万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2149)―(1)大津市・草津市・湖南市(その2)―

大津市唐崎 唐崎苑湖岸緑地万葉歌碑(巻一 三〇)■

大津市唐崎 唐崎苑湖岸緑地万葉歌碑(柿本人麻呂) 20191009撮影

●歌をみていこう。

 

◆楽浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津

        (柿本人麻呂 巻一 三〇)

 

≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の唐崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人(おほみやひと)の舟待ちかねつ

 

(訳)楽浪(ささなみ)の志賀の唐崎よ、お前は昔のままにたゆとうているけれども、ここで遊んだ大宮人たちの船、その船はいくら待っても待ち受けることができない。(同上)

 

 

大津市唐崎 唐崎苑湖岸緑地万葉歌碑(巻一 一五二)■

大津市唐崎 唐崎苑湖岸緑地万葉歌碑(舎人吉年) 20191009撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「天皇大殯之時歌二首」<天皇の大殯(おほあらき)の時の歌二首>である。

(注)あらき【殯】名詞:埋葬までの間、死者を一時的に棺に納めて安置しておくこと。また、その場所。「もがり」とも。⇒大殯:天皇の殯(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

◆八隈知之 吾期大王乃 大御船 待可将戀 四賀乃唐埼  舎人吉年

        (舎人吉年 巻一 一五二)

 

≪書き下し≫やすみしし我が(わ)ご大君(おほきみ)の大御船(おほみふね)待ちか恋ふらむ志賀(しが)の唐崎(からさき) 舎人吉年(とねりのえとし)

 

(訳)八方を知らしめす我が大君の大御船、その船が着くのを今も待ち焦がれていることであろうか。志賀の唐崎は。(伊藤 博 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)舎人吉年(とねりのよしとし):?-? 飛鳥(あすか)時代の歌人。宮廷につかえた女官といわれる。「万葉集」に天智(てんじ)天皇没後の大殯(おおあらき)の際の挽歌(ばんか)1首と、大宰府(だざいふ)におもむく田部櫟子(たべの-いちいこ)への相聞歌(そうもんか)1首の計2首がある。名は「えとし」「きね」ともよむ。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 先の巻一 三〇歌と一五一、一五二歌ならびに「大后(おほきさき)の御歌一首(一五三歌)」、石川夫人(ぶにん)が歌一首(一五四歌)」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その241,242)」で紹介している。

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同緑地にはもう一基万葉歌碑(但馬皇女 巻二 一一五)がある。



大津市田上枝町 田上枝公園グランド駐車場入口「砂防百年の碑」(巻一 五〇)■

大津市田上枝町 田上枝公園グランド駐車場入り口「砂防百年の碑」(藤原宮之役民)
 20101009撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「藤原宮之役民作歌」<藤原の宮の役民(えきみん)の作る歌>である。

 

 

◆八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 檜乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須郎牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

       (藤原宮之役民 巻一 五〇)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君 高照らす 日の荒田への御子(みこ) 荒栲(あらたへ)の 藤原が上(うへ)に 食(お)す国を 見(み)したまはむと みあらかは 高知(たかし)らむと 神(かむ)ながら 思ほすなへに 天地(あめつち)も 寄りてあれこそ 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 真木(まき)さく 檜(ひ)のつまでを もののふの 八十(やそ)宇治川(うぢうぢがわ)に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒(さわ)く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨(かも)じもの  水に浮き居(い)て 我が作る 日の御門(みかど)に 知らぬ国 寄し巨勢道(こせぢ)より 我(わ)が国は 常世(とこよ)にならむ 図(あや)負(お)へる くすしき亀(かめ)も  新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木(まき)のつまでを 百(もも)足(た)らず 筏(いかだ)に作り 泝(のぼ)すらむ いそはく見れば 神(かむ)からならし

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらが大君、高く天上を照らしたまう日の御子は、荒栲(あらたえ)の藤原の地で国じゅうをお治めになろうと、宮殿をば高々とお造りになろうと、神として思し召しになるそのお考えのままに、天地(あめつち)の神も大君に心服しているからこそ、豊(ゆた)けき近江の国の、衣手の田上山(たなかみやま)の立派な檜(ひのき)丸太(まるた)、その丸太を、もののふの八十(やそ)の宇治川(うじがわ)に、玉藻のように軽々と浮かべ流しているものだから、それを引き取ろうとせわしく働く大君の民も、家のことを忘れ、我が身のこともすっかり忘れ、鴨のように軽々と水に浮きながら、われらが造る日の宮廷(みかど)に、支配の及ばぬ異国をば寄しこせというその巨勢の方から、我が国は常世の国になるであろうという瑞(みず)に兆(しるし)を背に負うた神秘の亀も、新しい代を祝福して出ずるという泉の川に持ち運んだ檜の丸太、ああその丸太をがっしり筏に組んで、川を泝(さかのぼ)らせているのであろう。天地の神も大君の民も、先を争って精出しているのを見ると、これはまさに大君の神慮のままであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あらたへの 【荒妙の】分類枕詞:藤(ふじ)の繊維で作った粗末な布を「あらたへ」というところから、「藤江」「藤原」などの地名にかかる。(学研)

(注)をす 【食す】他動詞:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。  ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)みあらか 【御舎・御殿】名詞:御殿(ごてん)。「み」は接頭語。 ※上代語(学研)

(注)たかしらす 【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。(学研)

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)

(注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

(注)ころもでの【衣手の】分類枕詞:①袂(たもと)を分かって別れることから「別(わ)く」「別る」にかかる。②袖(そで)が風にひるがえることから「返る」と同音の「帰る」にかかる。③袖の縁で導いた「手(た)」と同音を含む地名「田上山(たなかみやま)」にかかる。(学研)

(注)まき【真木・槙】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)  

(注)たなしる【たな知る】〔「たな」は接頭語〕:十分によく知る。 (weblio辞書 三省堂大辞林

(注)かもじもの【鴨じもの】副詞:鴨のように。 ※多く「浮く」「浮き寝」などの語を修飾。「じもの」は「であるかのように」の意を表す接尾語。(学研)

(注)ももたらず【百足らず】分類枕詞:①百に足りない数であるところから「八十(やそ)」「五十(いそ)」に、また「や」や「い」の音から「山田」「筏(いかだ)」などにかかる。(学研)

 

 左注は、「右日本紀日 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮」<右は、日本紀には「朱鳥(あかみとり)七年癸巳(みづのとみ)の秋の八月に、藤原の宮地(みやところ)に幸(いでま)す。 八年甲午(きのえうま)の春の正月に、藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌(かのえうま)の朔(つきたち)の乙卯(きのとう)に、藤原の宮に遷(うつ)る」といふ>である。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その246)」で紹介している。

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大津市南小松 ホテル琵琶レイクオーツカ前万葉歌碑(巻九 一七一五)■

大津市南小松 ホテル琵琶レイクオーツカ前万葉歌碑(作者未詳) 20191009撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「槐本歌一首」<槐本が歌一首>である。

(注)槐本については不明。訓もエノモト・ツキノモトなどあるが未詳。(伊藤脚注)

 

◆樂浪之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見

       (作者未詳 巻九 一七一五)

 

≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の比良(ひら)山風(やまかぜ)の海(うみ)吹けば釣りする海人(あま)の袖(そで)返(かへ)る見(み)ゆ

(注)比良(ひら)山:琵琶湖西岸の比良山。(伊藤脚注)

 

(訳)楽浪の比良山風が湖上に吹き渡るので、釣りする海人の袖がひらひらとひるがえっている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 同歌の歌碑は、大津市和邇南浜和邇川左岸河口にある和邇川河川災害復旧助成事業(竣工平成3年7月)碑のなかのプレートにも記されている。



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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その244,245)」で紹介している。

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草津市南山田町 山田まちづくりセンター万葉歌碑(巻一 一二五五)■

草津市南山田町 山田まちづくりセンター万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而

       (作者未詳 巻七 一二五五)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(そ)むる君がため斑(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと思ひて

 

(訳)露草で着物を摺染(すりぞ)めにしている。あの方のために、斑(まだら)に染めた美しい着物に仕立てようと思って。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)つきくさ【月草】名詞:①草の名。つゆくさの古名。この花の汁を衣に摺(す)り付けて縹(はなだ)色(=薄藍(うすあい)色)に染めるが、その染め色のさめやすいことから、歌では人の心の移ろいやすいたとえとすることが多い。[季語] 秋。②襲(かさね)の色目の一つ。表裏とも縹色。あるいは裏は薄縹色。秋に着用。(学研)ここでは①の意

(注)まだら【斑】名詞:色合いの異なるものがまざっていること。(学研)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その257)」で紹介している。

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滋賀県湖南市 JR石部駅前公園万葉歌碑(巻十一 二四四四)■

滋賀県湖南市 JR石部駅前公園万葉歌碑(作者未詳) 20200210撮影

●歌をみていこう。

 

◆白檀 石邊山 常石有 命哉 戀乍居

         (作者未詳 巻十一 二四四四)

 

≪書き下し≫白真弓(しらまゆみ)石辺(いそべ)の山の常盤(ときは)なる命(いのち)なれやも戀ひつつ居(を)らむ

 

(訳)石辺の山の常盤(ときわ)、その常盤のような不変の命とでもいうのか、そうでもないのに、私は逢うこともできずにいたずらに恋いつづけている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】名詞:まゆみの木で作った、白木のままの弓。(学研

(注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】分類枕詞:弓を張る・引く・射ることから、同音の「はる」「ひく」「いる」などにかかる。 ここでは、「石辺」にかかる枕詞。(学研)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その419)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」