万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2134)―①-6奈良県橿原市万葉歌碑(3)―

奈良県橿原市城殿町本薬師寺跡万葉歌碑(巻三 三三四)■

奈良県橿原市城殿町本薬師寺跡万葉歌碑(大伴旅人) 

●歌をみていこう。

 

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

       (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐につけました。香具山のあのふるさと飛鳥の里を、いっそのことわすれてしまうために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)わすれぐさ【忘れ草】名詞:草の名。かんぞう(萱草)の別名。身につけると心の憂さを忘れると考えられていたところから、恋の苦しみを忘れるため、下着の紐(ひも)に付けたり、また、垣根に植えたりした。歌でも恋に関連して詠まれることが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その135改)」で紹介している。「帥大伴卿歌五首」(三三一から三三五歌)についてもふれている。

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奈良県橿原市大久保町 大久保町公民館万葉歌碑(巻十六 三七八六)■

奈良県橿原市大久保町 大久保町公民館万葉歌碑(作者未詳) 20190606撮影

●歌をみてみよう。

 

◆春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 其一

           (作者未詳    巻十六 三七八六)

 

≪書き下し≫春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも その一

 

(訳)春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)にしようと私が心に思い込んでいた桜の花、その花ははや散って行ってしまったのだ、ああ。 その一 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)挿頭にせむ:髪飾りにしようと。妻にすることの譬え。(伊藤脚注)

(注)桜の花:娘子桜児の譬え。(伊藤脚注)

 

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 桜児伝説の由縁とかかわる男二人の歌が収録されており、この歌は巻十六の巻頭歌である。由縁ならびに歌二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その134改)」で紹介している。

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奈良県橿原市石川町 石川池(剣池)畔万葉歌碑(巻三 三九〇)■

奈良県橿原市石川町 石川池(剣池)畔万葉歌碑(紀皇女) 20190604撮影

●歌をみていこう。

 

◆軽池之 汭廻往轉留 鴨尚尓 玉藻乃於丹 獨宿名久二

        (紀皇女 巻三 三九〇)

 

≪書き下し≫軽(かる)の池の浦(うら)み行(ゆ)き廻(み)る鴨(かも)すらに玉藻(たまも)の上(うへ)にひとり寝なくに

 

(訳)軽の池の岸辺に沿うて行きめぐる鴨でさえ、玉藻の上にただ独りで寝はしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)軽の池:橿原市の東南、大軽町あたりにあった池。(伊藤脚注)

(注)玉藻の上にひとり寝なくに:独り寝の侘しさを言う。(伊藤脚注)

 

紀皇女については、「コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus 」には、

「?-? 飛鳥(あすか)時代、天武天皇の皇女。母は石川大蕤娘(おおぬのいらつめ)。恋の歌2首が「万葉集」にのる。その1首には、高安(たかやすの)王にひそかに通じて世間から非難されたときにつくったという伝承があるが、年代があわず多紀(たきの)皇女の誤写とする説もある。異母兄弓削(ゆげの)皇子の「紀皇女を思(しの)ぶ」相聞歌などがのこされている。」と書かれている。

 

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 三九〇歌ならびに誤写とされる三〇九八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その137改)」で紹介している。

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橿原市白橿町 白橿近隣公園(沼山古墳)万葉歌碑(巻一 十三)■

橿原市白橿町 白橿近隣公園(沼山古墳)万葉歌碑(中大兄皇子) 20220901撮影

●歌をみていこう。

 

◆高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉

        (中大兄皇子 巻一 十三)

 

≪書き下し≫香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

 

(訳)香具山は、畝傍をば失うには惜しい山だと、耳成山と争った。神代からこんな風であるらしい。いにしえもそんなふうであったからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うのであるらしい。(同上)

(注)畝傍(うねび)を惜(を)しと:畝傍を失うのは惜しいと。香具山・耳成山が男山、畝傍が女山。(伊藤脚注)

(注)古も:現在にずっと続いてきている過去をいう。(伊藤脚注)

(注)しかにあれこそ うつせみも:そうであればこそ現世の人も・・・。今在る事を神代からの事として説明するのは神話の型。(伊藤脚注)

 

 題詞は、「中大兄(なかのおほえ)<近江の宮に天の下知らしめす天皇>の三山の歌」である。

 



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この歌ならびに大和三山の「畝傍」「耳成」を詠んだ歌・歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1789)」で紹介している。

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大和三山の「香久山」を詠んだ歌は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1788)」で紹介している。

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奈良県橿原市見瀬町 牟佐坐神社万葉歌碑(巻二 二〇七)■

奈良県橿原市見瀬町 牟佐坐神社万葉歌碑(柿本人麻呂) 20190630撮影

●歌をみていこう。

 

歌碑は、原文、書き下し、訳ともにアンダーライン部である。

 

◆天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而<一云、聲耳聞而> 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴<或本、有謂之名耳聞而有不得者句>

        (柿本人麻呂 巻二 二〇七)

 

≪書き下し≫天飛ぶや 軽(かる)の道(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行(ゆ)かば 人目(ひとめ)を多み 數多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かずら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて 玉ざかる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠(がく)るごと 沖つ藻の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみぢば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あずさゆみ) 音(おと)に聞きて<一には「音のみ聞きて」といふ> 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音(おと)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我(わ)が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまぼこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる<或本には「名のみ聞きてありえねば」といふ句あり>

 

(訳)軽(かる)の巷(ちまた)は我がいとしい子のいる里だ、だから通いに通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知られてしまうので、今は控えてのちのちにと先を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも、空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻さながら私に寄り添い寝たあの子は散る黄葉(もみぢ)のはかない身になってしまったと、事もあろうにあの子の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報せに<あまりな報せだけに>どう言ってよいかどうしてよいかわからず、報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、あの子がかつてしょっちゅう出で立って見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、あの子の声はおろか畝傍の山でいつも鳴く鳥の声さえも聞こえず、道行く人も一人としてあの子に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、あの子の名を呼び求め、ただひたすらに袖を振り続けた。<噂だけを聞いてすます気にはとてもなれないので>(同上)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)

(注)たまづさの 【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)あづさゆみ 【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その140改)」で紹介している。

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 橿原市の歌碑紹介は本稿で終わりとなります。次稿は奈良県吉野町の巻です。

 パンフレット「橿原の万葉歌碑めぐり」のおかげで橿原市の歌碑はすべて周ることができました。ブログでは割愛したものもあります。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus 」