万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1141)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(101)―万葉集 巻一 二九

●歌は、「玉たすき畝傍の山の橿原のひじりの御代ゆ生まれましし・・・」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(101)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(101)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」<近江(あふみ)の荒れたる都(みやこ)を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

(注)近江の荒れたる都:天智天皇の近江大津京の廃墟。

(注)過ぐる時:立ち寄って通り過ぎる時に宮跡を見て、の意

 

◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>

              (柿本人麻呂 巻一 二九)

 

≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或いは「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>

 

(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)                    

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。

学研)

(注)ひじり【聖】名詞:①天皇。▽高い徳で世を治める人。②聖人。▽徳の高いりっぱな人。③達人。名人。▽その道で最も優れた人。④高徳の僧。聖僧。⑤修行僧。僧。法師。(学研)ここでは①の意で、初代神武天皇をさす。

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

(注)しらしめす【知らしめす・領らしめす】他動詞:お治めになられる。▽「知る・領(し)る」の尊敬語。連語「知らす」より敬意が高い。 ⇒参考 動詞「しる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」からなる「しらす」に尊敬の補助動詞「めす」が付いて一語化したもの。上代語。中古以降は「しろしめす」。(学研)

(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)

(注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。 ⇒参考 『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)かすみ-たつ 【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(247)」で、近江大津京跡錦織遺跡の歌碑とともに紹介している。

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 「反歌」(三〇、三一歌)もみてみよう。

 

◆楽浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津

               (柿本人麻呂 巻一 三〇)

 

≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の唐崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人(おほみやひと)の舟待ちかねつ

 

(訳)楽浪(ささなみ)の志賀の唐崎よ、お前は昔のままにたゆとうているけれども、ここで遊んだ大宮人たちの船、その船はいくら待っても待ち受けることができない。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(241)」で、大津市唐崎 唐崎苑湖岸緑地の歌碑とともに紹介している。

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◆左散難弥乃 志我能<一云比良乃> 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛<一云将會跡母戸八>

              (柿本人麻呂 巻一 三一)

 

≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<一には「比良の」といふ>大わだ淀むとも昔(むかし)の人にまたも逢はめやも<一には「逢はむと思へや」といふ>

 

(訳)楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<比良の>大わだよ、お前がどんなに淀(よど)んだとしても、ここで昔の人に、再びめぐり逢(あ)うことができようか、できはしない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その233)」で、大津市役所時計台下の歌碑とともに紹介している。

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三〇歌では、「ひじりの御世ゆ生れましし 神のことごと」「天の下 知らしめししを 大和を置きて」「天離る 鄙にはあれど」「近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇の 神の命」と、 神としてこの世に姿を現され神武天皇以降統治されて大和を打ち捨てて、畿内を遠く離れた田舎の近江の国の大津の宮」とまさに神のなせる業と畏怖していた人麻呂の目の前の現実は、「春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる 大宮」であり、その廃墟を「見れば悲しも」と廃墟に重な人麻呂自身の空虚感を歌い上げている。

ある意味時間軸で、展開してきた絶対的なものが途切れ、その座標軸の空間軸に広がる廃墟という現実、そしてそのことが現実なのに信じられないというギャップのとてつもない大きさを読むほどに感じさせるのである。

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『ツガ』は高さ30メートルにもなる常緑高木で、葉が細く先がトゲのよになっていることから『ツガ』の名が付き、母なる木と言う意味で作られた国字で『栂(ツガ)』と書く。4月頃に極小で松笠の形の雄花が先端に付き、晩秋にマツ科特有の黄色い花粉を飛ばす。材は耐久性があり建築用材として重要とされ、樹皮からはナメシ剤や媒染剤などに利用するタンニンを採った。ツガノキは現在も観賞用として、よく庭園に植えられる。」と書かれている。

 

 

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「ツガノキ」(「庭木図鑑 植木ペディア」から引用させていただきました)


 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)」

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「庭木図鑑 植木ペディア」