万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1566,1567,1568)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P55、P56、P57)―万葉集 巻五 七九四歌前文、巻六 一〇四八、巻三 三八六)

―その1566―

●七九八歌の前文は、「・・・蘭室には屏風いたづらに張り断腸の哀しびいよよ痛し枕頭には明鏡空しく懸けり染筠の涙いよよ落つ・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P55)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●前文のプレートは、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P55)にある。

 

 七九四歌(日本挽歌)ならびに反歌(七九五~七九九歌)の歌群は、山上憶良が、神亀(じんき)五年(726年)七月二十一日(大伴旅人の妻が亡くなった百日ばかり後。追善供養のあった日か)に、大伴旅人に贈った漢詩文の前文である。

 

前文ならびに七九四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その910)」で紹介している。

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七九五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その911)」で、

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 七九六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その912)」で、

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七九七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その913)」で、

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七九八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その914)」で、

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799歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その915)」で、それぞれ紹介している。

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●前文をみてみよう。

 

◆(前文ならびに漢詩)「盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩、無由再見 嗚呼哀哉

 

愛河波浪已先滅

苦海煩悩亦無結

従来厭離此穢土

本願託生彼浄刹」

       (山上憶良 巻五 七九四歌前文) 

 

 ≪漢文の前文の書き下し≫けだし聞く、四生(ししやう)の起滅(きめつ)は夢(いめ)のみな空(むな)しきがごとく、三界(さんがい)の漂流(へうる)は環(わ)の息(とど)まらぬがごとし。このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいじ)も方丈(はうじやう)に在(あ)りて染疾(ぜんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くことあり、釈迦(しゃか)能仁(のうにん)は、双林(さうりん)に坐(ざ)して泥洹(ないをん)の苦しびを免(まぬか)れたまふことなし、と。故(そゑ)に知りぬ、二聖(にしやう)の至極(しごく)すらに力負(りきふ)の尋(たづ)ね至ることを払(はら)ふことあたはず、三千世界に誰(た)れかよく黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来(きた)ることを逃(のが)れむ、といふことを。二鼠(にそ)競(きほ)ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛ぶ、四蛇(しだ)争(いそ)ひ侵(をか)して、過隙(くわげき)の駒夕(ゆふへ)に走る。ああ痛きかも。紅顏(こうがん)は三従(さんじう)とともに長逝(ちやうせい)す、素質(そしつ)は四徳(しとく)とともに永滅(えいめつ)す。何ぞ図(はか)りきや、偕老(かいらう)は要期(えうご)に違(たが)ひ、独飛(どくひ)して半路(はんろ)に生(い)かむとは。蘭室(らんしつ)には屏風(へいふう)いたづらに張り、断腸(だんちゆう)の哀(かな)しびいよよ痛し、枕頭(しんとう)には明鏡(めいきゃう)空(むな)しく懸(か)かり、染筠 (ぜんゐん)の涙(なみた)いよよ落つ。泉門(せんもん)ひとたび掩(と)ざされて、また見るに由(よし)なし。ああ哀(かな)しきかも。

 

漢詩の書き下し≫

愛河(あいが)の波浪はすでにして滅ぶ、

苦海(くがい)の煩悩(ぼんなう)もまた結ぼほることなし。

従来(もとより)この穢土(ゑど)を厭離(えんり)す、

本願(ほんぐわん)生(しやう)をその浄刹(じやうせつ)に託(よ)せむ。

 

(注)四生(ししょう)〘仏〙: 迷いの世界の生物をその生まれ方によって分けたもの。胎生・卵生・湿生・化生(けしよう)の四種。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)三界(さんがい)〘仏〙: 心をもつものの存在する欲界・色界・無色界の三つの世界。仏以外の全世界。(三省堂

(注)維摩(読み)ゆいま:大乗仏教経典の一つである『維摩経』の主人公の名。維摩詰 (きつ) ともいう。大乗仏教の空思想の立場に立って部派仏教の修行者を批判する在家仏教者の理想像として描かれている。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

(注)方丈(読み)ほうじょう:1丈 (約 3m) 四方の部屋の意で,禅宗寺院の住持や長老の居室をさす。『維摩経』に,維摩居士の室が1丈四方の広さであったという故事に由来する。転じて住職をも意味する。さらに一般的に師の尊称として用いられた。(ブリタニカ)

(注)能仁(読み)のうにん:能忍とも書かれ釈尊を意味する。能仁寂黙 (じゃくもく) とは,サンスクリット語 Śākyamuniの訳語で,聖者を意味する muniを mauna (沈黙の意) と結びつけた,いわば通俗語源解釈に立つ訳語で同じく釈尊をさす。(ブリタニカ)

(注)双林(読み)そうりん : 沙羅双樹(さらそうじゅ)の林。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)泥洹(読み)ないおん:⇒ 涅槃ねはん(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)力負(りきふ):力ありて負い行く者。死の魔手。

(注)黒闇(読み)コクアン: くらやみ。暗黒。また、仏教で、迷いの闇。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)二鼠(読み)ニソ:仏語。白・黒の2匹のネズミ。昼夜・日月などにたとえる(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四蛇(読み)シダ:天地や肉体を形成している地・水・火・風の4要素を、4匹の毒蛇にたとえた語。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)紅顔:麗しい顔色。「素質」(白い肌)とともに老妻への哀切を深める文飾。

(注)三従(読み)サンジウ《「儀礼」喪服から》昔、婦人の守るべきものとされた三つの事柄。結婚前には父に、結婚後は夫に、夫の死後は子に従うということ(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四徳(読み)シトク: 《「礼記」昏義から》婦人のもつべき四つの徳。婦徳・婦言・婦功・婦容。四行。四教。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)偕老(読み)カイロウ:《老いを偕(とも)にする意》夫婦が、年をとるまで仲よく一緒に暮らすこと(コトバンク デジタル大辞泉

(注)独飛:連れを失った鳥が独り飛ぶこと。

(注)らんしつ【蘭室】〘名〙: よい香りのする部屋。立派な人の居室、また、婦人の居室にいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)染筠 (ぜんゐん)の涙:青竹の肌をも染める涙

 

(注)愛河:愛欲を川に喩えた仏教語

(注)苦海:俗世の苦悩を海に喩えた仏教語

(注)穢土(ゑど):穢れた地上。人間世界

(注)厭離(読み)エンリ:仏語。けがれた現世を嫌い離れること。おんり(コトバンク デジタル大辞泉

(注)浄刹(読み)ジョウセツ:① 清浄な国土。浄土。② 清浄な寺院。また、その境内。(コトバンク デジタル大辞泉

 

(漢文の序の訳)聞くところによれば、万物の生死は夢がすべてはかないのと似ており、全世界の流転は輪が繋がって終わることがないのに似ている。こういうわけで、維摩大士も方丈の室(しつ)で病気の憂いを抱くことがあったし、釈迦能仁も沙羅(さら)双樹の林で死滅の苦しみから逃れることができなかった、とのことである。かくして知ることができる。この無上の二聖人でさえも、死の魔手の訪れを払いのけることはできず、この全世界の間、死神が尋ねてくるのをかわすことは誰にもできないということが。この世では、昼と夜とが先を争って進み、時は、朝に飛ぶ鳥が飛ぶ鳥が眼前を横切るように一瞬にして過ぎてしまうし、人体を構成する地水火風が互いにせめぎあって、身は、夕べに走る駒が隙間を通り過ぎるように瞬間にして消えてしまうのである。ああ、せつない。

こうして世の中の理(ことわり)のままに、妻の麗(うるわ)しい顔色は三従の婦徳とともに永遠に消え行き、その白い肌は四徳の婦道とともに永遠に飛び去ってしまった。誰が思い設けたことか、夫婦共白髪の契りは空しむも果たされず、まるではぐれ鳥のように人生半ばにして独りわびしく取り残されようとは。かぐわしい閨(ねや)には屏風(びょうぶ)が空しく張られたままで、腸もちぎれるばかりの悲しみはいよいよ深まるばかり、枕元には明鏡が空しく懸ったままで、青竹の皮をも染める涙がいよいよ流れ落ちる。しかし、黄泉(よみ)の門がいったん閉ざされたからには、もう二度と見る手立てはない。ああ、悲しい。

 

いとしい妻はすでに死んでしまって、身を襲う煩悩も結ばれることなくただ揺れ動くばかり。私は前々からこの穢(けが)れた地上から逃れたいと思っていた。乞い願わくは、仏の本願にすがって、妻のいるかの極楽浄土に命を寄せたいものだ。(同上)

 

 

―その1567―

●歌は、「たち変り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P56)万葉歌碑<プレート>(田辺福麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P56)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎

      (田辺福麻呂 巻六 一〇四八)

 

≪書き下し≫たち変り古き都となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生(お)ひにけり

 

(訳)打って変わって、今や古びた都となってしまったので、道の雑草、ああこの草も、丈高く生(お)い茂ってしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たちかわり〔‐かはり〕【立(ち)代(わ)り】[副]:代わる代わる。たびたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 一〇四七から一〇四九の歌群の題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」<寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并(あは)せて短歌>である。

(注)故郷:古京の意。

(注)天平十三年(741年)元正天皇恭仁京遷都を行った折に詠った歌か。

                           

 この歌群の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1083)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「しば(チカラシバ)」と書かれている。

 チカラシバについては、「庭木図鑑 植木ペディア」に「野原や道端、空き地やグラウンドなど、どこにでも普通に見られるイネ科の多年草。踏みつけても起き上がり、力の限り抜こうとして容易に抜けないため、チカラシバ命名された。別名はミチシバなど。北海道から沖縄まで、日本全国に分布する。」



―その1568―

●歌は、「この夕拓のさ枝の流れ来ば梁は打たずて取らずかもあらむ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P57)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P57)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆此暮 柘之左枝乃 流来者 樑者不打而 不取香聞将有

       (作者未詳 巻三 三八六)

 

≪書き下し≫この夕(ゆうへ)柘(つみ)のさ枝(えだ)の流れ来(こ)ば梁(やな)は打たずて取らずかもあらむ

 

(訳)今宵(こよい)、もし仙女に化した柘(つみ)の枝が流れてきたならば、梁(やな)は仕掛けてないので、枝を取らずじまいになるのではなかろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やなうつ【梁打つ】分類連語:「梁(やな)」を仕掛ける。くいを打って梁を構え作る。(学研)

 

「柘枝伝説(つみのえでんせつ)」については次の様に書かれている。

「柘枝仙媛(やまびめ)と吉野の漁師味稲(うましね)との神婚譚。ツミの枝(山桑の類)が味稲の梁(やな)にかかって,美女と化し,やがて彼と同棲し,後に昇天するという筋であったらしいが,全貌を知り得る資料に欠ける。《万葉集》巻3の左注に〈柘枝伝〉と記され,《懐風藻》《続日本後紀》にも関連の記載がある。本来は神仙趣味の漢文伝であったらしい。」(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

 三八六、三八七歌は、伝説を踏まえて、仮定の思いを歌にしたものでたわいのない内容である。万葉集巻三の流れからみて、ここに収録されていることが不思議に思える。万葉集という歌の娯楽性をちらつかせたのであろうか。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1020)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「つみ(ヤマボウシ)」と書かれている。なお、「つみ」については、ヤマグワ、ハリグワといった説もある。

 

 「ヤマボウシ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」に、「東北南部から九州に分布するミズキ科の落葉小高木。低山の林地や草原に自生するが、初夏に咲く清楚な花や、晩夏に熟す赤い果実を観賞あるいは実用するため、公園、街路、一般家庭の庭にも植栽される。同属のミズキから進化したとされる。原産は日本、中国(漢名は「四照花」)及び朝鮮半島だが、1875年には日本からヨーロッパへ渡り、現在では多くの国で親しまれる。庭木として人気の高いハナミズキ(別名アメリヤマボウシ)は本種の近縁種にあたる。」と書かれている。

 

ヤマボウシ」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市