万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1173)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(133)―万葉集 巻九 一八〇四

●歌は、「・・・遠つ国の黄泉の境に延ふ蔦のおのが向き向き天雲の別れし行けば・・・」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(133)万葉歌碑<プレート>(田辺福麻呂



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(133)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「哀弟死去作歌一首幷短歌」<弟(おとひと)の死去を哀(かな)しびて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穂之國尓 家無哉 又還不来 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各ゝ向ゝ 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不云 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉

                  (田辺福麻呂 巻九 一八〇四)

 

≪書き下し≫父母(ちちはは)が 成(な)しのまにまに 箸(はし)向(むか)ふ 弟(おと)の命(みこと)は 朝露(あさつゆ)の 消(け)やすき命(いのち) 神の共(むた) 争(あらそ)ひかねて 葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の国に 家なみや また帰り来(こ)ぬ 遠(とほ)つ国 黄泉(よみ)の境(さかひ)に 延(は)ふ蔦(つた)の おのが向き向き 天雲(あまくも)の 別れし行けば 闇夜(やみよ)なす 思ひ惑(まと)はひ 射(い)ゆ鹿(しし)の 心(こころ)を痛み 葦垣(あしかき)の 思ひ乱れて 春鳥(はるとり)の 哭(ね)のみ泣(な)きつつ あぢさはふ 夜昼(よるひる)知らず かぎろひの 心燃えつつ 悲しび別(わか)る

 

(訳)父さん母さんが生んで下さった順序のままに、箸のように揃って育ったたいせつな私の弟は、消えやすい朝露のようにはかない寿命で、神の思し召しに背くこともできなくて、この葦原の瑞穂の国に我が家がないとでも思うのか、息閉じたまま二度と帰って来ない。遠い遠い黄泉の地に、勝手に顔を向けて、天雲のように別れて行くというものだから、残される私は闇夜に紛れるように途方に暮れ、悲しみに心が痛むままに、あれこれ取り乱し、春鳥のように声張りあげて泣いたりもし、夜と昼のけじめもわからないほど狂おしい心をたぎらせてたりもし、途方もない悲しみに暮れながら野辺の送りに別れを告げるのだ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考 名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)成しのまにまに:生みの順序のままに。

(注)はしむかふ【箸向かふ】:[枕]2本の箸のように兄弟が相対するところから、「弟(おと)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あさつゆの【朝露の】分類枕詞:①朝露は消えやすいことから、「消(け)」「消(き)ゆ」、また「命」にかかる。②朝露が置く意から、「置く」に、また同音の「起く」にかかる。(学研)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)とほつくに【遠つ国】名詞:①遠方の国。②死者の魂が行く国。黄泉(よみ)の国。(学研)

(注の注)ここでは「黄泉」に懸る枕詞。

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)むきむき【向き向き】名詞:めいめいが別の方向を向いていること。思い思い。(学研)

(注の注)おのが向き向き:自分勝手に顔を向けて

(注)あまくもの【天雲の】分類枕詞:①雲が定めなく漂うところから、「たどきも知らず」「たゆたふ」などにかかる。②雲の奥がどこともわからない遠くであるところから、「奥処(おくか)も知らず」「はるか」などにかかる。③雲が離れ離れにちぎれるところから、「別れ(行く)」「外(よそ)」などにかかる。④雲が遠くに飛んで行くところから、「行く」にかかる。 ※「あまぐもの」とも。(学研)

(注)いゆししの【射ゆ猪鹿の】分類枕詞:射られ、傷を負った獣の意から「心を痛み」「行きも死なむ」にかかる。(学研)

(注)あしかきの【葦垣の】分類枕詞:①葦垣は古びて乱れやすいことから「古(ふ)る」「乱る」などにかかる。②外と隔てることから「外(ほか)」にかかる。③間をつめて編むことから「間ぢかし」にかかる。(学研)

(注)はるとりの【春鳥の】[枕]:春の鳥のようにの意から、「音(ね)のみ泣く」「さまよふ」にかかる。(welio辞書 デジタル大辞泉

(注)あぢさはふ 分類枕詞:①「目」にかかる。語義・かかる理由未詳。②「夜昼知らず」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

 

 「所射十六乃」は、戯書である。「十六」と書いて「しし」と読ませている。

 

 「遠(とほ)つ国 黄泉(よみ)の境(さかひ)に 延(は)ふ蔦(つた)の おのが向き向き 天雲(あまくも)の 別れし行けば 闇夜(やみよ)なす 思ひ惑(まと)はひ 射(い)ゆ鹿(しし)の 心(こころ)を痛み 葦垣(あしかき)の 思ひ乱れて 春鳥(はるとり)の 哭(ね)のみ泣(な)きつつ あぢさはふ 夜昼(よるひる)知らず かぎろひの 心燃えつつ 悲しび別(わか)る」の箇所の太字部はすべて枕詞である。

 

 反歌もみてみよう。

 

◆別而裳 復毛可遭 所念者 心乱 吾戀目八方 <一云 意盡而>

                   (田辺福麻呂 巻九 一八〇五)

 

≪書き下し≫別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて我(あ)れ恋ひめやも <一には「心尽して」といふ>

 

(訳)今(いま)野辺送りしても、また逢うことができると思えるならば、これほど心を取り乱して私が恋い慕うことなどあるものか。<お前だけに心を傾けて>

 

 

◆蘆桧木笶 荒山中尓 送置而 還良布見者 情苦喪

                   (田辺福麻呂 巻九 一八〇六)

 

≪書き下し≫あしひきの荒山中(あらやまなか)に送り置きて帰らふ見れば心苦(こころぐる)しも

 

(訳)人気のない山の中で野辺送りをすませて、一人、また一人と帰って行くのを見ると、胸がえぐられてしまう。(同上)

(注)荒山中:人の気配のない、荒涼とした山中。葬った所をいう。

(注)かへらふ【帰らふ・還らふ・反らふ】分類連語:①次々と(度々(たびたび))かえる。②繰り返す。③しきりに…する。 ⇒なりたち 動詞「かへる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

 

 肉親が亡くなった時の思いはいずれの世も切ないものがある。

 

 大伴家持も弟書持が他界したことを知り「長逝(ちょうせい)せる弟(おとひと)を哀傷(かな)しぶる歌一首 幷(あは)せて短歌」(三九五七~三九五九歌)を詠んでいる。

 

 最愛の弟大津皇子の死を悼んだ姉の大伯皇女の歌ほど胸をしめつけてくる歌はない。

題詞は、「大津皇子薨之後大来皇女従伊勢斎宮上京之時御作歌二首」<大津皇子の薨(こう)ぜし後に、大伯皇女(おほくのひめみこ)、伊勢の斎宮(いつきのみや)より京に上る時に作らす歌二首>である。

 

◆神風乃 伊勢能國尓母 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓

                  (大伯皇女 巻二 一六三)

 

≪書き下し≫神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何(なに)しか来けむ君もあらなくに

 

(訳)荒い風の吹く神の国伊勢にでもいた方がむしろよかったのに、どうして帰って来たのであろう、我が弟ももうこの世にいないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓

                    (大伯皇女 巻二 一六四)

 

≪書き下し≫見まく欲(ほ)り我がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに

 

(訳)逢いたいと私が願う弟ももうこの世にいないのに、どうして帰って来たのであろう。いたずらに馬が疲れるだけだったのに。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その106改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞は、「移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首」<大津皇子の屍(しかばね)を葛城(かづらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はぶ)る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首>である。

 

◆宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見

              (大伯皇女 巻二 一六五)

 

≪書き下し≫うつそみの人にある我(あ)れや明日(あす)よりは二上山(ふたかみやま)を弟背(いろせ)と我(あ)れ見む

 

(訳)現世の人であるこの私、私は、明日からは二上山を我が弟としてずっと見続けよう。(同上)

 

 父天武天皇も、母大田皇女(天智天皇皇女)もいない。大伯皇女は十余年奉仕した伊勢の斎宮の職を解かれて大和に帰って来た。最愛の弟も二上山に葬られた。それだけに、「うつそみの人なる我れや」は一層「哀傷(かな)しび」の度合いを感じさせるひびきとなっている。

 

もう一首もみてみよう。

 

◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓

              (大伯皇女 巻二 一六六)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うえ)に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど見(み)すべき君が在りと言はなくに

 

(訳)岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折(たお)りたいと思うけれども。これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その173改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉