万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1982)―島根県益田市 県立万葉公園(2)―万葉集 巻七 一〇八八

●歌は、「あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる」である。

島根県益田市 県立万葉公園(2)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇八八)

 

≪書き下し≫あしひきの山川(やまがは)の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立わたる

 

(訳)山川(やまがわ)の瀬音(せおと)が高鳴るとともに、弓月が岳に雲立わたる。(「万葉集二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

(注)なへ(接続助詞):《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その69改)」で紹介している。

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弓月が岳

 「弓月が岳」については、「万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアムHP)」に「竜王山、穴師山、巻向山の説があり、『巻向山・三輪山ノ北ニアリ、峯ヲ弓月岳ト称シ長谷山二連ル』(大和志料)とある。『巻向の斎槻が岳』(7-1087)とあることから、巻向山の峰の一つと考えられる。斎槻が岳、由槻が岳とも。川の豊かさと、そこに湧き立つ雲の様子と共に描かれていることから、この地での豊作を予祝する農耕儀礼としての国見歌との見方もある。また、『雲居立てるらし』(7-1087)や『雲立ちわたる』(7-1088)の表現から、『あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天(あま)の白雲 海神(わたつみ)の 沖つ宮邊に 立ち渡り との曇(ぐも)り合ひて 雨も賜はね』(18-4122)、『常世べに雲たちわたる水の江の浦嶋の子が言(こと)持ちわたる』(丹後国風土記)など、雲に雨賜の願いを伝え、また嶋子の言を持ち運ぶ霊力があるという古代信仰が指摘され、神祭りと関係の深い聖水の信仰を深くこめている泉の山と解釈される。ユ(斎)は、清らかな、神聖な、の意。『斎槻』とは、神聖な樹木としての槻の木をめぐる、水と農耕の儀礼と不可分に結びついた観念か。奈良県桜井市の穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社の左社・大兵主神は、元は弓月が嶽に祀られたとある。」と書かれている。

 

穴師坐兵主神社については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その76改)」で紹介している。

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弓月が岳を詠んだ歌

◆痛足河 ゝ浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志

        (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇八七)

 

≪書き下し≫穴師川(あなしがは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月が岳(ゆつきがたけ)に雲居(くもゐ)立てるらし

 

(訳)穴師の川に、今しも川波が立っている。巻向の弓月が岳に雲が湧き起っているらしい。(同上)

 

 

◆玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏▼

        (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一六)

  ▼は「雨かんむり」に「微」である。「霞霏▼」で{かすみたなびく}

 

≪書き下し≫玉かぎる夕(ゆふ)さり来(く)ればさつ人(ひと)の弓月が岳に霞たなびく

 

(訳)玉がほのかに輝くような薄明りの夕暮れになると、猟人(さつひと)の弓、その弓の名を負う弓月が岳に、いっぱい霞がたなびいている。(同上)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)さつひとの【猟人の】分類枕詞:猟師が弓を持つことから「弓」の同音を含む地名「ゆつき」にかかる。「さつひとの弓月(ゆつき)が嶽(たけ)」 ※「さつひと」は猟師の意。(学研)

 

 

弓月が岳を詠んだ三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1186)」で紹介している。

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家持の国守としての雨乞いの歌

 先の「万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアムHP)」の解説にあった四一二二歌をみてみよう。

 

題詞は、「天平感寶元年閏五月六日以来起小旱百姓田畝稍有凋色也 至于六月朔日忽見雨雲之氣仍作雲歌一首 短歌一絶」<天平感宝(てんぴやうかんぽう)元年の閏の五月の六日より以来(このかた)、小旱(せうかん)を起し、百姓の田畝(でんぽ)やくやくに凋(しぼ)む色あり。六月の朔日(つきたち)に至りて、たちまちに雨雲の気を見る。よりて作る雲の歌一首 短歌一絶>である。

 

◆須賣呂伎能 之伎麻須久尓能 安米能之多 四方能美知尓波 宇麻乃都米 伊都久須伎波美 布奈乃倍能 伊波都流麻泥尓 伊尓之敝欲 伊麻乃乎都頭尓 万調 麻都流都可佐等 都久里多流 曽能奈里波比乎 安米布良受 日能可左奈礼婆 宇恵之田毛 麻吉之波多氣毛 安佐其登尓 之保美可礼由苦 曽乎見礼婆 許己呂乎伊多美 弥騰里兒能 知許布我其登久 安麻都美豆 安布藝弖曽麻都 安之比奇能 夜麻能多乎理尓 許能見油流 安麻能之良久母 和多都美能 於枳都美夜敝尓 多知和多里 等能具毛利安比弖 安米母多麻波祢

       (大伴家持 巻十八 四一二二)

 

≪書き下し≫天皇(すめろき)の 敷きます国の 天(あめ)の下(した) 四方(よも)の道には 馬の爪(つめ) い尽(つく)す極(きは)み 舟舳(ふなのへ)の い果(は)つるまでに いにしへよ 今のをつつに 万調(よろずつき) 奉(まつ)るつかさと 作りたる その生業(なりはひ)を 雨降らず 日の重(かさ)なれば 植ゑし田も 蒔(ま)きし畑(はたけ)も 朝ごとに 凋(しぼ)み枯(か)れゆく そを見れば 心を痛み みどり子の 乳乞(ちこ)ふがごとく 天(あま)つ水 仰(あふ)ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天(あま)の白雲(しらくも) 海神(わたつみ)の 沖つ宮辺(みやへ)に 立ちわたり との曇(ぐも)りあひて 雨も賜はね

 

(訳)代々の天皇のお治めになるこの国土の、天の下の四方に広がる国々にはどこもかしこも、馬の蹄(ひづめ)が減ってなくなる地の果てまで、舟の舳先(へさき)が行きつける海の果てまで、遠く遥かなる古(いにしえ)から今の今までずっと、ありとあらゆる貢物(みつぎもの)を奉るが、その中でも第一の物なのだと、励んで作っているその耕作の生業(なりわい)であるのに、雨も降らず日が重なって行くので、苗を植えた田も種を蒔(ま)いた畑も、朝ごとに凋んで枯れてゆく。それを見ると心が痛んで、幼子(おさなご)が乳を求めるように、天空を振り仰いで恵みの雨を待っている。今しも山の尾根にまざまざと見える天の白雲よ、海神の統(す)べたまう沖の宮のあたりまで立ち広がり、一面にかき曇って、どうか雨をお与え下さい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よも【四方】名詞:①東西南北。前後左右。四方(しほう)。②あたり一帯。いたるところ。(学研)

(注の注)四方の道:東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の七道。(伊藤脚注)

(注)い尽す極み:すり減ってなくなる果てまで。(伊藤脚注)

(注)をつつ【現】名詞:今。現在。「をつづ」とも。(学研)

(注の注)今のをつつに:今の今まで。(伊藤脚注)

(注)つかさ【長/首】:①主要な人物。首長。おさ。②主要なもの。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

(注の注)万調奉るつかさと:よろずの貢物を奉る、その第一の物だと思って。(伊藤脚注)

(注)みどりこ【嬰児】名詞:おさなご。乳幼児。 ※後には「みどりご」とも。(学研)

(注)たをり【撓り】名詞:「たわ①」に同じ。(学研)

(注の注)たわ【撓】名詞:山の尾根の、くぼんで低くなっている部分。鞍部(あんぶ)。「たをり」とも。(学研)

(注)とのぐもる【との曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「との」は接頭語。(学研)

 

 

 反歌もみてみよう。

 

◆許能美由流 久毛保妣許里弖 等能具毛理 安米毛布良奴可 己許呂太良比尓

       (大伴家持 巻十八 四一二三)

 

≪書き下し≫この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心(こころ)足(だ)らひに

 

(訳)今しもまざまざと見えるこの雲がはびこって、一面にかき曇り、雨がどっと降ってくれないものか。心ゆくまで。(同上)

(注)ほびこる【蔓=延る】[動ラ四]:いっぱいにひろがる。はびこる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)たらふ【足らふ】自動詞:①すべて不足なく備わっている。完全である。②十分に資格が備わる。 ※動詞「たる」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」が付いて一語化したもの。(学研)

 

左注は、「右二首六月一日晩頭守大伴宿祢家持作之」<右の二首は、六月の一日の晩頭(ひのぐれ)に、守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

(注)右二首:天皇に代わる国守の任務として雨を乞うた歌。(伊藤脚注)

 

 もう一首、四一二四歌もみてみよう。

 

題詞は、「賀雨落歌一首」<雨落(ふ)るを賀(ほ)ぐ歌一首>である。

 

◆和我保里之 安米波布里伎奴 可久之安良婆 許登安氣世受杼母 登思波佐可延牟

       (大伴家持 巻十八 四一二四)

 

≪書き下し≫我が欲(ほ)りし雨は降り来(き)ぬかくしあらば言挙(ことあ)げせずとも年は栄(さか)えむ

 

(訳)われらが願いに願った雨はとうとう降ってきた。こうなったからには、事々しく言い立てなくても、秋の実りは栄えまさるにちがいない。(同上)

(注)言挙げせずとも:仰々しく言い立てなくても。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首同月四日大伴宿祢家持作」<右の一首は、同じき月の四日に、大伴宿禰家持作る>である。

 

 

雨乞い信仰の弓月が岳

 一〇八七、一〇八八歌に関し、堀内民一氏は、その著「大和万葉―その歌の風土」(創元社)の中で、「この歌は、水の信仰に深い巻向の斎槻が嶽の神に献じたともいうべき、本格的な万葉きっての自然詠である。おそらく柿本人麿の歌と考えてよいだろう。・・・高鳴る山河の瀬の音を耳にした時、人麿の心は、たちわたる斎槻が嶽の雲に、雨を祈った上古大和人への心に動いていただろう。民間の素朴な祈念を歌の上にあらわしたのである。穴師川は斎槻が嶽信仰のための、禊ぎ場だったのである。斎槻が嶽を境にして、東は初瀬領、西は巻向領だ。土地の人はこの山を仰いで、どちらからも、『リョウサン』と呼び、ひでりにはこの山に雲がかかるのを待ちこがれた。巻向山中のいちばん高い五六七・一メートルの山が村人の呼ぶ『リョウサン』で・・・万葉の斎槻が嶽であろう。」と書いておられる。

 さらに、この地の高龗神(たかおかみ)を祀る高龗神社・高山神社・菅原神社等の所在地群にふれ「リョウサン」の雨乞い信仰の根深さについて言及されている。

(注)たかおかみ【高龗】:(「たか(高)」は山峰を意味し、「龗」は水をつかさどる蛇体の神のこと) 「日本書紀」一書に見える神。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がその子軻遇突智(かぐつち)を斬った時に、雷神・山神とともに出生した神。水をつかさどる神として、闇龗(くらおかみ)とともに、祈雨・止雨の信仰を受けた。たかおかみのかみ。※書紀(720)神代上(兼方本訓)「其の一段は是れ、雷の神と為る。一段は是れ、大山祇(つみ)の神と為る。一段は是れ、高龗(タカヲカミ)と為る」(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 

 

 2022年10月12日に県立万葉公園・人麻呂展望広場を訪れているが、同広場の「大和・旅の広場」の二六四歌と一〇八八歌(下記写真の六と九)の歌碑を撮り洩らしていた。今回再度訪れ、前稿と本稿で追加紹介することができたのである。

県立万葉公園・人麻呂展望広場「大和・旅の広場」の人麻呂が大和で詠った歌十三首

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

★「万葉集四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアムHP)