万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1560、1561、1562)・沖島、賤ヶ岳山頂歌碑巡り―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49、P50、P51)―万葉集 巻二 一三三、巻十四 三四三五、巻一 一二五

―その1561―

●歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞:長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1272)で紹介している。

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 一三一から一三九歌は、「石見相聞歌」といわれている。

 すべての歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1290~7)で紹介している。

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中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「離別とは、愛への告別である。だから死が愛をもって語られたように、愛もまた死をもって語られなければならなかったのである。死によって透かし見た愛がこの壮絶な結びを呼んだのではなかったか。」と書いておられる。「死によって」とあるが、梅原 猛氏が「水底の歌 柿本人麿論 上」(新潮文庫)で主張されていた、妻依羅娘子と別れ、鴨島に向かう「死」を覚悟したが故の壮絶さと考えると納得させられるものがある。

 

 歌碑(プレート)の植物名は「ささ(クマザサ)」となっている。

プレートには、「さようなら、愛しい人よ!」と書かれ、馬に乗った人麻呂が振り返っている姿が描かれている。プレートの土台が、歌のおり深みと重さを物語っている。

「ささ」という現実の世界と人麻呂の心の内にある「死」を覚悟したが故の壮絶さが愛を通した悟りといった境地をも感じさせているのである。

 

 「クマザサ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」に「京都を原産とするササの一種。来歴はよく分かっていないが、庭園などに用いるため人手を介して全国に広がり、野生化したものが日本海側の北海道や本州、四国及び九州の山地に分布する。」と書かれている。

 「クマザサ」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1562―

●歌は、「伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思えば」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P50)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P50)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆

       (作者未詳 巻十四 三四三五)

 

≪書き下し≫伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)我(わ)が衣(きぬ)に着(つ)きよらしもよひたへと思へば

 

(訳)伊香保の山の麓の榛(はん)の木の原、この原の木は俺の着物に、ぴったり染まり付くようないい具合だ。着物は一重で裏もないことだし。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ひたへ:一重(ひとへ)の訛り。裏がなくて純心の意。(伊藤脚注)

(注)上二句が相手の女の譬え。(伊藤脚注)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その337)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物は、「はり(ハシバミ)」と書かれている。

「ハシバミ」については、国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 関西支所HPに、「秋に実るドングリに似た堅果には渋みなどがなく、古くから食用にされてきました。四国を除く日本全土に分布する落葉低木です。特に東北、北海道では普通に見られます。(カバノキ科)」と書かれている、

「ハシバミ」 「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所       関西支所HP」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1562―

●歌は、「橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P51)万葉歌碑<プレート>(三方沙弥)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P51)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而  <三方沙弥>

       (三方沙弥 巻一 一二五)

 

≪書き下し≫橘(たちばな)の蔭(かげ)踏(ふ)む道の八衢(やちまた)に物をぞ思ふ妹(いも)に逢はずして  

 

(訳)橘の木影を踏んで行く道のように、岐(わか)れ岐れのままにあれやこれや物思いに悩むことよ。あの子に逢わないままでいて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「八衢に(あれやこれや)」を起こす。(伊藤脚注)

(注の注)やちまた【八衢・八岐】名詞:道が幾つにも分かれている所。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 三方沙弥の歌は七首収録されている。これについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その198)」で紹介している。

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■■■沖島・賤ヶ岳山頂他歌碑巡り■■■

 

梅雨の合間の天気を見ていつでも出動できるように、琵琶湖周辺でこれまでの歌碑巡りで行けていなかった、また撮りそびれた歌碑などに再挑戦する計画を温めていた。

天気予報を見て、6月23日決行すべく前日に最終確認を行った。

琵琶湖の沖島に令和元年に万葉歌碑が設置されたことを思い出し、計画の練り直しを行なった。

最終案は、沖島⇒水茎の岡⇒妹背の里⇒賤ヶ岳山頂である。

 

 水茎の岡は、前回のトライでも見つけることが出来なかった歌碑で、妹背の里は月曜日が休園日だったという単純確認ミスによるものであった。

 賤ヶ岳は冬場の閉鎖や他所との組み合わせがうまくいかず延び延びになっていたことによる。

 

沖島

 沖島近江八幡市沖合約1.5kmのびわ湖最大の島で、湖に人が暮らす日本で唯一の島である。

 近江八幡市側の堀切港と沖島の間は「おきしま通船」が運航している。堀切港7:05発に乗船しようと5時に家を出る。

 「来島者用駐車場」(300円)に車を泊める。パンフレット「沖島さんぽ」「海なし県の離島 沖島」を頂く。

船の時刻表

 約10分の船旅である。船旅による歌碑巡りは初めて。船に乗ることも何年ぶりであろうか。

 片道500円。島の関係者は顔パスのようである。

 

沖島コニュニティーセンターの前に歌碑は建てられていた。

 

沖島コニュニティーセンター




 

沖島万葉歌碑(柿本人麻呂

 

 沖島8:00の便で戻ることにし、その間に藤原不比等が建立したという「奥津嶋神社」にお参りをした。

津嶋神社鳥居

  島には車も信号機もない。移動手段は、自転車か三輪自転車でありレトロな雰囲気が漂う街並みであった。梅雨の晴れ間であるから路地路地には洗濯物が干してありアングルが限定的になったのは残念であった。

沖島の町風景

 

■水茎の岡

 二度目の挑戦である。今回も見つけることができず、近江八幡市役所に電話をして確認させていただいた。

 調べて後程ご連絡しますとのことであった。

 1時間ほどして連絡をいただく。先ほど電話を承けていただいた女性の方である。息をきらしての連絡、現場中継さながらである。

 確認のために、自身で現場に行かれたそうである。結果ご自身もみつけることができなかったそうである。

 知ってそうな方に聞いた情報をもとにとのことであった。それらの情報や資料を後日贈って下さるそうである。

 なんと有り難いことであろう。資料等改めてお願いするとともに3度目の挑戦をするとこちらも決意表明をした。

あー幻の「水茎の岡の歌碑」よ。

 

この付近に在るはずなのだが・・・

 

 

■妹背の里

 一度は来たところである。「本日は休園日」の掲示で引き返した苦い経験の地である。

 入口を入ると左手に大社造りのモダンな「妹背の館」が建っている。右手池の奥に円形の小さな小山の頂に中大兄皇子額田王の像が建てられており地面の四方に4つの歌碑が建てられていた。お椀状の柴を自走式芝刈り機が真面目に仕事をこなしていた。

妹背の像



 

■賤ヶ岳山頂

  駐車場は車が3台ほどでがら空きであった。腰の悪い家内は駐車場で待機。いつも申し訳ないなあと思いながら急いでリフトに。

 リフトに乗るのも何年ぶりだろう。今日は、船やリフトを使っての珍しい歌碑巡りである。

 

 リフトを下り、山頂への道を上る。間もなく左手に歌碑があり、笠金村の一五三三歌の、そこから少し上った右手に一五三二歌の歌碑が建てられていた。

笠金村 一五三三歌の歌碑

 

笠金村 一五三二歌の歌碑と山頂


 山頂は目の前であるが、家内を待たせるわけにはいかないので引き返す。

下りリフトの光景

 湖岸沿いのさざ波街道をはしり、道の駅で野菜やゴリのつくだ煮などを買って、のんびり地道で帰った。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 関西支所HP」

★「海なし県の離島 沖島

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市