●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。
●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(9)にある。
●歌をみていこう。
◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花
(山上憶良 巻八 一五三八)
▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔」
≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花
(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その62改)」で紹介している。
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「秋の七種の花」を順番にみてみよう。ちなんだ花を詠った歌を一首みてみよう。
■萩■
「はぎ」の語源については、冬に葉を落とし、春には再び新芽を出すことに由来する「生芽(はえぎ)」が転化したものという説がある。また、丸い小さな葉が歯の形に似ていることから「歯木(はぎ)」とする説もあるようだ。
◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓」
(笠金村 巻二 二三一)
≪書き下し≫高円(たかまど)の 野辺(のべ)の秋萩(あきはぎ) いたづらに 咲きが散るらむ 見る人なしに
(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなく咲いては散っていることであろうか。見る人もいなくて。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)見る人なしに:暗に志貴皇子をさしている。
題詞は、「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊龜元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴親王(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。長歌(二三〇歌)と短歌二首(二三一、二三二歌)の歌群からなる。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」で紹介している。(奈良市白毫寺の歌碑です)
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■尾花■
尾花(をばな)は、すすきの花穂。形が獣の尾に似ていることからいう。
◆波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
(元正天皇 巻八 一六三七)
≪書き下し≫はだすすき尾花(をばな)逆葺(さかふ)き黒木もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに
(訳)はだすすきや尾花を逆さまに葺いて、黒木を用いて造った新室(にいむろ)、この新室はいついつまでも栄えることであろう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)はだすすき【はだ薄】名詞:語義未詳。「はたすすき」の変化した語とも、「膚薄(はだすすき)」で、穂の出る前の皮をかぶった状態のすすきともいう。(学研weblio古語辞典 学研全訳古語辞典))
(注)くろき【黒木】名詞:皮付きの丸太。[反対語] 赤木(あかぎ)。(学研)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その953)」で紹介している。
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■葛■
葛は、根から澱粉を取り、強い蔓(つる)から葛布(くずふ)を作るなど実用的な植物である。強い蔓(つる)が長くのびる様からどこまでもとか永く絶えることのないといった気持ちで詠われるのである。
◆大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南
(作者未詳 巻十二 三〇七二)
≪書き下し≫大崎(おほさき)の荒礒(ありそ)の渡り延(は)ふ葛(くず)のゆくへもなくや恋ひわたりなむ
(訳)大崎の荒磯の渡し場、その岩にまといつく葛があてどもなく延びるように、これからどうなるのか見通しもないまま恋い焦がれつづけることになるのか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)大崎:和歌山市加太の岬。
(注)上三句は序。「ゆくへもなく」を起こす。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その727)」で紹介している。
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■なでしこ■
大伴家持がなでしこを詠んだ歌は、十一首収録されている。
◆吾屋外尓 蒔之瞿麦 何時毛 花尓咲奈武 名蘇経乍見武
(大伴家持 巻八 一四四八)
≪書き下し≫我がやどに蒔(ま)きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
(訳)我が家の庭に蒔いたなでしこ、このなでしこはいつになったら花として咲き出るのであろうか。咲き出たならいつもあなただと思って眺めように。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なそふ【準ふ・擬ふ】:なぞらえる。他の物に見立てる。
題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上家之大嬢歌一首」<大伴宿禰家持、坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈る歌一首>である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その168改)」で紹介している。
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■をみなえし■
「をみなへし」を詠った歌は、万葉集では十四首収録されている。「女郎花」「娘部志」「美人部志」といった漢字があてられている。
◆乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴
(大伴池主 巻十七 三九四四)
≪書き下し≫をみなへし咲きたる野辺(のへ)を行き廻(めぐ)り君を思ひ出(で)た廻(もとほ)り来(き)ぬ
(訳)女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに、あなたを思い出して廻り道をして来てしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介している。
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■ふじばかま■
「藤袴」は万葉集で詠われているのはこの一五三八歌一首のみである。本来は、中国原産で、古い時代に薬草として伝来し、のちに栽培され野生化したと思われる。中国では、「蘭草」、「香草」、「香水蘭」といい、藤袴は生乾きの状態ではいい香りがするのである。
■あさがほ■
現在のアサガオは、万葉の当時渡来していないので、この「朝顔(あさがほ)」については、桔梗(ききょう)説・木槿(むくげ)説・昼顔説などがあるが、木槿も昼顔も夕方には花がしぼむので、「夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ」というのは桔梗であると考えるのが妥当であろう。
◆朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
(作者未詳 巻十 二一〇四)
≪書き下し≫朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ
(訳)朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそひときわ咲きにおうものであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その283)」で紹介している。
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山上憶良と言えば、現実主義的な、時には社会の矛盾を突くような鋭い側面が強いが、一方では、子煩悩的なところもある。秋の七種の花の歌には心の安らぎを感じさせる。憶良自身も子供や植物などに心休める場所を見出していたのかも知れないのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」