万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1931)―飛騨市古川町杉崎 細江歌塚―万葉集 巻十二 三〇九二

●歌は、「白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか寐を寝かねつる」である。

飛騨市古川町杉崎 細江歌塚万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、飛騨市古川町杉崎 細江歌塚にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白檀 斐太乃細江之 菅鳥乃 妹尓戀哉 寐宿金鶴

       (作者未詳 巻十二 三〇九二)

 

≪書き下し≫白真弓(しらまゆみ)斐太(ひだ)の細江(ほそえ)の菅鳥(すがどり)の妹(いも)に恋ふれか寐(い)を寝(ね)かねつる

 

(訳)斐太の細江に棲む菅鳥が妻を求めて鳴くように、あの子に恋い焦がれているせいか、なかなか寝つかれないでいる。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】名詞:まゆみの木で作った、白木のままの弓。

しらまゆみ【白真弓・白檀弓】分類枕詞:弓を張る・引く・射ることから、同音の「はる」「ひく」「いる」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)「斐太」(所在未詳)の枕詞。懸り方未詳。(伊藤脚注)

(注)すがどり【菅鳥】:鳥の名。オシドリとも,一説に「管鳥(つつどり)」の誤りかともいう。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)いもねられず 【寝も寝られず】分類連語:眠ることもできない。 ※なりたち名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の未然形+可能の助動詞「らる」の未然形+打消の助動詞「ず」

(注)かぬ 接尾語 〔動詞の連用形に付いて〕:①(…することが)できない。②(…することに)耐えられない。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その413)」で紹介している。

こちらは、「斐太」を彦根市肥田町と関連付けたと思われる。

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 「檀・真弓」と詠まれているのは十二首あるが、そのうち「白真弓」と詠まれている歌は万葉集では六首ある。他の五首をみてみよう。

■巻三 二八九歌■

題詞は、「間人宿祢大浦初月歌二首」<間人宿禰大浦(はしひとのすくねおほうら)が初月(みかづき)の歌二首>である。

(注)はつづき【初月】〘名〙:① 新月のこと。特に、陰暦八月初めの月。しょげつ。《季・秋》(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

天原 振離見者 白真弓 張而懸有 夜路者将吉

       (間人大浦 巻三 二八九)

 

≪書き下し≫天の原(あまのはら)振(ふ)り放(さ)け見れば白真弓(しらまゆみ)張りて懸(か)けたり夜道(よみち)はよけむ

 

(訳)天の原を遠く振り仰いで見ると、白木の真弓を張って月がかかっている。この分だと夜道はさぞかし歩みやすいであろう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)白真弓:白木の弓。三日月の譬え。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに二九〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1714)」で紹介している。

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■巻九 一八〇九歌■

◆・・・為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛将入跡 立向・・・

        (高橋虫麻呂 巻九 一八〇九)

 

≪書き下し≫・・・しける時は焼太刀(やきたち)の 手(た)かみ押(お)しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負(お)ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向(むか)ひ・・・

 

(訳)・・・その時には、焼き鍛えた太刀(たち)の柄(つか)を握りしめ、白木の弓や靫(ゆき)を背負って、娘子のためなら水の中火の中も辞せずと必死に争ったものだが、・・・(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その18229)」で紹介している。

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■一九二三歌■

白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉将別 戀敷物乎

       (作者未詳 巻十 一九二三)

 

≪書き下し≫白真弓(しらまゆみ)今(いま)春山に行く雲の行きや別れむ恋(こひ)しきものを

 

(訳)白真弓を張るという、今こそ盛りのその春山に流れて行く雲のように、私は、あなたと別れて行かねばならないのか。恋しくてならないのに。(同上)

(注)しらまゆみ:「春」の枕詞。上三句は序。「行き」を起こす。(伊藤脚注)

(注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】分類枕詞:弓を張る・引く・射ることから、同音の「はる」「ひく」「いる」などにかかる。(学研)

 

 

■巻十 二〇五一歌■

天原 徃射跡 白檀 挽而隠在 月人壮子

        (作者未詳 巻十 二〇五一)

 

≪書き下し≫天(あま)の原(はら)行きて射(い)てむと白真弓(しらまゆみ)引きて隠(こも)れる月人壮士(つきひとをとこ)

 

(訳)天の原を往き来して獲物を射止めようと、白木の弓を引き絞ったまま、山の端(は)に隠(こも)っている月の若者よ。(同上)

(注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】名詞:まゆみの木で作った、白木のままの弓。

(注の注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】分類枕詞:弓を張る・引く・射ることから、同音の「はる」「ひく」「いる」などにかかる。(学研)

 

 

■巻十一 二四四四歌■

白檀 石邊山 常石有 命哉 戀乍居

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四四)

 

≪書き下し≫白真弓(しらまゆみ)石辺(いそへ)の山の常磐(ときは)なる命(いのち)なれやも恋ひつつ居(を)らむ

 

(訳)石辺の山の常磐、その常盤のような不変の命だとでもいうのか、そうでもないのに、私は逢うこともできずにいたずらに恋つづけている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

 

 

飛騨市丹生川町根方地区 ほえ橋→飛騨市古川町 細江歌塚■

 丹生川町からは北西に国道472号線を約30分走る。JR杉崎駅近くの「杉崎交差点」のJR沿いに細江歌塚がある。

「細江の歌塚」の碑

 「細江の歌塚」には、従二位権中納言藤原基綱卿の歌「不るさとに乃こる心はこころにて みはなほひなのみをなけくかな」と参議正三位 藤原済継卿の歌「久もをわけにこりをいてしこころもや 於なしはちすのつゆの月かけ」の二首が刻されている。

歌碑は、基綱と済継の功績をたたえるために、地元の有志によって建造されたものであるという。

この歌碑の横に万葉歌碑が建てられている。歌塚と万葉歌碑の関係については不明である。

 歌碑には「福羽美静書」とあるが、「福羽美静(ふくばびせい)」は、江戸時代後期の津和野藩士国学者歌人とある。ここも謎である。

 

 案内板には「細江の歌塚」とあるが、「細江」は地名ではなく細い川の意味であろう。歌塚の二首からも「細江」に結びつくものはないように思える。

「細江歌塚」案内板

 万葉歌碑の説明などはない。歌塚の説明案内はあるが、経年劣化によりほとんど読み取れない。おそらく万葉歌碑は「歌塚」の後に建てられ「斐太の細江」と詠われていることから「細江の歌塚」と呼ばれるようになったのではないかと勝手に想像している。

 「細江の歌塚」と言われるところに巻十二 三〇九二歌の万葉歌碑があるのは事実である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」