万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2414)―

■つが■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「玉たすき畝傍の山の橿原の・・・神のことごと栂の木の・・・見ればかなしも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(柿本人麻呂) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>

         (柿本人麻呂 巻一 二九)

 

≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或い「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>

 

(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)           

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)

(注)ひじり:支配者。ここは初代神武天皇。(伊藤脚注)

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。

(注)そらにみつ>そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。「そらみつ大和の国」(学研)

(注)いかさまなり【如何様なり】形容動詞ナ:どのようだ。どんな具合だ。(学研)

(注)いかさまに思ほしめせか:痛恨の気持から出た表現。挽歌の常套句。(伊藤脚注)

(注)石走る:「近江」の枕詞。以下六句、山の地大和に対し水の地近江を選んだのか、の意がこもる。(伊藤脚注)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。「ささなみの長等」。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。「ささなみの寄り来る」 ⇒参考:『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)天皇の神の命:天智天皇への神名的呼称。(伊藤脚注)

(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)

(注)きる【霧る】自動詞:①霧や霞(かすみ)が立ちこめる。かすむ。②目が涙でかすんでよく見えない。(学研)ここでは①の意

(注)ももしきの【百敷の・百石城の】分類枕詞:「ももしき」は「ももいしき(百石木)」の変化した語。多くの石や木で造ってあるの意から「大宮」にかかる。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その233)」で、反歌二首と共に紹介されている。

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 「栂の木」を詠った歌は、集中五首があり、いずれも長歌である。他の四首をみてみよう。

 

■三二四歌■

◆三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者

         (山部赤人 巻三 三二四)

 

≪書き下し≫みもろの 神(かむ)なび山に 五百枝(いほえ)さし 繁(しげ)に生ひたる 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく ありつつも やまず通(かよ)はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜(よ)は 川しきやけし 朝雲(あさぐも)に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒(さわ)く 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ いにしへ思へば

 

(訳)神の来臨する神なび山にたくさんの枝をさしのべて盛んに生い茂っている栂の木、その名のようにいよいよ次々と、玉葛(たまかずら)のように絶えることなく、こうしてずっといつもいつも通いたいと思う明日香の古い都は、山が高く川が雄大である。春の日は山を見つめていたい、秋の夜は川の音が澄みきっている。朝雲に鶴は乱れ飛び、夕霧に河鹿は鳴き騒いでいる。ああ見るたびに声に出して泣けてくる。栄えいましたいにしえのことを思うと。(伊藤 博 著 「万葉集一」 角川ソフィア文庫より)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かむなびやま【神奈備山】名詞:神の鎮座する山。「かみなびやま」「かんなびやま」とも。 ⇒参考:三諸(みもろ)山(今の奈良県高市郡明日香(あすか)村)と三室(みむろ)山(今の奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町)が有名で、その別名として多く用いられた。(学研)

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

(注)たまかづら【玉葛・玉蔓】分類枕詞:つる草のつるが、切れずに長く延びることから、「遠長く」「絶えず」「絶ゆ」に、また、つる草の花・実から、「花」「実」などにかかる。(学研)

(注)「山高み」以下「かはづは騒く」まで、明日香讃美。対句構成への意識がいちじるしい。(伊藤脚注)

(注)とほしろし 形容詞:①大きくてりっぱである。雄大である。②けだかく奥深い。◇歌学用語。(学研)ここでは①の意

 

 堀内民一氏は、その著「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「春と秋、朝雲と夕霧、鶴と河鹿と、自然の風物に対句表現を使って、整斉のリズムを示している点は、多分に漢詩の影響があり、山部赤人歌の特色を出している。そういう古き都の自然に接して、その古(いにしえ)を思うと、胸に迫って涙ぐまれる。と、都の花やかな頃を思い出して、そのよいけしきが徐々にさびれていくのを悲傷している。移り行くものへの悲しみである」と書かれている。

 

 題詞は、「登神岳山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<神岳(かみをか)に登りて、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷せて短歌>である。

 

 この歌については、短歌と共に拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その176)」で紹介している。

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■九〇七歌■

題詞は、「養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首 幷短歌」<養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首 幷短歌>である。

(注)養老七年:723年

(注)幸す:元正天皇行幸。(伊藤脚注)

 

◆瀧上之 御舟乃山尓 水枝指 四時尓生有 刀我乃樹能 弥継嗣尓 萬代 如是二二知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴将有 國柄鹿 見欲将有 山川乎 清々 諾之神代従 定家良思母

       (笠金村 巻六 九〇七)

 

≪書き下し≫滝(たき)の上(うへ)の 三船(みふね)の山に 瑞枝(みずえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(とが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 万代(よろづよ)に かくし知らさむ み吉野の 秋津(あきづ)の宮は 神(かむ)からか 貴(たふと)くあるらむ 国からか 見(み)が欲(ほ)しからむ 山川(やまかは)を 清みさやけみ うべし神代(かみよ)ゆ 定めけらしも

 

(訳)み吉野の激流のほとりの三船の山に瑞々(みずみず)しい枝をさし延べて生い茂っている栂(とが)の木、その栂の木のとがという名のようにつぎつぎと、代々の天皇がこのように万代(よろづよ)の末までもお治めになる、ここみ吉野の秋津の宮は、国つ神の神々しさのせいかまことに尊い、国柄が立派なせいか誰もが見たいと心引かれる。山も川も清くさわやかであるので、なるほど、遠い神代以来、ここみ吉野を宮所と定められたのであるらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)三船の山:吉野離宮の左向かいの山。(伊藤脚注)

(注)とがのきの【栂の木の】[枕]:「つがのきの」に同じ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)つがのきの【栂の木の】[枕]:音の類似から、「つぎつぎ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)秋津の宮:吉野離宮のあった地域一帯か。(伊藤脚注)

(注)かむから【神柄】名詞:神の性格。神の本性。「かみから」とも。 ※多く副詞的に用いられて「神の性格がすぐれているために」の意。(学研)

(注)うべし【宜し】副詞:いかにももっとも。なるほど。 ※「し」は強意の副助詞。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1823)」で紹介している。

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■四〇〇六歌■

題詞は、「入京漸近悲情難撥述懐一首幷一絶」<京に入ることやくやくに近づき、悲情撥(はら)ひかたくして懐(おもひ)を述ぶる一首幷(あは)せて一絶>である。

(注)京に入る:税帳使として京にはいること。(伊藤脚注)

(注)やくやく【漸漸】[副]:《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ひじゃう【非情】名詞:感情を持たないこと。また、その物。木石の類。 ※仏教語。[反対語] 有情(うじやう)。(学研)

(注)ぜつ【絶】〔名〕: 短歌のこと。長歌を中国風に「賦(ふ)」というのに対する。また、接尾語的に、短歌を数えるのに用いる。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

 

◆可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多氐流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈波 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加婆乎志

    (大伴家持 巻十七 四〇〇六)

 

≪書き下し≫かき数(かぞ)ふ 二上山(ふたがみやま)に 神(かむ)さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同(おや)じときはに はしきよし 我が背(せ)の君を 朝さらず 逢(あ)ひて言)こと)どひ 夕されば 手携(てたづさ)はりて 射水川(いづみがは) 清き河内(かふち)に 出で立ちて 我が立ち見れば 東(あゆの)風 いたくし吹けば 港(みなと)には 白波(しらなみ)高み 妻呼ぶと 渚鳥(すどり)は騒(さわ)く 葦(あし)刈ると 海人(あま)の小舟(をぶね)は 入江(いりえ(漕)こ)ぐ 楫(かぢ)の音(おと)高し そこをしも あやに羨(とも)しみ 偲(しの)ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇(すめろき)の 食(を)す国なれば 御言(みこと)持ち 立ち別れなば 後(おく)れたる 君はあれども 玉桙(たまほこ)の 道行く我れは 白雲(しろくも)の たなびく山を 岩根踏(ふ)み 越えへなりなば 恋(こひ)しけく 日(け)の長けむぞ そこ思(も)へば 心し痛し ほととぎす 声にあへ貫(ぬ)く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕(あさよひ)に 見つつ行(ゆ)かむを 置きて行(い)かば惜し

 

(訳)一つ二つと指折り数えるその二上山に、神々しい生い立っている栂の木、この栂の木は幹も枝先も同じようにいつも青々と茂っているが、そのように同じ族(やから)としてともに生い栄えて慕わしいあなた、そのあなたと朝ごとに顔を合わせては安否を尋ね合い、夕方になると手を取り合って射水川の清らかな川ふちに出で立って、二人して川岸にたたずみ見れば、海の方からあゆの風が激しく吹きつけるので、河口には白波が高く立って連れ合いを呼ぶとて洲鳥(すどり)は鳴き騒いでいるし、葦を刈るとて海人の小舟は入江を漕ぐ櫂(かい)の音を高く響かせている。そんなところがむしょうに懐かしく、賞(め)でながら遊ぶのにいちばんよい折なのに、天皇の代々治め給うこの国であることとて、貴い仰せを体して都へと出で立ち相別れてしまったならば、あとに残るあなたはともかく、遠い道のりを行く私の方は、白雲のたなびく山々、その山の険しい岩を踏みしめながら越えて遠く隔たってしまったならば、あなた恋しい日がいつまでも続くことになるのです。そのことを思っただけでも心が痛みます。我が時と鳴く時鳥の声に合わせて緒(お)に通すことのできる玉であなたがあればよいのに、そしたら手に巻きつけて持って、朝ごと宵ごとに見つめながら行くことができましょうに。あなたを置き去りにして行くのはつらい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かきかぞふ【搔き数ふ】他動詞:数える。 ※「かき」は接頭語。

(注)かきかぞふ【搔き数ふ】分類枕詞:「ひとつ、ふたつ」と数えるところから、「二(ふた)」と同音を含む地名「二上山(ふたがみやま)」にかかる。(学研)

(注)ときは【常磐・常盤】名詞:永遠に変わることのない(神秘な)岩。 ※参考「とこいは」の変化した語。巨大な岩のもつ神秘性に対する信仰から、永遠に不変である意を生じたもの。(学研)

(注)本も枝も:家持と池主をさす。(伊藤脚注)

(注)あゆ【東風】名詞:東風(ひがしかぜ)。「あゆのかぜ」とも。 ※上代の北陸方言。(学研)

(注)すどり【州鳥/×渚鳥】: 州(す)にいる鳥。シギ・チドリなど。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しも 副助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。〔多くの事柄の中から特にその事柄を強調する〕…にかぎって。)(学研)

(注)あやに【奇に】副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(学研)

(注)偲ひつつ遊ぶ盛りを:賞でながら遊ぶべき絶好の季節なのに。(伊藤脚注)

(注)をす【食す】他動詞①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)御言持ち:天皇のお言葉を身に受け持って。(伊藤脚注)

(注)たちわかる【立ち別る】自動詞:別れ行く。別れ去る。(学研)

(注)おくる【後る・遅る】自動詞:①あとになる。おくれる。②後に残る。取り残される。③先立たれる。生き残る。④劣る。乏しい。(学研)ここでは②の意

(注)へなる【隔る】自動詞:隔たっている。離れている。(学研)

(注)恋しけく(形容詞「こひしい」のク語法): 恋しいこと。恋しく思うこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あへぬく【合へ貫く】他動詞:合わせて貫き通す。(学研)

(注)もが 終助詞《接続》体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く。:〔願望〕…があったらなあ。…があればなあ。 ※参考 上代語。上代には、多く「もがも」の形で用いられ、中古以降は「もがな」の形で用いられた。⇒もがな・もがも(学研)

(注)置きて行かば惜し:あなたを置き去りにして行くのは切ない。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表➃)」で紹介している。

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■四二六六歌■

 題詞は、「為應詔儲作歌一首并短歌」<詔(みことのり)に応(こた)ふるために、儲(ま)けて作る歌一首并(あは)せて短歌

 

◆安之比奇能 八峯能宇倍能 都我能木能 伊也継ゝ尓 松根能 絶事奈久 青丹余志 奈良能京師尓 万代尓 國所知等 安美知之 吾大皇乃 神奈我良 於母保之賣志弖 豊宴 見為今日者 毛能乃布能 八十伴雄能 嶋山尓 安可流橘 宇受尓指 紐解放而 千年保伎 保吉等餘毛之 恵良ゝゝ尓 仕奉乎 見之貴者

      (大伴家持 巻一九 四二六六)

 

≪書き下し≫あしひきの 八峯(やつを)の上(うへ)の 栂(つが)の木の いや継々(つぎつぎ)に 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代(よろづよ)に 国知らさむと やすみしし 吾(わ)が大皇(おほきみ)の 神ながら 思ほしめして 豊(とよ)の宴(あかり) 見(め)す今日(けふ)は もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)の 島山に 赤(あか)る橘 うずに挿し 紐解き放(さ)けて 千年(ちとせ)寿(ほ)き 寿(ほ)き響(とよ)もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴(たふと)さ

 

(訳)山のあちこちの峰に生い茂る、栂(つが)の木の名のようにいよいよ次から次へと、栄え立つ松の根が絶えることのないように、ここ奈良の都で、いついつまでも安らかに国を治めようと、我が大君が神の御心のままにおぼしめされて、豊(とよ)の宴(うたげ)なさる今日この日は、もろもろの官人(つかさびと)たちが、御苑(みその)の築山(つきやま)に赤く輝く橘、その橘を髪飾りに挿し、衣の紐を解いてくつろぎ、千年万歳を寿いでいっせいに祝いの声をあげ、笑みこぼれてお仕え申し上げているさまを見ると、ただただ貴い。(同上)               

(注)うず 【〈髻華〉】上代、髪や冠に挿し、飾りにした草木の花や枝。また、冠の飾りとしてつける金属製の花や鳥や豹(ひよう)の尾。かざし。 (weblio辞書 三省堂大辞林

(注)ゑらゑら 副詞:〔多く下に「に」を伴って〕騒ぎ笑い楽しむさま(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その270改)」で紹介している。

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 以上見てきたように、家持の四〇〇六歌は、実際の栂の木を詠んでいるが、他の四首は「いやつぎつぎに」を引き出す枕詞、序詞として使われているのである。

 栂の木については、「万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)」に、「マツ科の常緑高木。ツガの木は普通『栂』と書かれ、『トガ』とも詠まれる。ツガはツギを導き、どこまでも続くことを願望する表現にみえる。原文『樛木』は、『詩経』(周南風)によったもので、くずやつたなどの蔓性植物がまつわりつく木をいう。初出は人麻呂の近江荒都歌であり『玉だすき 畝傍の山の 橿原の 聖の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを』(1-29)とあり、神武天皇の御代以来歴代の天皇が次々に天下を治めてゆく様子を詠む。以来類音により『イヤツギツギニ』を導きだす序詞として機能し、天皇がつがの木のように万代にわたって行幸され滞在なさるであろう吉野の離宮を、神そのもののようで貴い(6-907)といい、つがの木のようにつぎつぎ続いて絶えることが無く奈良の都で国を治める天皇(19-4266)の姿を詠む。このように天皇の御代の永遠性に関わる語である。一方では『かき数ふ 二上山に 神さびて 立てるつがの木』(17-4006)というようにつがの木の神々しい様子を歌うのも、人麻呂作歌以降歌語歌した永遠性を意味する『つがの木』を神聖視した表現である。」と書かれている。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂大辞林

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典