万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2446)―

■くまざさ■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(柿本人麻呂) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞:長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1272)」で、紹介している。

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 一三一から一三九までの歌群は「石見相聞歌」といわれる。

 一三一から一三七までの題詞が、「柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首 幷せて短歌」であり、一三一(長歌)・一三二、一三三(反歌二首)一三四(或る本の反歌)の歌群と一三五(長歌)・一三六、一三七(反歌二首)の歌群、そして一三八、一三九の題詞が、「或本の歌一首 幷せて短歌」となっており、一三八(長歌)・一三九(反歌)からなる三歌群構成になっている。

 この三歌群(一三四をのぞく)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1290~1297)」で、島根県益田市 県立万葉公園の歌碑(プレート)とともに紹介している。

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 「ささ(クマザサ)」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「ササはタケと同様にイネ科の植物である。もっともその相違については、成長後竹の子の皮を落とすかどうかで区分され、落とさないのがササとされる。集中にはササを詠んだ歌が5首あり、年代的には、柿本人麻呂の一三三歌が古い。」と書かれている。

 ササを詠んだ五首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1817)」で紹介している。

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 巻二の構成について、伊藤 博氏は、脚注において「『相聞』は人麻呂の恋の歌で閉じ、『挽歌』は人麻呂の死の歌で閉じる。双方に依羅娘子が登場する」と書かれている。「挽歌」は、二二八・二二九歌の追補がある。

 挽歌の二二三から二二七の歌群は、「鴨山五首」といわれている。

 「鴨山五首」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1266~1270)」で紹介している。

■二二三歌

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■二二四歌 

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■二二五歌

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■二二六歌

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■二二七歌

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」