万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その19改)―白毫寺の境内―万葉集 巻二 二三一

●歌は、「高圓の野邊の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに」である。

f:id:tom101010:20190323224102j:plain

白毫寺境内歌碑(笠金村)

●この歌碑は白毫寺の境内にある。歌碑の横の木札に「今、あなたがこの歌碑に向かはれる時、その直線状、約三kmの彼方高円山の裏側に志貴皇子のお墓(春日宮天皇陵)を拝されるのも又、奇しき因縁である」と記されている。

 

●歌をみていこう。

 

◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓

              (笠金村 巻二 二三一)

 

≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

 

(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:無駄だ。無意味だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)見る人:暗に志貴皇子をさす

 

 この歌は、題詞「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」の短歌二首のうちの一首である。長歌は次の通りである。

 

◆梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手挟 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道來人之 泣涙 霂深尓落者 白妙之 衣埿漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名唁 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有

                     (笠金村 巻二 二三〇)

 

≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟(たばさ)み 立ち向(むか)ふ 高円山(たかまとやま)に 春野(はるの)焼(や)く 野火(のひ)と見るまで 燃ゆる火を 何(なに)かと問へば 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 泣く涙なみた) こさめに降れば 白栲(しらたへ)の 衣ひづちて 立ち留(と)まり 我(わ)れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭(ね)のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子(みこ)の いでましの 手火(たひ)の光りぞ ここだ照りてある

 

(訳)梓弓を手に取り持って、大丈夫(ますらお)が、矢を脇挟んで立ち向う的(まと)、その名を持つ高円山(たかまとやま)に、春の野を焼く火と見まごうほどに燃える火、その火を「あれは何だ」と尋ねると玉鉾立つ道をやって来る人が涙を小雨のように流して、白麻の衣をぐっしょり濡らしながら、立ち留まって私にこう言った。「何だって由ないことをお尋ねになるのです。そんなことを耳にするとただ泣けてきます。わけをお話しするとただ心が痛みます。実は、天子様、そう、その神の御子のご葬列の送り火が、こんなにも赤々と照らしているのです」。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あづさゆみ【梓弓】名詞:梓の木で作った丸木の弓。狩猟のほか、祭りにも用いられた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)初めの五句「梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手挟 立向」は、「高円山」の序。

(注)さつや【猟矢】名詞:獲物を得るための矢(学研)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)とぶらふ【訪ふ】他動詞:尋ねる。問う。(学研)

(注)手火(読み)タヒ:手に持って道などを照らす火。たいまつ。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 二三二歌をみてみよう。

 

◆御笠山 野邊往道者 己伎太雲 繁荒有可 久尓有勿國

               (笠金村 巻二 二三二)

 

≪書き下し≫御笠山(みかさやま)野辺行く道はこきだくも茂(しげ)り荒れたるか久(ひさ)にあらなくに

 

(訳)御笠山、この野辺を通る宮道は、どうしてこんなにもひどく荒れすさんでいるのであろうか。皇子が亡くなられてまだそんなに長くは経っていないのに。(同上)

(注)こきだし【幾許し】( 形シク ):程度がはなはだしい。非常に大切だ。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 左注は、「右歌笠朝臣金村歌集出」<右の歌は、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が歌集に出づ>である。

 

 続いて「或本歌曰」<或る本の歌に曰はく>とあり、二三三、二三四歌の二首が収録されている。こちらもみておこう。

 

◆高圓之 野邊乃秋芽子 勿散祢 君之形見尓 見管思奴播武

               (笠金村 巻二 二三三)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ

 

(訳)高円の野辺の秋萩よ、散らないでおくれ。いとしいあの方の形見と見ながらずっとお偲びしように。(同上)

 

 

三笠山 野邊従遊久道 己伎太久母 荒尓計類鴨 久尓有名國

               (笠金村 巻二 二三四)

 

≪書き下し≫御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒にけるかも久(ひさ)にあらなくに

 

(訳)御笠山、この野辺を通る宮道(みやじ)は、こんなにもひどく荒れてしまいました。あの方が亡くなってからまだ時はいくらも経っていないのに。(同上)

 

  日本書紀に霊龜二年八月十一日志貴親王薨とあり、天智天皇第七皇子也。宝龜元年、追尊称御春日宮天皇とある。奈良市田原町の「田原西陵」が春日宮天皇陵である。

万葉集の記載と続日本書紀が合致しないので志貴皇子について諸説があるがここでは省略する)

 

 白毫寺は奈良市東部の山並み、若管山・春日山に続き南に連なる高円山の西麓にある。境内から西を望めば奈良市街が一望できる。樹齢およそ450年の県天然記念物の五色の椿がる。秋の、萩の花は有名である。

f:id:tom101010:20190323224949j:plain

白毫寺受付前から奈良市街を望む


 

 幹線道路から白毫寺への道は、狭い道で、すれ違いもままならない。漸く駐車場へ。駐車場と言っても民家の庭を利用したものである。シャッターの郵便入れのところに700円を入れるようになっている。店から見ると、その下にざるが置いてあるだけで、自然落下方式である。

 「ながめのよい花の寺 白毫寺 石段をお登りください」との案内板がある。」眺めが良いというだけに結構石段を登る。

f:id:tom101010:20190323225908j:plain

白毫寺への階段の登り口

 

 訪れたのは、3月12日であったので、五色の椿はちらほら咲き程度であった。木の根元近くの石仏に椿の花が一輪落ちており、自然の色紙絵を作っていた。

f:id:tom101010:20190323225247j:plain

県天然記念物五色の椿の根元の石仏と椿の花

f:id:tom101010:20190323225420j:plain

地面に落ちたる椿の花

 庭の随所にある椿は結構花を散らしていた。これもまた自然の図絵である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「國文學 万葉集の詩と歴史」 (學燈社

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり~」(奈良市HP)

★「高円山白毫寺」パンフレット (白毫寺発行)

 

※20210426朝食記事削除、一部改訂