万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1415)―和歌山県橋本市 隅田町JR・南海橋本駅ー万葉集 巻七 一一九二

●歌は、「白栲ににほふ真土の山川に我が馬なづむ家恋ふらしも」である。

和歌山県橋本市 隅田町JR・南海橋本駅万葉歌碑(作者未詳)



●歌碑は、和歌山県橋本市 隅田町JR・南海橋本駅にある。

 

●歌を見ていこう。

 

◆白栲尓 丹保布信土之 山川尓 吾馬難 家戀良下

       (作者未詳 巻七 一一九二)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)ににほふ真土(まつち)の山川(やまがわ)に我(あ)が馬なづむ家恋ふらしも

 

(訳)白い栲(たえ)の布のように照り映える真土の山を流れる谷川で、私の乗っている馬が行き悩んでいる。あとに残してきた家の者が私を恋い慕っているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。(学研)ここでは①の意

(注)まつちやま【真土山】:奈良県五條市和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)ここでは①の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1384)」で紹介している。

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 この歌で使われている「なづむ(泥む)」という言葉は、めったに使わないし耳にもしない。「暮れなずむ」が記憶にある程度で逢う。万葉集で使われている歌をみてみよう。

 

◆打蝉等 念之時尓<一云宇都曽臣等念之> 取持而 吾二人見之 趍出之 堤尓立有 槻木之 己知碁智乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 馮有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 鳥徳自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不楽晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥乃 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見手 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髪髴谷裳 不見思者

         (柿本人麻呂 巻二 二一〇)

 

≪書き下し≫うつせみと 思ひし時に<一には「うつそみと思ひし」といふ> 取り持ちて 我(わ)がふたり見し 走出(はしりで)の 堤(つつみ)に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背(そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天領巾(あまひれ)隠(がく)り 鳥じもの 朝立(あさだ)ちいまして 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 男(をとこ)じもの 脇(わき)ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝(ね)し 枕付(まくらづ)く 妻屋(つまや)のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽がいひの山に 我(あ)が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば

 

(訳)あの子がずっとうつせみのこの世の人だとばかり思い込んでいた時に<うつそみのこの世の人だとばかり思い込んでいた>、手に取りかざしながらわれらが二人して見た、長く突き出た堤に立っている槻の木の、そのあちこちの枝に春の葉がびっしり茂っているように、絶え間なく思っていたいいとしい子ではあるが、頼りにしていたあの子ではあるが、常なき世の定めに背くことはできないものだから、陽炎(かげろう)の燃え立つ荒野に、真っ白な天女の領布(ひれ)に蔽(おほ)われて、鳥でもないのに朝早くわが家をあとにして行かれ、山に入り沈む日のように隠れてしまったので、あの子が形見に残していった幼な子が物欲しさに泣くたびに、何をあてごうてよいやらあやすすべも知らず、男だというのに小脇に抱きかかえて、あの子と二人して寝た離れの中で、昼はうら寂しく暮らし、夜は溜息(ためいき)ついて明かし、こうしていくら嘆いてもどうしようもなく、いくら恋い慕っても逢える見込みもないので、大鳥の羽がいの山に私の恋い焦がれるあの子はいると人が言ってくれるままに、岩を押しわけ難渋してやって来たが、何のよいこともない。ずっとこの世の人だとばかり思っていたあの子の姿がほんのりともみえないことを思うと。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「取り持ちて・・・茂きがごとく」:軽の歌垣の思いでを譬喩に用いたもの。(伊藤脚注)

(注)走出の堤:長く突き出た堤。「堤」は「槻」とともに軽の池のもの。(伊藤脚注)

(注の注)はしりで【走り出】家から走り出たところ。家の門の近く。一説に山裾(すそ)や堤などが続いているところ。「わしりで」とも。(学研)

(注)こちごち【此方此方】代名詞:あちこち。そこここ。 ※上代語。(学研)

(注)せけん【世間】名詞:①俗世。俗人。生き物の住むところ。◇仏教語。②世の中。この世。世の中の人々。③あたり一面。外界。④暮らし向き。財産。(学研)

(注の注)世間:この世は無常だという定め。「世間」は仏教語「世間空」の翻読後。その最初の用例。(伊藤脚注)

(注)かぎるひ:輝く陽。陽光。(伊藤脚注)

(注)あまひれ【天領巾】名詞:天人が身につける美しい装飾用の布。あまつひれ。(学研)

(注の注)ひれ【領布】古代の女性が用いた両肩からかける布。別名 領巾、肩巾、比礼(学研)

(注)こもり【籠り・隠り】名詞:①閉じこもって隠れること。②(ある一定期間を)寺社に泊まりこんで祈願すること。参籠(さんろう)。おこもり。(学研)

(注)天領巾隠り:柩に納めた妻の美的表現。(伊藤脚注)

(注)とりじもの【鳥じもの】枕詞:鳥のようにの意から「浮き」「朝立ち」「なづさふ」などにかかる。 ※「じもの」は接尾語。(学研)

(注)みどりこ【嬰児】名詞:おさなご。乳幼児。 ※後には「みどりご」とも。(学研)

(注)をとこじもの【男じもの】副詞:男であるのに。 ※「じもの」は接尾語。(学研)

(注)まくらづく【枕付く】分類枕詞:枕が並んでくっついている意から、夫婦の寝室の意の「妻屋(つまや)」にかかる。(学研)

(注)つまや【妻屋】名詞:夫婦の寝所。「寝屋(ねや)」とも。(学研)

(注)おほとりの【大鳥の】:[枕]大鳥の両翼が重なり合う「羽交い」の意から、地名の「羽易 (はがひ) 」にかかる。(goo辞書)

(注)羽がひの山:妻を隠す山懐を鳥の羽がいに見立てたもので、天理市桜井市にまたがる竜王山か。(伊藤脚注)

(注)さくむ [動マ四]:岩や木の間を押し分け、踏み分けて行く。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)

(注)よけく【良けく・善けく】:よいこと。 ※派生語。上代語。 ⇒なりたち 形容詞「よし」の上代の未然形+接尾語「く」(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1278)」で紹介している。

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◆鷄之鳴 東國尓 高山者 佐波尓雖有 朋神之 貴山乃 儕立乃 見杲石山跡 神代従 人之言嗣 國見為 筑羽乃山矣 冬木成 時敷時跡 不見而徃者 益而戀石見 雪消為 山道尚矣 名積叙吾来煎

        (丹比國人真人 巻三 三八二)

 

≪書き下し≫鶏(とり)が鳴く 東(あずま)の国に 高山(たかやま)は さはにあれども 二神(ふたがみ)の 貴(たふと)き山の 並(な)み立ちの 見(み)が欲(ほ)し山と 神代(かみよ)より 人の言ひ継ぎ 国見(くにみ)する 筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行(ゆ)かば 増して恋(こひ)しみ 雪消(ゆきげ)する 山道(やまみち)すらを なづみぞ我(あ)が来(け)る

 

(訳)ここ鷄が鳴く東の国に高い山はたくさんあるけれども、中でとりわけ、男(お)の神と女(め)の神の貴い山で並び立つさまが格別心をひきつける山と、神代の昔から人びとが言い伝え、春ごとに国見が行われてきた筑波の山よ、この山を今は冬でその時期でないからと国見をしないで行ってしまったなら、これまで以上に恋しさがつのるであろうと、雪解けのぬかるんだ山道なのに、そこを難渋しながら私はやっとこの頂までやって来た。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とりがなく【鳥が鳴く・鶏が鳴く】分類枕詞:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。(学研)

(注)二神の:男山と女山の二峰から成る。

(注)ふゆごもり【冬籠り】名詞:寒い冬の間、動植物が活動をひかえること。また、人が家にこもってしまうこと。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)

(注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。 ⇒参考 上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(学研)

(注の注)冬こもり時じき時と:まだ冬でその時ではないからと、の意。

(注)ゆきげ【雪消・雪解】名詞:①雪が消えること。雪どけ。また、その時。②雪どけ水。※「ゆき(雪)ぎ(消)え」の変化した語。(学研)

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)

(注)来(け)る:「来+あり」の約「来り」の連体形。やって来ている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1170)」で紹介している。

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◆烏玉之 吾黒髪尓 落名積 天之露霜 取者消乍

       (作者未詳 巻七 一一一六)

 

≪書き下し≫ぬばたまの我(わ)が黒髪に降りなづむ天(あめ)の露霜(つゆしも)取れば消(け)につつ

 

(訳)私の黒髪に降りかかる天空の露、この露は、取れば消え、取れば消えてしまって。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)降りなづむ:降ることを妨げられて髪にひっかかること。(伊藤脚注)

 

 

◆打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文吾子 諾ゝ名 母者不知 諾ゝ名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾孋

       (作者未詳 巻十三 三二九五)

 

≪書き下し≫うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子 それぞ我(わ)が妻

 

(訳)うちひさつ三宅の原を、地べたに裸足なんかを踏みこんで、夏草に腰をからませて、まあ、いったいどこのどんな娘御(むすめご)ゆえに通っておいでなのだね、お前。ごもっともごもっとも、母さんはご存じありますまい。ごもっともごもっとも、父さんはご存じありますまい。蜷の腸そっくりの黒々とした髪に、木綿(ゆう)の緒(お)であざさを結わえて垂らし、大和の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を押えにさしている妙とも妙ともいうべき子、それが私の相手なのです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(学研)ここでは「三宅」にかかっている。

(注)三宅の原:奈良県磯城郡三宅町付近。

(注)ひたつち【直土】名詞:地面に直接接していること。 ※「ひた」は接頭語。(学研)

(注)こしなづむ【腰泥む】分類連語:腰にまつわりついて、行き悩む。難渋する。(学研)

(注)うべなうべな【宜な宜な・諾な諾な】副詞:なるほどなるほど。いかにももっともなことに。(学研)

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)あざさ:ミツガシワ科アサザ属の多年生水草ユーラシア大陸の温帯地域に生息し、日本では本州や九州に生息。5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。(三宅町HP) ※あざさは三宅町の町花である。現在の植物名は「アサザ」である。

(注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その432)」で紹介している。

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「泥む(なずむ)」という言葉は、ごくごくたまに「暮れなずむ」という言葉を耳にする程度で、普段使いではない。

 この「暮れなずむ」という言葉について、NHK放送文化研究所HPに解説が掲載されているので引用させていただきます。

「まず『なずむ』という動詞があります。これは『水・雪・草などに阻まれて、なかなか思うように前に進めないこと』を表す伝統的なことばで、古事記万葉集にも出てきます。このような意味から広がって、物事がなかなかうまく進まなくなること、また、しようとしていることがうまくいかずに思い悩むこと、なども表すようになりました。

『暮れなずむ』というのは、この『物事がなかなかうまく進まなくなること』の意味を生かしたことばです。『暮れなずむ空』『暮れなずむ春の日』などのように使います。

なお『暮れなずむ』と近い意味のことばとしては、『春の季語』の『暮れかぬる(『暮れかねる』という意味)』『暮れ遅し』『夕長し』なとがあります。これらも、暮れそうでなかなか暮れない状態のこと、春の日足の長いことを表します。(後略)」

 

 

■妻の森神社西社・阿弥陀寺橋本駅

橋本駅前万葉歌碑


 事前にストリートビューで確認ができていたので、駐車場に車を停め、歌碑を撮影する。駅正面とはいえ、道の駅「紀の川万葉の里」と同様、なぜかここもトイレの近くである。「万葉歌碑」がこのような扱いをされていると寂しくなってくる。さあ水に流して写真を撮り次なる目標に!

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「三宅町HP」

★「NHK放送文化研究所HP」