万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1563,1564,1565)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52、P53、P54)―万葉集 巻十一 二七五〇、巻六 九七一、巻一 二九

―その1563―

●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右

       (作者未詳 巻十一 二七五〇)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに

 

(訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】形容詞:おいしい。味がよい。(学研)

(注)阿倍橘:「集中に詠まれた『阿倍橘』は、『和名抄』・『本草和名』に「橙(だいだい)・阿倍多知波奈(あべたちばな)」と記されているところから、現在ダイダイに比定されている。しかし、クネンボとする異説もる。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1494)」で紹介している。

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だいだい【橙/臭橙/回青橙】の実は、冬に熟して黄色になるが、木からは落ちないで翌年の夏に再び青くなる。実が木についたまま年を越すところから「代々」として縁起が良いものとされている。

万葉びとは、このような自然の営みを鋭く、細やかに観察し歌に詠んだ。

この時代には、「佐味虫麻呂ミカン出世物語」があった。佐味朝臣虫麻呂は、唐からもたらされた柑子の種を植え実らせたので神亀二年(725年)に従五位下を賜わっているのである。当時の唐文化の吸収、あくなき美味の追及意欲がうかがい知れる一件である。

驚いたことに、天平元年(729年)の長屋王の変で、藤原宇合らと共に衛門佐として、王宅を取り囲んでいる。その後、中務少丞、備前守中宮大夫などを歴任したのである。

 

 

 

―その1564―

●歌は、「・・・竜田道の岡辺の道に丹つつじのにほはむ時の桜花咲きなむ時に・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P53)万葉歌碑<プレート>(高橋虫麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P53)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

      (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)につつじ【丹躑躅】:赤い花の咲くツツジ。特に、ヤマツツジのこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「つつじ(ヤマツツジ)」と書かれている。

 この歌ならびに葛城山の自生のヤマツツジについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1475)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の引用句のつぎに「山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば」と詠われている。

 「山たづ」は、この歌ともう一首(衣通王 巻二 九〇歌)で歌われている。

 

 九〇歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1464)」で紹介している。

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「やまたづ(ニワトコ)」については、「庭木図鑑 植木ペディア」に、「本州、四国及び九州に分布するガマズミ科ニワトコ属の落葉樹。山野の林内や日当たりのよい野原に自生するが食用あるいは薬用となるため、かつては好んで庭植えされ、その名残が住宅地近くの藪などに見られる。ニワトコという名の由来は不詳だが、古い和名のミヤツコギ(美夜都古木)が転訛したとする説、京都の方言とする説などがある。ニワトコの仲間は中国や朝鮮半島にも自生し、中国では『接骨木』と表記するが、これは葉や根を骨折の治療に用いる薬としたことによる。」と書かれている。



 

―その1565―

●歌は、「・・・神のことごと栂の木のいや継ぎ継ぎに天の下・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P54)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P54)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」<近江(あふみ)の荒れたる都(みやこ)を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

(注)近江の荒れたる都:天智天皇の近江大津京の廃墟。

(注)過ぐる時:立ち寄って通り過ぎる時に宮跡を見て、の意

 

◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>

        (柿本人麻呂 巻一 二九)

 

≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或いは「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>

 

(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)                    

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

 (注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)

(注)ひじり【聖】名詞:①天皇。▽高い徳で世を治める人。②聖人。▽徳の高いりっぱな人。③達人。名人。▽その道で最も優れた人。④高徳の僧。聖僧。⑤修行僧。僧。法師。(学研)ここでは①の意で、初代神武天皇をさす。

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

(注)しらしめす【知らしめす・領らしめす】他動詞:お治めになられる。▽「知る・領(し)る」の尊敬語。連語「知らす」より敬意が高い。 ⇒参考 動詞「しる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」からなる「しらす」に尊敬の補助動詞「めす」が付いて一語化したもの。上代語。中古以降は「しろしめす」。(学研)

(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)

(注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。 ⇒参考 『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)かすみ-たつ 【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1141)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「つがのき(ツガ)」と書かれている。

 「ツガ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」には、「福島県以西の本州、四国及び九州(屋久島まで)に自生するマツ科の常緑針葉樹。(中略)同じような場所に分布するモミノキに似た大木となる。万葉集にはツガを詠んだ歌があり古くから親しまれる。細かな葉が次々に展開していくことを意味する『継ぐ』、あるいは長短の葉が継ぎ合うように生じる様子を表す『つがう』が転化してツガと命名された。」と書かれている。

 

 「つがのき」が詠まれているのは全部で五首、すべてが長歌である。この内四首は「いやつぎつぎに」というフレーズを引き出すための序詞や枕詞として使われている。

 家持の四〇〇六歌のみが、植物としての「つが」を詠んでいるのである。

 

 二九歌以外のポイントだけをみてみよう。

 

◆みもろの神なび山に五百枝(いほえ)さし繁(しじ)に生ひたる栂(つが)の木のいや継(つ)ぎ継ぎに・・・

      (山部赤人 巻三 三二四)

 

(訳)神の来臨する神なび山にたくさんの枝をさしのべて盛んに生い茂っている栂の木、その名のようにいよいよ次々と、・・・(同上)

(注)「みもろの神なび山に五百枝さし繁に生ひたる栂の木の」まで序。類音の「継ぎ継ぎに」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

◆滝の上の三船(みふね)の山に瑞枝(みづえ)さし繁(しじ)に生ひたる栂(とが)の木のいや継ぎ継ぎに・・・

       (笠金村 巻六 九〇七)

 

(訳)み吉野の激流のほとりの三船の山に瑞々しい枝をさし延べて生い茂っている栂(とが)の木、その栂の木のとがという名のようにつぎつぎと

(注)「滝の上の三船の山に瑞枝さし繁に生ひたる栂の木の」まで序。「継ぎ継ぎに」を起こす。(伊藤脚注)

(注の注)原文は「刀我乃樹能」となっている。

 

 

◆あしひきの八峯(やつを)の上(うへ)の栂(つが)の木のいや継々(つぎつぎ)に・・・

       (大伴家持 巻十九 四二六六)

 

(訳)山のあちこちの峰に生い茂る、栂(つが)の木の名のようにいよいよ次から次へと、・・・

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その270)」で紹介している。

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◆かき数(かぞ)ふ 二上山(ふたがみやま)に 神(かむ)さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同(おや)じときはに はしきよし・・・

       (大伴家持 巻十七 四〇〇六)

 

(訳)一つ二つと指折り数えるその二上山に、神々しい生い立っている栂の木、この栂の木は幹も枝先も同じようにいつも青々と茂っているが、・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1348表④)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク精選版 日本国語大辞典

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市