●歌は、「わが野外に蒔きし瞿麦いつしかも花に咲きなむ比へつつ見む」である。
●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 雷橋上流100mほどの右岸、飛鳥川沿いにある。
●歌をみていこう。
◆吾屋外尓 蒔之瞿麦 何時毛 花尓咲奈武 名蘇経乍見武
(大伴家持 巻八 一四四八)
≪書き下し≫我がやどに蒔(ま)きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
(訳)我が家の庭に蒔いたなでしこ、このなでしこはいつになったら花として咲き出るのであろうか。咲き出たならいつもあなただと思って眺めように。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なそふ【準ふ・擬ふ】:なぞらえる。他の物に見立てる。
題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上家之大嬢歌一首」<大伴宿禰家持、坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈る歌一首>である。
家持が坂上大嬢に贈ったなでしこを詠った歌をもう一首みてみよう。
◆石竹之 其花尓毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無
(大伴家持 巻三 四〇八)
≪書き下し≫なでしこがその花にもが朝(あさ)な朝(さ)な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
(訳)あなたがなでしこの花であったらいいんいな。そうしたら、毎朝毎朝、この手に取り持って賞(め)でいつくしまない日とてなかろうに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「大伴宿祢家持贈同坂上家之大嬢歌一首」<大伴宿禰家持、同じき坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈る歌一首>である。
犬養孝氏揮毫の万葉歌碑をすべて巡ったその帰りすがり、前回写さなかった雷橋上流100mほどのところに大伴家持の歌碑を撮影。
前回写さなかったのは、題詞のように、「なでしこ」と歌より大きなフォントで銘打ってあり、家の玄関前の道を隔てた川沿いに直角に立てられており、歌碑の前にベコニアをポット仕込みでいくつか植えてあり、歌の内容もチャラっぽく思えてしまったので、今様の歌で万葉歌碑っぽく作ってあるのではないかと思い込み、撮影もしなかった。しかし、念のためと、後で調べると大伴家持の歌碑であることが分かった。
これまでも、歌碑らしきもので判別しがたいものなど、いくつかは、念のためと写しておいて確認して消去してきたのに、この歌碑に関しては、なぜか写しておいてあとで消去するという選択肢を選ばなかったのである。
万葉集では、なでしこの花は二十六首歌われており、そのうちの家持の歌は十二首という。さらに、この歌は、家持が正妻となる坂上大嬢に贈った歌である。
己の無知さを恥ずかしく思った。
7月8日に巡ったほとんどの歌碑はすんなりと探索できず、回り道の連続みたいなものであった。そういう意味で、大変な一日であったが、達成感からか苦労は嘘のようなものだ。やはり万葉の世界の魅力は底知れない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
※20210512朝食関連記事削除、一部改訂