万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1029)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(11)―万葉集 巻十 一八七二

●歌は、「見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも」である。

 

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愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(11)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆見渡者 春日之野邊尓 霞立 開艶者 櫻花鴨

               (作者未詳 巻十 一八七二)

 

≪書き下し≫見わたせば春日(かすが)の野辺(のへ)に霞(かすみ)たち咲きにほえるは桜花かも

 

(訳)遠く見わたすと、春日の野辺の一帯には霞が立ちこめ、花が美しく咲きほこっている、あれは桜花であろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

 平城京跡の東側に立つと東大寺が見える所がある。春日野は、春日山山麓に広がる野で、今の奈良公園や飛火野、高円山の麓一帯を指しているのであろう。

 奈良公園近辺は、高架道路やビルが障害になって見えないが、目を閉じれば、一八七二歌の「見わたせば」がよみがえってくるのである。

 

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平城宮址から大仏殿と三笠山を望む

 

 春日山の北側には三笠山があり、その北西方向に佐紀山が広がる。万葉の時代には、平城京から佐紀山、三笠山春日山高円山と見わたせたのであろう。

 

 次の歌をみてみると、佐紀山と三笠山の位置関係がはっきりしてくる。

 

◆春日在 三笠乃山尓 月母出奴可母 佐紀山尓 開有櫻之 花乃可見

              (作者未詳 巻十 一八八七)

 

≪書き下し≫春日(かすが)にある御笠(みかさ)の山に月も出(い)でぬかも 佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく

 

(訳)東の方春日に聳(そび)える御笠の山に早く月が出てくれないものか。西の方佐紀山に咲いている桜の花がよく見えるように・(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 (注)佐紀山:奈良市佐紀町の北部一帯の山

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その25改)」で紹介している。

(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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 万葉集には、春日野でアウトドアを楽しむ歌(一八八〇から一八八三歌)が収録されている。これらをみてみよう。

 

 題詞は「野遊」である。

(注)やゆう【野遊】:野外に出て遊ぶこと。花見・草摘み・狩りなどを楽しむこと。のあそび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

◆春日野之 淺茅之上尓 念共 遊今日 忘目八方

               (作者未詳 巻十 一八八〇)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が上に思ふどち遊ぶ今日(けふ)の日(ひ)忘らえめやも

 

(訳)春日野の浅茅(あさぢ)の上で、親しい者同士が、思いのままに遊ぶ今日の日の楽しさは、とうてい忘れられるものではない。(同上)

(注)野遊:春の一日、村人が野山で遊ぶ民間行事。宮廷でも行われた。

(注)あさぢ【浅茅】名詞:荒れ地に一面に生える、丈の低いちがや。(学研)

(注)どち 名詞:仲間(なかま)。連れ。

(注)-どち 接尾語:〔名詞に付いて〕…たち。…ども。▽互いに同等・同類である意を表す。「貴人(うまひと)どち」「思ふどち」「男どち」 ※参考「どち」は、「たち」と「ども」との中間に位置するものとして、親しみのある語感をもつ。(学研)

 

 

◆春霞 立春日野乎 徃還 吾者相見 弥年之黄土

               (作者未詳 巻十 一八八一)

 

 

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)立つ春日野を行き返り我(わ)れは相見(あひみ)むいや年のはに

 

(訳)春霞の立ちこめる春日野、この野を、行きつ戻りつして、われらはともに眺めよう。来る年も来る年も、いついつまでも。(同上)

(注)ゆきかへる【行き返る】自動詞:①往復する。②(年月や季節が)移行する。改まる。※古くは「ゆきがへる」。(学研)

(注)としのは【年の端】分類連語:毎年。(学研)

 

 

◆春野尓 意将述跡 念共 来之今日者 不晩毛荒粳

                (作者未詳 巻十 一八八二)

 

≪書き下し≫春の野に心延(の)べむと思ふどち来(こ)し今日(けふ)の日は暮れずもあらぬか

 

(訳)この春の野で心をのびのびさせようと、親しい者同士とやって来た今日の一日は、暮れずにあってくれないものか。(同上)

(注)のぶ【伸ぶ・延ぶ】他動詞:①伸ばす。長くする。②延ばす。延期する。③のんびりさせる。ゆったりとさせる。(学研)

 

 

◆百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎挿頭而 此間集有

               (作者未詳 巻十 一八八三)

 

≪書き下し≫ももしきの大宮人(おほみやひと)は暇(いとま)あれや梅をかざしてここに集(つど)へる

 

(訳)宮仕えの大宮人たちは、暇があるからであろうか、梅を髪に挿して、ここ春日野に集まって遊びに興じている。(同上)

(注)あれや 分類連語:①あるのだろうか。あるからか。あるから…のか。 ▽「や」は疑問を表す。(学研)

 

 

一八八三歌に関して、奈良県HP「はじめての万葉集vol.10(春の生命力)」に解説が載せられているので、一部引用させていただきます。

「(前略)古代の人々も、早春に咲く梅の生命力を愛していたようです。『ももしきの大宮人』とは、多くの石を敷き詰めて築いた宮殿と、そこに仕える官人たちをほめたたえた表現とみられます。この歌では、宮廷に仕える人々が梅の花を髪に挿(さ)して集うようすが詠まれています。

 植物を髪に挿すのは、単なる飾りではなく、その植物の持つ生命力を人間の身につけるという、呪術(じゅじゅつ)的な意味あいがありました。

 この歌は『野遊び』と題された四首の中の一首で、歌中に『ここ』とあるのは、他の歌から、春日野であったことがわかります。『野遊び』とは、生活する空間とそれ以外との境界で春の生命力を得るための呪術的な行事であり、春日野は、平城京に隣接した『野遊び』にふさわしい場所でした。(後略)」

 

 一八八一から一八八三歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-8)」で紹介している。

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 春の生命力を感じさせるものに「若菜」がある。今も春の七草を食する習慣が残っているが、この「若菜」を摘み「煮る」という、自然と人との交わりの喜びを詠った歌があるので、みてみよう。

 

 題詞は「詠煙」である。

 

◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文

               (作者未詳 巻十 一八七九)

 

        ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

      ※※▽は、「者」の下に「火」である。「煮る」である。

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)うはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも

 

(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(同上)

(注)うはぎ:よめなの古名。

(注)らし [助動]活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形に付く。:①客観的な根拠・理由に基づいて、ある事態を推量する意を表す。…らしい。…に違いない。② 根拠や理由は示されていないが、確信をもってある事態の原因・理由を推量する意を表す。…に違いな

[補説] 語源については「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある。奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には①の用法が和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「はじめての万葉集vol.10(春の生命力)」 (奈良県HP)