾日(いくか)も経(へ)ぬをここだくも狂ひに狂ひ思ほゆるかも

 

(訳)再び逢(お)うてから何日も経っていないのに、こんなにもひどく物狂おしいまでに恋しく思われるとは。(同上)

(注)ここだく【幾許】副詞:「ここだ」に同じ。 ※上代語。(学研)

(注の注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

 

 

◆如是許 面影耳 所念者 何如将為 人目繁而

       (大伴家持 巻四 七五二)

 

≪書き下し≫かくばかり面影(おもかげ)にのみ思ほえばいかにかもせむ人目繁(しげ)くて

 

(訳)こんなにも、あなたの姿が目先(めさき)にやたらちらついて思われてならないなら、この先どうしたらよかろう。人目が繁くてなかなか逢えないのに。(同上)

 

 

◆相見者 須臾戀者 奈木六香登 雖念弥 戀益来

       (大伴家持 巻四 七五三)

 

≪書き下し≫相見てはしましも恋はなぎむかと思へどいよよ恋ひまさりけり

 

(訳)逢ったならしばらくでもこの苦しい思いは少しはなごむかと思っていたけれど、逢ったら逢ったで、かえってますます恋しさは高ぶるばかりです。(同上)

(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。 ※上代語。(学研)

 

 

◆夜之穂杼呂 吾出而来者 吾妹子之 念有四九四 面影二三湯

       (大伴家持 巻四 七五四)

 

≪書き下し≫夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影に見ゆ

 

(訳)夜のほのぼのと明けそめる頃、別れて私が出て来ると、あなたが名残惜しそうに思い沈んでいた姿が目の前にちらついて見えます。(同上)

(注)ほどろ 名詞〔「夜(よ)のほどろ」の形で〕:(夜が)明け始めるころ。明け方。◇上代語。 ⇒参考:「ろ」は接尾語。(学研)

(注)しくし:シクは過去の助動詞キのク語法。シは強意の助詞。(伊藤脚注)

 

 

◆夜之穂杼呂 出都追来良久 遍多數 成者吾胸 截焼如

       (大伴家持 巻四 七五五)

 

≪書き下し≫夜のほどろ出でつつ来(く)らくたび数多(まね)くなれば我(あ)が胸断ち焼くごとし

 

(訳)夜がほのぼの明けそめる頃、別れて帰って来ることが何度も重なると、私の胸は名残惜しさに燃え上がり、はりさけそうです。(同上)

(注)たびまねし【度遍し】形容詞:絶え間がない。回数が多い。(学研)

 

 七四一から七四五歌(主題は「夢の逢い」)、七四六から七五〇歌(主題は「現の逢い」)、七五一から七五五歌(主題は「逢うて後の恋」)の三群に分かれる。

 伊藤 博氏は、その著「萬葉集相聞の世界」(塙書房)のなかで、「これらの歌、少なくとも家持の歌を、額面どおりに受けとることには、なお問題がある。その作品の中には、巻十一や十二などの古典を模倣するほか、・・・遊仙窟や文選まがいの作が、いくつもあらわれるからである。つまり、大嬢への愛の実感を、そのままうたうというよりも、むしろ、観念的に空想し造型した恋をうたう誇張の傾向が強い。許容された恋の上に立って、芸術性にとらわれ偶像を構成し、それにみずから陶酔している感が、ある。その意味で、一連中に、しきりにうたわれている人言や人目の歌など、その内容をどの程度信用してよいか、問題である。」と冷静に見ておられる。

 万葉集の歌物語性というのが如実にあらわれていると考えてもよいだろう。

 

 坂上大嬢の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1364)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 前回、島根県益田市県立万葉公園を訪れた時に「石の広場」の家持の歌碑をスルーしてしまったことに帰ってから気が付いた時にはショックであった。県立万葉公園の万葉植物園での歌碑(プレート)の数の多さに振り回されて気が飛んでしまったのである。

 幸いに全国旅行支援が始まり、鳥取県山口県を主体に計画の中に織り込むことができたので今回リベンジが果たせたのであった。

島根県益田市県立万葉公園「石の広場」への案内碑

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典