万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2378)―

■よめな■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春日のうはぎ摘みて煮らしも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート) 20230926撮影



●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は「詠煙」である。

 

◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文

       (作者未詳 巻十 一八七九)

     ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

    ※※▽は、「者」の下に「火」である。「煮る」である。

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)のうはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも

 

(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うはぎ:よめな。キク科の多年草。その若菜を食用にする。(伊藤脚注)

(注)らし [助動]活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形に付く。:①客観的な根拠・理由に基づいて、ある事態を推量する意を表す。…らしい。…に違いない。② 根拠や理由は示されていないが、確信をもってある事態の原因・理由を推量する意を表す。…に違いない。

[補説] 語源については「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある。奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には①の用法が和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

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春日野の場所や春日野にまつわる歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1029)で紹介している。

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「春の野で若菜を摘む娘子」というと、雄略天皇万葉集の巻頭歌(巻一 一歌)が思い起こされる。この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その95改)」で紹介している。

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 「うはぎ」を詠った歌は、万葉集にはもう一首収録されている。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1280)」で紹介している。

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 「娘子」「春の野」このフレーズで、冬の寒さから解放された明るい、穏やかな光景のなかに希望に満ちた、躍動感あふれる伝わってくる。

 

 一八九〇歌からは、部立が「春相聞」になっていく。万葉集自体が春の喜びをお膳立てしているようである。

 その中から「春の野」を詠んだ歌を拾ってみてみよう。

 

春野尓 意将述跡 念共 来之今日者 不晩毛荒粳

       (作者未詳 巻十 一八八二)

 

≪書き下し≫春の野に心延(の)べむと思ふどち来(こ)し今日(けふ)の日は暮れずもあらぬか

 

(訳)この春の野で心をのびのびさせようと、親しい者同士とやって来た今日の一日は、暮れずにあってくれないものか。(同上)

(注)のぶ【伸ぶ・延ぶ】他動詞:①伸ばす。長くする。②延ばす。延期する。③のんびりさせる。ゆったりとさせる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その794-8)」で紹介している。

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◆容鳥之 間無數鳴 春野之 草根乃繁 戀毛為鴨

       (作者未詳 巻十 一八九八

 

≪書き下し≫貌鳥(かほどり)の間(ま)なくしば鳴く春の野の草根(くさね)の繁(しげ)き恋もするかも

 

(訳)貌鳥(かおどり)が絶え間なくしきりに鳴いている春の野の、その草根の茂みさながらの恋を私はしている。(同上)

(注)「貌鳥の間なくしば鳴く春の野の草根の」が序。「繁き」を起す。(伊藤脚注)

(注の注)かほとり【貌鳥・容鳥】名詞:鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(学研)

 

 

◆藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在

       (作者未詳 巻十 一九〇一)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の咲く春の野に延(は)ふ葛(くず)の下よし恋ひば久しくもあらむ

 

(訳)藤の花が咲く春の野にひそかに延びてゆく葛のように、心の奥底でばかり恋い慕っていたなら、この思いはいついつまでも果てしなく続くことであろう。(同上)

(注)藤波:藤の花を波に見立てた語。上三句は序。「下」(心の奥底)を起す。(同上)

(注)久しくもあらむ:上に「心の苦しみは」を補う。(伊藤脚注)

 

 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1371)」で紹介している。

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春野尓 霞棚引 咲花乃 如是成二手尓 不逢君可母

       (作者未詳 巻十 一九〇二)

 

≪書き下し≫春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも

 

(訳)春の野に霞がたなびいて、咲く花がこんなに見事になっても、いっこうに逢っては下さらないあの方よ。(同上)

(注)かくなるまでに:こんなに見事に咲くまで。(伊藤脚注)

 

 

 

 

 時間的経過を楽しめる、しかもだんだんと暖かくなっていく「春」は、季節の中でも最高である。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉