万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2691)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「高圓の野邊の秋萩いたづらに 咲きか散るらむ見る人無しに(笠金村 2-231)」である。

 

【田原西陵】

 「笠金村歌集(巻二‐二三一)(歌は省略) 万葉集中に六首の秀歌をのこしている志貴皇子(天智皇子)の墓は、高円山の東南、<奈良市田原町>にある。そこから東四キロ日笠町にある光仁天皇志貴皇子の子)の田原東陵に対して田原西陵といわれる。志貴皇子の没年は万葉には霊亀元年(七一五)九月とあり、『続日本紀』には同二年八月とあって問題を残している。光仁宝亀元年(七七〇)に春日宮天皇の追尊号がおくられた。万葉には葬送のときの笠金村の挽歌があって、その長歌(巻二‐二三〇)には高円山の裾をめぐって野辺送りの火がつづくさまを劇的にうたっているが、これはその反歌である。皇子の亡きあとの高円野辺のむなしさを悼んでいるのだ。・・・陵は、・・・奈良の雑音をよそにして、じっとしていると胸の鼓動まできこえそうなところだ。陵の参道の口もとは小山をきりひらいてつけられ・・・ふっくりした茶畑にかこまれていて、あたたかにしずまる『石ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの・・・』の作者もしのばれるようで印象深い墓所である。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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二三〇から二三二歌をみていこう。

■■巻二 二三〇~二三二歌■■

 題詞は、「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊亀元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴親王(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)霊龜元年:続日本紀には霊亀二年(七一六)八月十一日没とある。二年八月は薨奏日で、実際は元年八月没か。(伊藤脚注)

(注)九月:四十九日など供養の行われるべき時を示し、下の「作る」にかかる。(伊藤脚注)

 

■巻二 二三〇歌■

◆梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手挟 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道來人之 泣涙 霂深尓落者 白妙之 衣埿漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名唁 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有

       (笠金村 巻二 二三〇)

 

≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟(たばさ)み 立ち向(むか)ふ 高円山(たかまとやま)に 春野(はるの)焼(や)く 野火(のひ)と見るまで 燃ゆる火を 何(なに)かと問へば 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 泣く涙なみた) こさめに降れば 白栲(しらたへ)の 衣ひづちて 立ち留(と)まり 我(わ)れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭(ね)のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子(みこ)の いでましの 手火(たひ)の光りぞ ここだ照りてある

 

(訳)梓弓を手に取り持って、大丈夫(ますらお)が、矢を脇挟んで立ち向う的(まと)、その名を持つ高円山(たかまとやま)に、春の野を焼く火と見まごうほどに燃える火、その火を「あれは何だ」と尋ねると玉鉾立つ道をやって来る人が涙を小雨のように流して、白麻の衣をぐっしょり濡らしながら、立ち留まって私にこう言った。「何だって由ないことをお尋ねになるのです。そんなことを耳にするとただ泣けてきます。わけをお話しするとただ心が痛みます。実は、天子様、そう、その神の御子のご葬列の送り火が、こんなにも赤々と照らしているのです」。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あづさゆみ【梓弓】名詞:梓の木で作った丸木の弓。狩猟のほか、祭りにも用いられた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)初めの五句「梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手挟 立向」は、「高円山」の序。後半の暗さを浮き立たせる仕組み。(伊藤脚注)

(注)さつや【猟矢】名詞:獲物を得るための矢(学研)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)とぶらふ【訪ふ】他動詞:尋ねる。問う。(学研)

(注)手火(読み)タヒ:手に持って道などを照らす火。たいまつ。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

■巻二 二三一歌■

◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓

       (笠金村 巻二 二三一)

 

≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

 

(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(同上)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:無駄だ。無意味だ。(学研)

(注)見る人:暗に志貴皇子をさす。(伊藤脚注)

 

 

■巻二 二三二歌■

◆御笠山 野邊往道者 己伎太雲 繁荒有可 久尓有勿國

       (笠金村 巻二 二三二)

 

≪書き下し≫御笠山(みかさやま)野辺行く道はこきだくも茂(しげ)り荒れたるか久(ひさ)にあらなくに

 

(訳)御笠山、この野辺を通る宮道は、どうしてこんなにもひどく荒れすさんでいるのであろうか。皇子が亡くなられてまだそんなに長くは経っていないのに。(同上)

(注)こきだくも:こんなにも。長歌の「ここだ」に同じ。モ・・・カは疑問的詠嘆。(伊藤脚注)

(注の注)こきだし【幾許し】( 形シク ):程度がはなはだしい。非常に大切だ。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 左注は、「右歌笠朝臣金村歌集出」<右の歌は、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が歌集に出づ>である。

 

 二三〇~二三二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」で、「或る本の歌(二三三・二三四歌)とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

白毫寺境内万葉歌碑(笠金村 2-231) 20190312撮影



 

 

 

 

 田原西陵については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その28改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

田原西陵参道 2019320撮影

 

 

 

 田原東陵については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1091)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

田原東陵参道 20210706撮影



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉