●歌は、「…わが戀ふる千重も一重も慰むる情もありやと吾妹子が止まず出で見し軽の市にわが立ち聞けば玉襷畝火の山に鳴く鳥の聲も聞こえず玉桙の道行く人も 一人だに似てし行かねばすべをなみ妹が名喚びて袖ぞ振りつる(柿本人麻呂 2-207)」、「うつせみと思ひし時に取り持ちて我がふたり見し・・・(柿本人麻呂 2-210)」そして「うつそみと思ひし時にたづさはり我がふたり見し出立の 百枝槻の木こちごちに枝させるごと春の葉の 茂きがごとく思へりし(柿本人麻呂 2-213)」ならびに「秋山のしたへる妹なよ竹のとをよる子らはいかさまに思ひ居れるか・・・(柿本人麻呂 2-217)」である。
●歌碑は、柿本人麻呂の2-207は、奈良県橿原市見瀬町牟佐坐神社に、柿本人麻呂の2-210は、奈良県明日香村 川原バス停南に、柿本人麻呂の2-217が静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園にある。
●それぞれ歌をみていこう。
二〇七から二一六歌の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌>とあり、二群の長反歌になっている。すなわち「二〇七(長歌)、二〇八・二〇九(短歌)」と「二一〇(長歌)、二一一・二一二(短歌)」の二群である。さらに「或本の歌に日はく」とあり、長歌一首と短歌三首「二一三(長歌)、二一四~二一六(短歌)」が収録されている。泣血哀慟歌と言われている。
※ 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「人麻呂の哀歓」の「女の死」の項では、巻二、二〇七~二一六ならびに巻二、二一七~二一九で紹介されている。長歌を代表歌としてみてみることにいたします。
■柿本人麻呂の2-207■
◆天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而<一云、聲耳聞而> 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴<或本、有謂之名耳聞而有不得者句>
(柿本人麻呂 巻二 二〇七)
≪書き下し≫天飛ぶや 軽(かる)の道(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行(ゆ)かば 人目(ひとめ)を多み 數多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かずら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて 玉ざかる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠(がく)るごと 沖つ藻の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみぢば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あずさゆみ) 音(おと)に聞きて<一には「音のみ聞きて」といふ> 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音(おと)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我(わ)が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまぼこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる<或本には「名のみ聞きてありえねば」といふ句あり>
(訳)軽(かる)の巷(ちまた)は我がいとしい子のいる里だ、だから通いに通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知られてしまうので、今は控えてのちのちにと先を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも、空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻さながら私に寄り添い寝たあの子は散る黄葉(もみぢ)のはかない身になってしまったと、事もあろうにあの子の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報せに<あまりな報せだけに>どう言ってよいかどうしてよいかわからず、報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、あの子がかつてしょっちゅう出で立って見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、あの子の声はおろか畝傍の山でいつも鳴く鳥の声さえも聞こえず、道行く人も一人としてあの子に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、あの子の名を呼び求め、ただひたすらに袖を振り続けた。<噂だけを聞いてすます気にはとてもなれないので>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(学研)
(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)
(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)
(注)たまづさの 【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)
(注)あづさゆみ 【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その140改)」で短歌二首とともに紹介している。
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なお、二〇八歌の歌碑は奈良県橿原市地黄町柿本人丸神社境内にある。これについては拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その115改)で紹介している。
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■柿本人麻呂の2-210■
◆打蝉等 念之時尓<一云宇都曽臣等念之> 取持而 吾二人見之 趍出之 堤尓立有 槻木之 己知碁智乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 馮有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 鳥徳自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不楽晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥乃 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見手 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髪髴谷裳 不見思者
(柿本人麻呂 巻二 二一〇)
≪書き下し≫うつせみと 思ひし時に<一には「うつそみと思ひし」といふ> 取り持ちて 我(わ)がふたり見し 走出(はしりで)の 堤(つつみ)に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背(そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天領巾(あまひれ)隠(がく)り 鳥じもの 朝立(あさだ)ちいまして 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 男(をとこ)じもの 脇(わき)ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝(ね)し 枕付(まくらづ)く 妻屋(つまや)のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽がいひの山に 我(あ)が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば
(訳)あの子がずっとうつせみのこの世の人だとばかり思い込んでいた時に<うつそみのこの世の人だとばかり思い込んでいた>、手に取りかざしながらわれらが二人して見た、長く突き出た堤に立っている槻の木の、そのあちこちの枝に春の葉がびっしり茂っているように、絶え間なく思っていたいいとしい子ではあるが、頼りにしていたあの子ではあるが、常なき世の定めに背くことはできないものだから、陽炎(かげろう)の燃え立つ荒野に、真っ白な天女の領布(ひれ)に蔽(おほ)われて、鳥でもないのに朝早くわが家をあとにして行かれ、山に入り沈む日のように隠れてしまったので、あの子が形見に残していった幼な子が物欲しさに泣くたびに、何をあてごうてよいやらあやすすべも知らず、男だというのに小脇に抱きかかえて、あの子と二人して寝た離れの中で、昼はうら寂しく暮らし、夜は溜息(ためいき)ついて明かし、こうしていくら嘆いてもどうしようもなく、いくら恋い慕っても逢える見込みもないので、大鳥の羽がいの山に私の恋い焦がれるあの子はいると人が言ってくれるままに、岩を押しわけ難渋してやって来たが、何のよいこともない。ずっとこの世の人だとばかり思っていたあの子の姿がほんのりともみえないことを思うと。(同上)
(注)「取り持ちて」以下「茂きがごとく」まで、歌垣の思い出を譬喩に用いたもの。(伊藤脚注)
(注)はしりで【走り出】家から走り出たところ。家の門の近く。一説に山裾(すそ)や堤などが続いているところ。「わしりで」とも。(学研)
(注)こちごち【此方此方】あちこち。そこここ。 ※上代語(学研)
(注)ひれ【領巾・肩巾】名詞:首から両の肩に掛けて左右に垂らす、細長くて薄い、白い絹布。古代から魔よけなどの力をもつと信じられ、祭儀のときの服飾にも使われ、男女ともに用いた。平安時代からは女性のみの装飾品となり、礼服・朝服として用いられた。(学研)
(注)鳥じもの:鳥でもないのに鳥であるかのように。(伊藤脚注)
(注の注)とりじもの【鳥じもの】分類枕詞:鳥のようにの意から「浮き」「朝立ち」「なづさふ」などにかかる。 ※「じもの」は接尾語。みどり-こ 【嬰児】
名詞
おさなご。乳幼児。◆後には「みどりご」とも。
(注)みどり子:一~三歳の子。(伊藤脚注)
(注)男じもの:まるで男ではないかのように。(伊藤脚注)
(注の注)をとこじもの【男じもの】副詞:男であるのに。 ※「じもの」は接尾語。(学研)
(注)まくらづく【枕付く】分類枕詞:枕が並んでくっついている意から、夫婦の寝室の意の「妻屋(つまや)」にかかる。(学研)
(注)羽がひの山:妻を隠す山懐を鳥の羽がいに見立てたもので、天理市と桜井市にまたがる竜王山か。(伊藤脚注)
(注)妹はいます:こう言って遺族を慰める習慣があった。(伊藤脚注)
(注)岩根さくみて:岩を押し分けて難渋してやってきたが。(伊藤脚注)
(注の注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)
(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その177改)」で、短歌二首とともに紹介している。
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なお二一二歌の歌碑は奈良県天理市中山町長岳寺北山の辺の道沿いにある。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その58改)」で紹介している。
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■柿本人麻呂の2-213■
題詞は、「或本歌曰」<或本の歌に曰く>である。
◆宇都曽臣等 念之時 携手 吾二見之 出立 百兄槻木 虚知期知尓 枝刺有如 春葉 茂如 念有之 妹庭雖在 恃有之 妹庭雖有 世中 背不得者 香切火之 燎流荒野尓 白栲 天領巾隠 鳥自物 朝立伊行而 入日成 隠西加婆 吾妹子之 形見尓置有 緑兒之 乞哭別 取委 物之無者 男自物 腋挟持 吾妹子與 二吾宿之 枕附 嬬屋内尓 日者 浦不怜晩之 夜者 息衝明之 雖嘆 為便不知 唯戀 相縁無 大鳥 羽易山尓 汝戀 妹座等 人云者 石根割見而 奈積来之 好雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者
(柿本人麻呂 巻二 二一三)
≪書き下し≫うつそみと 思ひし時に たづさはり 我(わ)がふたり見し 出立(いでたち)の 百枝(ももえ)槻(つき)の木(き) こちごちに 枝(えだ)させるごと春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間(よのなか)を 背(そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天(あま)領巾(ひれ)隠(がく)り 鳥じもの 朝立(あさだ)ち行きて 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り委(まか)する 物しなければ 男(をとこ)じもの 脇(わき)ばさみ持ち 我妹子(わぎもこ)と 二人我(わ)が寝(ね)し 枕(まくら)付(づ)く 妻屋(つまや)のうちに 昼(ひる)は うらさび暮らし 夜(よる)は 息づき明かし 嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽(は)がひの山に 汝(な)が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 灰にていませば
(訳)あの子はずっとこの世の人だと思っていた時に、手を携えて二人して見た、まっすぐに突き立つ百枝(ももえ)の槻(つき)の木、その木がありこちに枝を伸ばしているように、その春の葉がびっしりと茂っているように、絶え間なく思っていたいとしい子ではあるが、頼りにしていたあの子ではあるが、常なき世の定めに背くことはできないものだから、陽炎(かげろう)の燃え立つ荒野に、まっ白な天女の領布(ひれ)に蔽われて、鳥でもないのに朝早くわが家をあとにして行き、山に入る日のように隠れてしまったので、あの子が形見に残していった幼な子が物欲しさに泣くたびに、何をやってよいやらあやすすべを知らず、男だというのに、小脇に抱きかかえて、あの子と二人して寝た離れの中で、昼はうら寂しく暮らし、夜は溜息ついて明かし、こうしていくら嘆いてもどうしようもなく、いくら恋い慕っても逢(あ)える見こみもないので、「大鳥の羽がいの山にあなたの恋い焦がれるお方はおいでになります」と人が言ってくれたままに、岩根を押しわけて難渋してやって来たが、何のよいこともない。ずっとこの世の人だとばかり思っていたあの子が、空しくも灰となっておいでになるので。(同上)
(注)「たづさはり 我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと春の葉の 茂きがごとく」では、軽の池で二人が逢ったことを示す表現ではない。(伊藤脚注)
(注)いでたち【出で立ち】名詞:①(山・樹木などが)突き出てそびえている姿。②旅に出ること。出立(しゆつたつ)。出立準備。③世に出ること。立身出世。④宮仕えに出ること。出仕。⑤身なり。(学研)ここでは①の意
(注)「灰にて」だと、妻は死んでいる。二一〇の「見えなく」だと、妻は山中のどこかにまだいるかもしれないことになる。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1279)」で短歌三首とともに紹介している。
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■柿本人麻呂の2-217■
題詞は、「吉備津采女死時、柿本朝臣人麿作歌一首 幷短歌」<吉備津采女(きびつのうねめ)が死にし時に、柿本朝臣人麿が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。
(注)吉備津采女:吉備の国(岡山県)の津の郡出身の采女。(伊藤脚注)
◆秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髪髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纏而 釼刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也
(柿本人麻呂 巻二 二一七)
≪書き下し≫秋山の したへる妹(いも) なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居(を)れか 栲縄(たくなは)の 長き命(いのち)を 露こそは 朝(あした)に置きて 夕(ゆうへ)は 消(き)ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失(う)すといへ 梓弓(あづさゆみ) 音(おと)聞く我(わ)れも おほに見し こと悔(くや)しきを 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 剣太刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その夫(つま)の子は 寂(さぶ)しみか 思ひて寝(ぬ)らむ 悔(くや)しみか 思ひ恋ふらむ 時にあらず 過ぎにし子らが 朝露(あさつゆ)のごと 夕霧(ゆふぎり)のごと
(訳)秋山のように美しく照り映えるおとめ、なよ竹のようにたよやかなあの子は、どのように思ってか、栲縄(たくなわ)のように長かるべき命であるのに、露なら朝(あさ)置いて夕(ゆうべ)には消えるというが、霧なら夕に立って朝にはなくなるというが、そんな露や霧でもないのにはかなく世を去ったという、その噂を聞く私でさえも、おとめを生前ぼんやりと見過ごしていたことが残念でたまらないのに・・・。まして、敷栲(しきたへ)の手枕を交わし身に添えて寝たであろうその夫だった人は、どんなに寂しく思って一人寝をかこっていることであろうか。どんなに心残りに思って恋い焦がれていることであろうか。思いもかけない時に逝(い)ってしまったおとめの、何とまあ、朝霧のようにも夕霧のようにもあることか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)あきやまの【秋山の】分類枕詞:秋の山が美しく紅葉することから「したふ(=赤く色づく)」「色なつかし」にかかる。(学研)
(注)したふ 自動詞:木の葉が赤く色づく。紅葉する。(学研)
(注)なよたけの【弱竹の】分類枕詞:①細いしなやかな若竹がたわみやすいところから、「とをよる(=しんなりとたわみ寄る)」にかかる。②しなやかな竹の節(よ)(=ふし)の意で、「よ」と同音の「夜」「世」などにかかる。 ※「なよだけの」「なゆたけの」とも。(学研)ここでは①の意
(注)とをよる【撓寄る】自動詞:しなやかにたわむ。(学研)
(注)たくなはの【栲縄の】分類枕詞:「栲縄(たくなは)」は長いところから、「長し」「千尋(ちひろ)」にかかる。(学研)
(注の注)たくなは【栲縄】名詞:こうぞの皮をより合わせて作った白い縄。漁業に用いる。※後世「たぐなは」とも。(学研)
(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)ここでは②の意
(注)音聞く我れも:はかなくも世を去ったという、その噂を聞く私でさえも。(伊藤脚注)
(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。 ※「おぼなり」とも。上代語。(学研)
(注)夫(つま)の子:主人公の夫。采女は臣下との結婚を禁じられていた。(伊藤脚注)
(注)時にあらず過ぎにし子:その時でもないのに思いがけなく逝ってしまった子。自殺したことが暗示されている。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1556)」で紹介している。
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「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「人麻呂の哀歓」の「女の死」の項を読み進もう。
「『柿本朝臣人麿の妻死(みまか)りし後に、泣血ち哀慟みて作れる歌二首』・・・には、或る本の歌が添えられており、合計三首、反歌を含めると十首に及ぶ歌群である。(巻二、二〇七~二一六)
歌は作者が軽に妻をもっていたという想定からはじまる。しかもそれは人目をはばかる『隠(かく)し妻』であった。・・・第一首は、妻の住む軽の里に足しげく通いたいのだが、人目をはばかって遠く恋うばかりであったのに、『沖(おき)つ藻の 靡(なび)きし妹は 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと』知らされる。そこでこの恋の『千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もありやと』、『我妹子(わぎもこ)が 止(や)まず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば』と軽の里に出かけていく。むろん死んだ妻に逢うことはできない。『すべをなみ 妹が名喚(よ)びて 袖(そで)そ振りつる』と口を閉じるばかりである。つまり、『靡きし』妹を失って『慰もる』こともなき彷徨、その果てにあたえられるものは『すべを無み』という絶望である。・・・ただし第二首の前半は・・・『藻』による愛の譬喩はない。・・・『うつせみと 思ひし時に たづさへて わが二人見し 走出(はしりで)の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 児らにはあれど』というものだが・・・これは・・・『靡く』といった男女の愛の、具体的な描写といえよう。
この具体性は次の段落、母に先立たれた嬰児(の)・・・叙述になる。そして終末の段落は、やはり嘆いても『せむすべ知ら』ず、妹が大鳥の羽交(はがい)の山(いまの竜王山か)にいると聞いて『石根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し』という。・・・現実的に描こうとしたものは、『靡く』姿とひとしいものであり、『慰もる』ことのない内容であった。この点において、人麻呂はすべて、愛のみを主題として女の死をいたんだのである。」(同著)
「・・・吉備津(きびつの)采女の死んだときの長歌(巻二、二一七~二一九)もひとしい。 『秋山の したへる妹(いも) なよ竹の とをよる子ら』は、朝霧のように、また夕霧のように、いま時ならず過ぎて(死んで)いって、『敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 剣刀(つるぎたち) 身に副(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その夫(つま)の子はさぶしみか 思ひて寝(ぬ)らむ』と悲しく同情するが、さてその死は、『栲縄(たくなは)の 長き命を 露こそは 朝に置きて 夕(ゆうべ)は 消(き)ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝(あした)は 失すといへ』と、露・霧のごとき命のゆえだと考えた。人間の運命は死ぬべく定められていた。そこでいっそう人麻呂の愛への情念は、はげしく燃えたのであろう。その愛と死という裏側から見るのが、彼に課せられた役目だった、とは。」(同著)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」