万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2624)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「天飛ぶや軽の路は我妹子が里にしあればねもころに見まく欲しけど止まず行かば人目を多みまねく行かば人知りぬべみ・・・我が戀ふる千重も一重も慰むる情もありやと我妹子が止まず出で見し軽の市にわが立ち聞けば玉たすき畝火の山に鳴く鳥の聲も聞こえず玉桙の道行く人もひとりだに似てし行かねばすべをなみ妹が名喚びて袖ぞ振りつる(柿本人麻呂 2-207)」である。

 

【軽】

 「(柿本人麻呂 巻二‐二〇七)(歌は省略) 軽といえば、人麻呂の軽にいた妻の死をなげく悲痛な歌を思うことであろう。人目をしのんで通う軽の女のところにたびたびも行きかねて恋いこがれているうちに、訃報(ふほう)を得てどうにもたまらず軽の市にきてみると、畝傍山の鳥の声も聞こえず、女の姿もまったくなく、仕方なしに彼女の名をよんで袖を振ったという歌。なにかとくに秘さねばならぬ人であったらしくその人の幻影をいだいて軽の市をさまよう姿も浮かんでくる。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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二〇七歌をみてみよう。

■巻二 二〇七歌■

◆天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而<一云、聲耳聞而> 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴<或本、有謂之名耳聞而有不得者句>

         (柿本人麻呂 巻二 二〇七)

 

≪書き下し≫天飛(あまと)ぶや 軽(かる)の道(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行(ゆ)かば 人目(ひとめ)を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて 玉ざかる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠(がく)るごと 沖つ藻(も)の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみちば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あづさゆみ) 音(おと)に聞きて<一には「音のみ聞きて」といふ> 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音(おと)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我(わ)が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまほこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる<或本には「名のみ聞きてありえねば」といふ句あり>

 

(訳)軽(かる)の巷(ちまた)は我がいとしい子のいる里だ、だから通いに通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知られてしまうので、今は控えてのちのちにと先を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも、空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻さながら私に寄り添い寝たあの子は散る黄葉(もみぢ)のはかない身になってしまったと、事もあろうにあの子の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報せに<あまりな報せだけに>どう言ってよいかどうしてよいかわからず、報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、あの子がかつてしょっちゅう出で立って見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、あの子の声はおろか畝傍の山でいつも鳴く鳥の声さえも聞こえず、道行く人も一人としてあの子に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、あの子の名を呼び求め、ただひたすらに袖を振り続けた。<噂だけを聞いてすます気にはとてもなれないので>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。「あまとぶや鳥」。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。「あまとぶや軽の道」。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)軽の道:橿原市の東南、大軽町あたり。市が立ち、古くから賑わった。(伊藤脚注)

(注)人知りぬべみ:ベミはベシのミ語法。(伊藤脚注)

(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(学研)

(注)玉かぎる:「岩垣淵」の枕詞。以下二句は序。「隠りのみ」を起す。(伊藤脚注)

(注の注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)隠りのみ:ひっそりと思いを秘めて。(伊藤脚注)

(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)

(注)たまづさの 【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)梓弓:「音」(報せ)の枕詞。(伊藤脚注)

(注の注)あづさゆみ 【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)我が立ち聞けば:妻が軽の巷に紛れ込んでいるかもしれぬと思っての行為。(伊藤脚注)

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

(注)鳴く鳥の:以下六句、雑踏に佇みながら孤愁に沈むさま。(伊藤脚注)

(注)妹が名呼びて袖ぞ振りつる:妹の名を呼ぶことで現れる幻影に向かって袖を振る。(伊藤脚注)

(注)名のみ聞きてありえねば:「音のみを聞きてありえねば」の異伝。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その140改)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社万葉歌碑(柿本人麻呂 2-207) 20190630撮影

 

 

 「軽は、いま畝傍山の東南、大軽(橿原市)に名をとどめ、大軽の台地から、下(しも)つ道の街道に沿う見瀬(みせ)、近鉄岡寺駅方面にもおよんでいたらしく、大陸文化を背景にした物々交易の市(いち)として古くから栄え、天武朝、藤原京ごろにも聚楽をなしていたようである。・・・大軽の小字北垣内(きたがいと)春日社のところで、孝元天皇軽島豊明(かるのしまのとよのあきら)宮址の石標があり、森の中の現法輪寺は軽寺の址で・・・丸山古墳の前方部に立てば、軽地域の全貌が見おろされる。」(同著)

(注)同著巻末「万葉全地名の解説」の項に、「軽(かる) 橿原市大軽(おおがる)・見瀬(みせ)・石川・五条野諸町一帯の地。懿徳・孝元・応神三朝の皇居のあったところと伝え、往古、大陸文化を背景にした文化の中心地であった。」と書かれている。

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 この記述には下記のマップが参考になるので再掲いたします。

「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課・橿原市観光協会)より引用させていただきました。



 

 

 大軽町春日神社の境内には、巻十一 二六五六の歌碑があり、「応神天皇軽島豊明宮址」の石標がある。

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その136改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「橿原の万葉歌碑めぐり」 (橿原市観光政策課・橿原市観光協会