万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2648)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「藤原の大宮仕へ生れ付くや娘子がともは羨しきろかも(作者未詳 1-53)」である。

 

 「作者未詳 巻一‐五三(歌は省略)・・・持統八年(六九四)一二月浄御原宮から・・・移って、文武天皇をへて、元明天皇和銅三年(七一〇)まで一六年間、唐の長安の都に模したはじめての大都城藤原京が営まれた。宮址についていろいろの説があったが、昭和一〇年前後と近年の発掘調査によって朝堂院諸施設のあとはすべて明らかとなり、ここに定まったといってよい。三山のほぼ中央、広々とした平野を前にしたかっこうの位置で、はじめに藤井の井泉があったことから『藤井が原』とよばれ、やがて『藤原』と称されて、この井泉をよりどころにして、藤原宮がいとなまれたのであろう。この井泉に中心をおいて宮の永遠をことほぎたたえた歌(巻一‐五二)の反歌がこの歌である。水をくむのは古代から女性の仕事であって、宮仕えの若やかな采女(うねめ)たちが嬉々として立ちうごく井泉の実景をとらえ、今後とこしえに生まれついでに奉仕するであろう采女たちへの羨望をうたうことによって、宮ぼめの心をあらわしたものである。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 五二・五三歌をみていこう。

 

■■巻一 五二・五三歌■■

題詞は、「藤原宮御井歌」<藤原の宮の御井(みゐ)に歌>である。

(注)御井:聖泉。土地の命の根源。(伊藤脚注)

(注注)みゐ【御井】〘 名詞 〙: ( 「み」は接頭語 ) 井を尊んでいう。水くみ場。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

■巻一 五二歌■

◆八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水

       (作者未詳 巻一 五二)

 

≪書き下し≫やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわが大君、高々と天上を照らしたまう日の神の皇子、われらの天皇(すめらみこと)が藤井が原のこの地に大宮(おおみや)をお造りになって、埴安の池の堤の上にしっかと出で立ってご覧になると、ここ大和の青々とした香具山は、東面(ひがしおもて)の大御門(おおみかど)にいかにも春山(はるやま)らしく茂り立っている。畝傍のこの瑞々(みずみず)しい山は、西面(にしおもて)の大御門にいかにも瑞山(みずやま)らしく鎮まり立っている。耳成の青菅(あおすが)茂る清々(すがすが)しい山は、北面(きたおもて)の大御門にふさわしく神さび立っている。名も妙なる吉野の山は、南面(みなみおもて)の大御門からはるか向こう、雲の彼方(かなた)に連なっている。佳山々に守られた、高く聳え立つ御殿、天(あめ)いっぱいに広がり立つ御殿、この大宮の水こそは、とこしえに湧き立つことであろう。ああ御井(みい)の真清水は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)藤井が原:藤の茂る井のある原。題詞の「藤原」に同じ。(伊藤脚注)

(注)埴安の(池):香具山の麓にあった池。(伊藤脚注)

(注)ありたつ【あり立つ】自動詞:①いつも立っている。ずっと立ち続ける。②繰り返し出かける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)「大和の」以下、日の経(東)の香具山、日の緯(西)の畝傍山、背面(北)の耳成山、影面(南)の吉野山をほめ、藤原京の環境を讃美する。(伊藤脚注)

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)たかしる 高知る】他動詞:①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。 ※「たか」はほめことば、「しる」は思うままに取りしきる意。(学研)ここでは①の意

 

 

 

■巻一 五三歌■

◆藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 乏吉呂賀聞

      (作者未詳 巻一 五三)

 

≪書き下し≫藤原の大宮仕(つか)へ生(あ)れ付(つ)くや娘子(をとめ)がともは羨(とも)しきろかも

 

(訳)藤原の大宮仕え、その仕え者としてこの世に生まれ付(つ)いたおとめたち、ああ、おとめたちは羨ましい限りだ。(同上)

(注)大宮仕(つか)へ生(あ)れ付(つ)く:大宮仕えとして生まれ付いた。(伊藤脚注)

(注)ろ :間投助詞《接続》:①は終止した文に付く。〔感動〕…よ。②は体言、形容詞の連体形に付く。〔感動〕…よ。…なあ。▽「ろかも」の形で用いる。 ※上代語。⇒参考:①を終助詞とする説もある。また、東歌に多いことから、東国方言とも考えられている。現代語の「見せろ」などの命令形語尾の「ろ」はこの「ろ」が残ったものという。②を終助詞・接尾語とする説もある。(学研)

 

 左注は「右の歌、作者未詳」である。

 

 五二・五三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1805)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

特別史跡藤原宮跡」の碑 20190604撮影



 

 

藤原京跡遠望 20190604撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典