■ゆずりは■
●歌は、「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」である。
●歌碑は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久
(弓削皇子 巻二 一一一)
≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く
(訳)古(いにしえ)に恋い焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。 ⇒注意 「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)弓絃葉御井(読み)ゆづるはのみい:「万葉集」巻二に「幸于吉野宮時、弓削皇子贈与額田王歌一首」として詠まれる。「御井」と敬称をつけてよぶので、題詞と考え合わせて、吉野宮の井戸と考えられる。ユズリハ(交譲木)の木のそばにあった井戸の名か。(コトバンク 平凡社「日本歴史地名大系」)
題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。
(注)吉野の宮に幸(いでま)す時藤原遷都(持統八年 694年)以前の行幸らしい。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その110)」で額田王の一一二歌と共に紹介している。
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この歌の歴史的背景等については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その200改)」で紹介している。
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一一一歌では、「弓絃葉の御井」が詠われているが、御井や井戸に関わる歌や歌碑をいくつかみてみよう。
■五二歌■
巻一 五二歌の題詞は「藤原の宮の御井の歌」である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1788)」で紹介している。
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■八一歌■
題詞は、「和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢神宮時山邊御井作歌」<和銅五年壬子(みづのえね)の夏の四月に、長田王(ながたのおほきみ)を伊勢の斎宮(いつきのみや)に遣(つか)はす時に、山辺(やまのへ)の御井(みゐ)にして作る歌>である。
(注)和銅五年:712年
◆山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨
(長田王 巻一 八一)
≪書き下し≫山辺(やまのへ)の御井(みゐ)を見がてり神風(かむかぜ)の伊勢娘子(いせをとめ)ども相見(あひみ)つるかも
(訳)山辺の御井(みい)、この御井を見に来て、はからずも、神風吹く伊勢のおよめたちに出逢うことができた。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)かむかぜの【神風の】:枕詞。地名「伊勢」にかかる。「かみかぜの」とも。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その48改)」で、奈良市都祁友田町 都祁分水神社の歌碑と共に、同「同(その422)」で三重県鈴鹿市山辺町 山辺御井の碑と共に紹介している。
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一一二七、一一二八歌の標題は「詠井」<井を詠む>である。
■一一二七歌■
◆隕田寸津 走井水之 清有者 癈者吾者 去不勝可聞
(作者未詳 巻七 一一二七)
≪書き下し≫落ちたぎつ走井水(はしりゐみづ)の清くあれば置きては我(わ)れは行きかてぬかも
(訳)激しく流れ落ちる走井の水があまりにも清らかなので、見捨てては、私は、立ち去りにくい(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)はしりゐ【走り井】名詞:水が勢いよくわき出る泉。(学研)
(注の注)枕草子に「はしりゐは逢坂(あふさか)なるがをかしきなり」([訳] 勢いよくわき出る泉は逢坂の関にあるのが趣がある。) ⇒参考:「逢坂(あふさか)の関」の西にわく走り井が有名で、古来名水とされ、物語・歌にもしばしば登場する。(学研)
■一一二八歌■
◆安志妣成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨
(作者未詳 巻七 一一二八)
≪書き下し≫馬酔木(あしび)なす栄えし君が掘(ほ)りし井の石井(いしゐ)の水は飲めど飽(あ)かぬかも
(訳)馬酔木の花のように栄えた君が掘られた井戸、石で囲ったその井戸の水は、飲んでも飲んでも飲み飽きることがない。
(注)あしびなす 【馬酔木なす】分類枕詞:あしびの花が咲き栄えているようにの意から「栄ゆ」にかかる。(学研)
(注)いしゐ 【石井】名詞:岩の間から湧(わ)く清水。また、石で囲った井戸。[反対語] 板井(いたゐ)。(学研)
■一七四五歌■
題詞は、「那賀郡曝井歌一首」<那賀(なか)の郡(こほり)の曝井(さらしゐ)の歌一首>である。
◆三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我
(高橋虫麻呂 巻九 一七四五)
≪書き下し≫三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが
(訳)那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水、その水が絶え間なく湧くように、ひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。(同上)
(注)みつぐりの【三栗の】分類枕詞:栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる。(学研)
(注)上三句は序。「絶えず」を起こす。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で紹介している。
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■一八〇八歌■
◆勝壮鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家武 手兒名之所念
(高橋虫麻呂 巻九 一八〇八)
≪書き下し≫勝鹿(かつしか)の真間(まま)の井(ゐ)見れば立ち平(なら)し水汲(く)ましけむ手児名(てごな)し思(おも)ほゆ
(訳)勝鹿の真間の井を見ると、毎日何度もやって来ては、ここで水を汲んでおられたという手児名が偲(しの)ばれてならない。(同上)
(注)立ち平し:地面が平らになるほど何度も来て立って。(伊藤脚注)
(注)手児名:女への愛称。「手児」は手に抱く子が原義だが、ここはいとしい娘子の意。「名」は愛称の接尾語。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2308)」で長歌(一八〇七)とともに紹介している。
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■三二三五歌■
◆山邊乃 五十師乃御井者 自然 成錦乎 張流山可母
(巻十三 三二三五)
≪書き下し≫山辺(やまのへ)の五十師(いし)の御井(みゐ)はおのづから成れる錦(にしき)を張れる山かも
(訳)山辺の五十師の御井、この御井こそは、まさしくひとりでに織り成された錦を張り巡らした山なのだ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)「山辺の五十師の御井」は、八一歌の御井と同じ。(伊藤脚注)
■四一四三歌■
◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
(大伴家持 巻十九 四一四三)
※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花
(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その823)」で「寺井の跡」の歌碑と共に紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」