●歌は、長歌「みもろの神なび山に五百枝さし繁に生ひたる梅の木の・・・」と、
反歌「明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに」である。
飛鳥橋北側の万葉歌碑を見てから移動、あすか夢の楽市の駐車場に車を止める。そこから飛鳥寺まで歩く。
飛鳥寺境内に万葉歌碑がある。ちょうど植木屋さんが境内の樹木の剪定作業中であった。寺の西側には五輪塔があり、蘇我入鹿の首塚といわれている。
それらも見ながら、飛鳥水落遺跡を経由してあすか夢の楽市に戻る。古代米の巻きずしを購入、車中で昼食をとる。
飛鳥寺については、あをによしなら旅ネット(奈良県観光公式サイト)によると、「推古4年(596)、仏教を保護した蘇我馬子の発願により日本初の本格的寺院として完成した。三金堂が塔を囲む大寺で、法興寺 元興寺とも呼ばれる。平城遷都に伴い奈良の地に新たに元興寺が建立されて以後は、本元興寺と呼ばれた。鎌倉時代に伽藍の大半を焼失した。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。本尊の銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時、飛鳥時代の作で日本最古の仏像。飛鳥大仏の名で親しまれる。寺の西側には蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔が残っている。境内に山部赤人の歌碑がある。」とある。
●長歌からみていこう。
◆三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
(山部赤人 巻三 三二四)
≪書き下し≫みもろの 神(かむ)なび山に 五百枝(いほえ)さし 繁(しげ)に生ひたる 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく ありつつも やまず通(かよ)はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜(よ)は 川しきやけし 朝雲(あさぐも)に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒(さわ)く 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ いにしへ思へば
(訳)神の来臨する神なび山にたくさんの枝をさしのべて盛んに生い茂っている栂の木、その名のようにいよいよ次々と、玉葛(たまかずら)のように絶えることなく、こうしてずっといつもいつも通いたいと思う明日香の古い都は、山が高く川が雄大である。春の日は山を見つめていたい、秋の夜は川の音が澄みきっている。朝雲に鶴は乱れ飛び、夕霧に河鹿は鳴き騒いでいる。ああ見るたびに声に出して泣けてくる。栄えいましたいにしえのことを思うと。(伊藤 博 著 「万葉集一」 角川ソフィア文庫より)
堀内民一氏は、その著「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「春と秋、朝雲と夕霧、鶴と河鹿と、自然の風物に対句表現を使って、整斉のリズムを示している点は、多分に漢詩の影響があり、山部赤人歌の特色を出している。そういう古き都の自然に接して、その古(いにしえ)を思うと、胸に迫って涙ぐまれる。と、都の花やかな頃を思い出して、そのよいけしきが徐々にさびれていくのを悲傷している。移り行くものへの悲しみである」と書かれている。
題詞は、「登神岳山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<神岳(かみをか)に登りて、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷せて短歌>である。
◆明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國
(山部赤人 巻三 三二五)
≪書き下し≫明日香川川淀(かはよど)さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに
(訳)明日香川の川淀を離れずにいつも立こめている霧、なかなか消え去らぬその霧と同じく、すぐ消えてしまうようなちっとやそっとの思いではないのだ、われらの慕情は。
(注)とほしろし:形容詞 ①大きくてりっぱである。雄大である。②けだかく奥深い。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉歌碑データベース」 (奈良女子大)
★「あをによしなら旅ネット」 (奈良県観光公式サイト
本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチの中味は、ロメインレタスとトマトそして焼き豚である。デザートは、スイカの切辺を6個容器に突き刺し、バナナの輪切りで楔のようにはさんだ。中央にはトンプソンとクリムゾンシードレスの切合わせを配した。