万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1789)―橿原市白橿町 白橿近隣公園(沼山古墳)―万葉集巻一 十三

●歌は、「香具山は畝傍を惜しと耳成と相争ひき神代よりかくにあるらし古もしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき」である。

橿原市白橿町 白橿近隣公園(沼山古墳)万葉歌碑(中大兄皇子

●歌碑は、橿原市白橿町 白橿近隣公園(沼山古墳)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉

        (中大兄皇子 巻一 十三)

 

≪書き下し≫香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

 

(訳)香具山は、畝傍をば失うには惜しい山だと、耳成山と争った。神代からこんな風であるらしい。いにしえもそんなふうであったからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うのであるらしい。(伊藤 博著「萬葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)畝傍(うねび)を惜(を)しと:畝傍を失うのは惜しいと。香具山・耳成山が男山、畝傍が女山。(伊藤脚注)

(注)古も:現在にずっと続いてきている過去をいう。(伊藤脚注)

(注)しかにあれこそ うつせみも:そうであればこそ現世の人も・・・。今在る事を神代からの事として説明するのは神話の型。(伊藤脚注)

 

 題詞は、「中大兄(なかのおほえ)<近江の宮に天の下知らしめす天皇>の三山の歌」である。

 この十三歌と反歌(十四・十五歌)の歌群からなる。この題詞の脚注で、伊藤 博氏は、「以下三首、八歌(熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな<額田王>)と同じ旅の歌らしい。」と書かれている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1713)」で紹介している。

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 「香具山」と詠んだ歌十三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1788)」で紹介したところである。

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大和三山の名の「畝傍」「耳成」を詠んだ歌もみてみよう。

 

■■「畝傍」を詠んだ歌■■

■二九首■

◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>

       (柿本人麻呂 巻一 二九)

 

≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或いは「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>

 

(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(同上)                    

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)

(注)ひじり【聖】名詞:①天皇。▽高い徳で世を治める人。②聖人。▽徳の高いりっぱな人。③達人。名人。▽その道で最も優れた人。④高徳の僧。聖僧。⑤修行僧。僧。法師。(学研)ここでは①の意で、初代神武天皇をさす。

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

(注)しらしめす【知らしめす・領らしめす】他動詞:お治めになられる。▽「知る・領(し)る」の尊敬語。連語「知らす」より敬意が高い。 ⇒参考 動詞「しる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」からなる「しらす」に尊敬の補助動詞「めす」が付いて一語化したもの。上代語。中古以降は「しろしめす」。(学研)

(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)

(注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。 ⇒参考 『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)かすみ-たつ 【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1141)」で紹介している。

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■五二歌■ 「耳成」も詠われている。

◆八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水

       (作者未詳 巻一 五二)

 

≪書き下し≫やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわが大君、高々と天上を照らしたまう日の神の皇子、われらの天皇(すめらみこと)が藤井が原のこの地に大宮(おおみや)をお造りになって、埴安の池の堤の上にしっかと出で立ってご覧になると、ここ大和の青々とした香具山は、東面(ひがしおもて)の大御門(おおみかど)にいかにも春山(はるやま)らしく茂り立っている。畝傍のこの瑞々(みずみず)しい山は、西面(にしおもて)の大御門にいかにも瑞山(みずやま)らしく鎮まり立っている。耳成の青菅(あおすが)茂る清々(すがすが)しい山は、北面(きたおもて)の大御門にふさわしく神さび立っている。名も妙なる吉野の山は、南面(みなみおもて)の大御門からはるか向こう、雲の彼方(かなた)に連なっている。佳山々に守られた、高く聳え立つ御殿、天(あめ)いっぱいに広がり立つ御殿、この大宮の水こそは、とこしえに湧き立つことであろう。ああ御井(みい)の真清水は。(同上)

(注)藤井が原:藤の茂る井のある原。(伊藤脚注)

(注)埴安の(池):香具山の麓にあった池。(伊藤脚注)

(注)ありたつ【あり立つ】自動詞:①いつも立っている。ずっと立ち続ける。②繰り返し出かける。(学研)ここでは①の意

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)たかしる 高知る】他動詞:①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。 ※「たか」はほめことば、「しる」は思うままに取りしきる意。(学研)ここでは①の意

 

 この歌については、前術の「香具山」を詠んだ歌十三首<ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1788)>のなかで紹介している。

 

 

 

■二〇七歌■

◆天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而<一云、聲耳聞而> 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴<或本、有謂之名耳聞而有不得者句>

      (柿本人麻呂 巻二 二〇七)

 

≪書き下し≫天飛ぶや 軽(かる)の道(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行(ゆ)かば 人目(ひとめ)を多み 數多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かずら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて 玉ざかる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠(がく)るごと 沖つ藻の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみぢば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あずさゆみ) 音(おと)に聞きて<一には「音のみ聞きて」といふ> 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音(おと)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我(わ)が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまぼこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる<或本には「名のみ聞きてありえねば」といふ句あり>

 

(訳)軽(かる)の巷(ちまた)は我がいとしい子のいる里だ、だから通いに通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知られてしまうので、今は控えてのちのちにと先を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも、空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻さながら私に寄り添い寝たあの子は散る黄葉(もみぢ)のはかない身になってしまったと、事もあろうにあの子の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報せに<あまりな報せだけに>どう言ってよいかどうしてよいかわからず、報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、あの子がかつてしょっちゅう出で立って見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、あの子の声はおろか畝傍の山でいつも鳴く鳥の声さえも聞こえず、道行く人も一人としてあの子に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、あの子の名を呼び求め、ただひたすらに袖を振り続けた。<噂だけを聞いてすます気にはとてもなれないので>(同上)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)

(注)たまづさの 【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)あづさゆみ 【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その140改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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■五四三歌■

天皇行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

       (笠金村 巻四 五四三)

 

≪書き下し≫大君の 行幸(みゆき)のまにま もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)と 出で行きし 愛(うるは)し夫(づま)は 天(あま)飛ぶや 軽(かる)の路(みち)より 玉たすき 畝傍(うねび)を見つつ あさもよし 紀伊道(きぢ)に入り立ち 真土(まつち)山 越ゆらむ君は 黄葉(もみちば)の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我(わ)れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙(もだ)もえあらねば 我(わ)が背子(せこ)が 行きのまにまに 追はむとは 千(ち)たび思へど たわや女(め)の 我(あ)が身にしあれば 道守(みちもり)の 問はむ答(こた)へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく

 

(訳)天皇行幸につき従って、数多くの大宮人たちと一緒に出かけて行った、ひときわ端正な私の夫は、軽の道から畝傍山を見ながら紀伊の道に足を踏み入れ、真土山を越えてもう山向こうに入っただろうかが、その背の君は黄葉の葉の散り乱れる風景を眺めながら、朝夕馴(な)れ親しんだ私のことなどは思わずに、旅はいいものだと思っていると、一方では私はうすうす気づいてはいるけれど、さりとてじっと待っている気にもなれないので、あの方の行った道筋どおりに、あとを追って行きたいと何度も何度も思うのだが、か弱い女の身のこととて、関所の役人に問い詰められたらどう答えたらよいのやら、言いわけする手だてもわからなくて、立ちすくんでためらうばかりだ。(同上)

(注)うるはし【麗し・美し・愛し】形容詞:①壮大で美しい。壮麗だ。立派だ。②きちんとしている。整っていて美しい。端正だ。③きまじめで礼儀正しい。堅苦しい。④親密だ。誠実だ。しっくりしている。⑤色鮮やかだ。⑥まちがいない。正しい。本物である。(学研)ここでは②の意

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。「あまとぶや鳥」。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。「あまとぶや軽の道」。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)真土山:この山を越えると異郷の紀伊の国、妻の心配が増す。(伊藤脚注)

(注)にきぶ【和ぶ】自動詞:安らかにくつろぐ。なれ親しむ。(学研)

(注)旅をよろし:あなたは旅はいいものだと思っているだろと。旅先では一夜妻を楽しむ風があった。その点も意識した表現。(伊藤脚注)

(注)あそそには:薄々とは。「あそ」は「浅」の意か。(伊藤脚注)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考:副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1420)」で紹介している。

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■四四六五歌■

◆比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎ゝ 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都ゝ 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓 美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代ゝゝ 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母

      (大伴家持 巻二十 四四六五)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の門(と)開き 高千穂の 岳(たけ)に天降(あも)りし すめろきの 神の御代(みよ)より はじ弓を 手(た)握(にぎ)り持たし 真鹿子矢(まかごや)を 手挟(たばさ)み添へて 大久米(おほくめ)の ますらたけをを 先に立て 靫(ゆき)取り負(お)ほせ 山川を 岩根(いはね)さくみて 踏み通り 国(くに)求(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向(ことむ)け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕(つか)へまつりて 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原の 畝傍(うねび)の宮に 宮柱(みやばしら) 太知(ふとし)り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろき)の 天の日継(ひつぎ)と 継ぎてくる 君の御代(みよ)御代(みよ) 隠さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極(きは)め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 言(こと)立(だ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負(お)へる ますらをの伴(とも)

 

(訳)遥かなる天つ空の戸、高天原(たかまのはら)の天の戸を開いて、葦原(あしはら)の国高千穂(たかちほ)の岳(たけ)に天降(あまくだ)られた皇祖(すめろき)の神の御代から、はじ木の弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、真鹿子矢(まかごや)を手挟み添え、大久米のますら健男(たけお)を前に立てて靫を背負わせ、山も川も、岩根を押し分けて踏み通り、居(い)つくべき国を探し求めては、荒ぶる神々をさとし、従わぬ人びとをも柔らげ、この国を掃き清めお仕え申し上げて、蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の山に、宮柱を太々と構えて天の下をお治めになった天皇(すめろき)、その尊い御末(みすえ)として引き継いでは繰り返す大君の御代御代のその御代ごとに、曇りのない誠の心をありったけ日継ぎの君に捧げつくして、ずっとお仕え申してきた先祖代々の大伴の家の役目であるぞと、ことさらお言葉に言い表わして、我が大君がお授け下さった、その祖(おや)の役目を継ぎ来り継ぎ行く子々孫々、その子々孫々のいよいよ相続くように、いや継ぎ継ぎに、目に見る人に語り継ぎに讃め伝えて、耳に聞く人は末々の手本(かがみ)にもしようものを、ああ、貶(おとし)めてはもったいない清らかな継ぎ来り継ぎ行くべき名なのだ。おろそかに軽く考えて、かりそめにも祖先の名を絶やすでないぞ。大伴の氏と、由来高く清き名に支えられている、ますらおたちよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)はじ弓:やまはぜで作った弓

(注)真鹿子矢(まかごや):鹿の角などを用いた矢か。

(注)あたらし【惜し】もったいない。惜しい。※参考「あたらし」と「をし」の違い 「を(惜)し」が自分のことについていうのに対し、「あたらし」は外から客観的に見た気持ちをいう。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その297)」で紹介している。

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■「耳成」を詠んだ歌■

■五二歌■ 前述の「畝傍」の稿参照

 

■三七八八歌■

題詞(謂れ)は、「或曰 昔有三男同娉一女也 娘子嘆息曰 一女之身易滅如露 三雄之志難平如石 遂乃彷徨池上沈没水底 於時其壮士等不勝哀頽之至 各陳所心作歌三首  娘子字曰  ▼兒也」<或(ある)いは曰(い)ふ。 昔、三人(みたり)の男(をのこ)あり。同(とも)に一女(ひとり)の女(をみな)を娉(よば)ふ。娘子(をとめ)嘆息(なげ)きて曰(い)はく、「一人(ひとり)の女の身、滅(け)やすきこと露のごとし。三人の雄(をのこ)の志(こころ)、平(やは)しかたきこと石のごとし」といふ。つひにすなはち、池の上(ほとり)を彷徨(たちもとほ)り、水底(みなそこ)に沈(しづ)み没(い)りぬ。時に、その壮士(をとこ)ども、哀頽(かなしび)の至ろに勝(あ)へず、おのもおのも所心(おもひ)を陳(の)べて作る歌三首  娘子は、字を▼児(かづらこ)といふ>である。

  ▼は「縵」 「▼児」で「かづらこ」

(注)たちもとほる【立ち徘徊る】自動詞:歩きまわる。徘徊(はいかい)する。(学研)

 

無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸 [一]

       (作者未詳 巻十六 三七八八)

 

≪書き下し≫耳成(みみなし)の池し恨めし我妹子(わぎもこ)が来つつ潜(かづ)かば水は涸(か)れなむ [一]

 

(訳)耳成(みみなし)の池はほんとに恨めしい。いとしいあの子がここを行きつ戻りつして身を沈めるというのなら、水なんてすぐ干上がってしまうべきなのに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)耳成の池:大和の耳成山周辺にあった池であろう。(伊藤脚注)

 

 三七八九、三七九〇歌もみてみよう。

 

◆足曳之 山▼之兒 今日徃跡 吾尓告世婆 還来麻之乎 [二]

       (作者未詳 巻十六 三七八九)

 

≪書き下し≫あしひきの山縵(やまかづら)の子今日(けふ)行くと我(わ)れに告(つ)げせば帰り来(こ)ましを [二]

 

(訳)山のひかげのかずら、その名を持つ縵児(かづらこ)よ、今日あの世に行くと私に告げてくれたなら、あなたの所へ飛んで帰って来たのに。(同上)

(注)山縵(やまかづら)の子:娘子縵児。呼びかけ。(伊藤脚注)

 

 

◆足曳之 玉▼之兒 如今日 何隈乎 見管来尓監 [三]

       (作者未詳 巻十六 三七九〇)

 

≪書き下し≫あしひきの玉縵(たまかづら)の子今日(けふ)のごといづれの隈(くま)を見つつ来(き)にけむ [三]

 

(訳)山の玉縵(たまかずら)の名を持つ縵児よ、あとを追おうとさまよう今日の私のように、あなたは死に場所を求めてどの道の曲がり角を見ながらやって来たのであろうか。(同上)

(注)玉縵の子:娘子縵児。呼びかけ。(伊藤脚注)

(注)くま【隈】名詞:①曲がり角。曲がり目。②(ひっこんで)目立たない所。物陰。③辺地。片田舎。④くもり。かげり。⑤欠点。短所。⑥隠しだて。秘密。(学研)

(注の注)隈:道の曲がり角の物蔭。死に場所。(伊藤脚注)

 

 

 

 8月29日にブログ(その1713)「東山魁夷せとうち美術館前庭の歌碑(プレート):中大兄皇子 巻一 十三歌」について書こうとした時、橿原市白橿町近隣公園の歌碑が頭に浮かび前回紹介事例としようとした。

 ところが調べてみると、この歌については、2019年5月2日作成のブログ「桧原井寺池畔の同歌の歌碑」しかリストに出てこない。

 おかしいと、橿原市の万葉歌碑リストの資料メモを探し出してチェックしてみると2019年6月18日に巡った、⑦南浦町古池、⑩畝尾都多本神社、⑪天香具山、⑫天香山神社、⑭紀寺跡、㉑白橿町近隣公園のデータが完全に抜け落ちていることが分かった。

 ブログも作成したつもりでいた。写真とブログのリンクもしっかりしたものになっていなかったのである。

 そもそも今回の「桜井市吉備池ならびに橿原市万葉歌碑巡り」を行なったきっかけはこの白橿近隣公園(沼山古墳)のブログがなかったことから始まったのである。

 白橿南コミュニティセンターの駐車場に車を停めさせてもらう。沼山古墳の行先案内板に従い古墳を左手に回り込む。カブトムシの大きな遊具が出迎えてくれる。その先の石段を上る。やがて右手に歌碑が現れる。

カブトムシやテントウムシの遊具が迎えてくれる!

石段を上った先右手に歌碑が見えてくる



(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「橿原の万葉歌碑めぐり」 (橿原市パンフレット)