万葉歌碑を訪ねて(その2121)
これまで精力的に万葉歌碑巡りを行ってきたが、日本全体から見た万葉故地の広がりはどのようなものか気になるところである。
国土交通省の資料「万葉集と明日香について」の中に興味深い資料があったので紹介してみる。
上記の資料によれば、大和(奈良県)を中心に、万葉故地は全国6つの地域に分布している。
- 大和(奈良県)
- 中央の大和に最も近い周辺諸国を含む地域
- 山陰の石見に赴任していた柿本人麻呂によるものを中心とする地域
- 筑紫で、大宰府の影響下の地や大伴旅人、山上憶良によるものを中心とする地域
- 越中で、中央から派遣された大伴家持によるものを中心とする地域
- 東国で、高橋虫麻呂・山部赤人らによるものや、自然発生的な要素が多い地域
これで小生の万葉歌碑巡りを鳥瞰してみると、⑥の東国がほとんど手つかずで、①~⑤の地域はかなりカバーしえたと考えられるのである。
この6地域について、これまで訪れた歌碑を中心にみていこう。
■①大和(奈良県)■
同資料によると、奈良県には総地名数の1/4が集中しており、地方の歌の風土的関連を考える上で、大切な場所である。
さらに『万葉集』に所出する地名述べ総数2,900のうち、大和地方に関連する地名は延べ約900に及び、明日香村を含む高市郡に位置する地名(その一部に地名のついた単語を含む)は延べ約150を数え、飛鳥は、全国の万葉故地のなかで最も多くの地を残しているといわれている。
明日香の地は最近ご無沙汰している。この資料をもとにいろいろ検索してみると、「犬養万葉記念館HP」令和2年6月に「万葉歌碑マップ『明日香村の万葉歌碑を歩く』」が完成したと書かれていた。
国土交通省の資料には、「(万葉集に詠われた地名)を残す場所の大半は、現在も明日香村および周辺地域における特色ある歴史的風土を感じることができる場として良好に保存されており、これら万葉集に詠われた特色ある歴史的風土は国民共有の財産となっている」と書かれ代表歌として、巻七 一三一五歌、巻十一 二七〇一歌が挙げられている。
この歌をみてみよう。
◆橘之 嶋尓之居者 河遠 不曝縫之 吾下衣
(作者未詳 巻七 一三一五)
≪書き下し≫橘(たちばな)の島にし居(を)れば川遠みさらさず縫(ぬ)ひし我(あ)が下衣(したごろも)
(訳)橘の島なんかに住んでいるので、川が遠くてさ、布地をろくに晒(さら)しもせずに仕立てあげた私の肌着なんですよ、これは。(伊藤 博 著「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)橘:奈良県明日香村島庄。(伊藤脚注)
(注)さらさず縫ひし:身元も確かめず簡単に結婚したことの譬え。(伊藤脚注)
(注)下衣:自分の妻の譬え。(伊藤脚注)
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◆明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨
(作者未詳 巻十一 二七〇一)
≪書き下し≫明日香川(あすかがは)明日(あす)も渡らむ石橋(いしばし)の遠き心は思ほえぬかも
(訳)明日香川、あの川を明日にでも渡って逢いに行こう。その飛び石のように、離れ離れの遠く隔てた気持などちらっとも抱いたことはないのです。(伊藤 博 著「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)明日も渡らむ:明日にでも渡って逢いに行こう。(伊藤脚注)
(注)いはばしの【石橋の・岩橋の】分類枕詞:浅瀬に石を並べて橋と見立て、その飛び石の間隔が広かったり狭かったりすることから、「間(ま)」「近き」「遠き」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)遠き心:離れ離れの遠く隔てた気持。(伊藤脚注)
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国交省の資料には、万葉歌碑について「風土と結びついた万葉故地を体感できる飛鳥川沿いや飛鳥歴史公園内の周遊歩道沿いの他に、飛鳥寺や川原寺等の境内地、万葉文化館などに」、「史跡区域内では、飛鳥稲渕宮殿跡、飛鳥寺跡、川原寺跡及び橘寺境内」に立てられており、「万葉集に詠まれた心情を思い浮かべながら、その場の雰囲気を味わうことができる。」と書かれている。
歌碑(二七〇一歌、二五五〇歌)二つが代表例として挙げられている。歌碑ならびに歌をみてみよう。
■二七〇一歌■
二七〇一歌は先に歌を紹介しているので、ここでは歌碑を紹介する。
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その167改)」で紹介している。
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二七〇一歌の歌碑は、飛鳥川沿い雷橋上流200m左岸川原にもある。
甘樫丘豊浦休憩所前飛鳥川左岸川原万葉歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その157改)」で紹介している。
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■二五五〇歌■
●歌をみていこう。
◆立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎
(作者未詳 巻十一 二五五〇)
≪書き下し≫立ちて思ひ居(ゐ)てもぞ思ふ紅(くれない)の赤裳(あかも)裾(すそ)引き去(い)にし姿を
(訳)立っても思われ、坐っても思われてならない。紅(べに)染の赤裳の裾を引きながら、歩み去って行ったあの姿が。(同上)
(注)去にし姿:道をほのかに歩み去って行った女の姿。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その162)」で紹介している。
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甘樫丘(五一歌)ならびに飛鳥稲淵宮殿跡(一三六六歌)もみてみよう。
■甘樫丘(五一歌)■
●歌をみていこう。
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(志貴皇子 巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠(とほ)みうたづらに吹く
(訳)采女の袖をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、都が遠のいて今はただ空(むな)しく吹いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)うねめ【采女】名詞:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。(学研)
(注)袖吹きかへす明日香風:今吹く無聊の風に、采女の袖を翻した過去の風を想い見た表現。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その155)」で紹介している。
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■飛鳥稲淵宮殿跡(一三六六歌)■
歌をみていこう
◆明日香川 七瀬之不行尓 住鳥毛 意有社 波不立目
(作者未詳 巻七 一三六六)
≪書き下し≫明日香川七瀬(ななせ)の淀(よど)に棲(す)む鳥も心あれこれ波立ざらめ
(訳)明日香川の七瀬の淀に棲む鳥すらも、思いやりがあればこそ、波をたてないでいるのであろう、なのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ざらむ 分類連語:①〔「む」が意志の場合〕…まい。②〔「む」が推量の場合〕……ないだろう。 ⇒なりたち:打消の助動詞「ず」の未然形「ざら」+推量・意志の助動詞「む」(学研)ここでは②の意
(注)「不行」は、川の水が流れない、すなわち、淀んでいるところから「よど」とよんでいる。
この歌は、「噂を立てる世間のさがなさを批判した歌」である。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その165改)」で紹介している。
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本稿では、「明日香」を中心にみてきたが、次稿では、奈良県に焦点をあてて歌碑をみていこう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「犬養万葉記念館HP」