万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その95改)―奈良県桜井市黒崎白山神社境内―万葉集 巻一 一

●歌は、「こもよみこもちふくしもよみふくし持ちこの岳に菜摘ます子家のらせ名のらさぬ そらみつ倭の国はおしなべてわれこそをれ敷きなべてわれこそませ 我をこそ居(を)れ我れこそは告(の)らめ家をも名をも」である。

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奈良県桜井市黒崎白山神社境内万葉歌碑(雄略天皇

●歌碑は、奈良県桜井市黒崎白山神社境内にある。

 

●歌をみていこう。

◆籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根  虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母

                   (雄略天皇 巻一 一)

 

≪書き下し≫籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串(ぶくし)持ちこの岡(をか)に 菜(な)摘(つ)ます子 家告(の)れせ 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居(を)れ 我れこそば 告(の)らめ 家をも名をも

 

(訳)おお、籠(かご)よ、立派な籠を持って、おお。堀串(ふくし)よ、立派な堀串を持って、ここわたしの岡で菜を摘んでおいでの娘さん、あなたの家をおっしゃい、名前をおっしゃいな。霊威満ち溢れるこの大和の国は、隅々までこの私が平らげているのだ。果てしもなくこのわたしが治めているのだ。が、わたしの方から先にうち明けようか、家も名も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)もよ 分類連語:ねえ。ああ…よ。▽強い感動・詠嘆を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち 係助詞「も」+間投助詞「よ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)み- 【御】接頭語:名詞に付いて尊敬の意を表す。古くは神・天皇に関するものにいうことが多い。「み明かし」「み軍(いくさ)」「み門(みかど)」「み子」(学研)

(注の注)持ち物を通して娘子をほめている。

(注)ふくし【掘串】名詞:土を掘る道具。竹や木の先端をとがらせて作る。 ※後に「ふぐし」とも。(学研)

(注)菜摘ます:「菜摘む」の尊敬語

(注)のらす【告らす・宣らす】分類連語:おっしゃる。▽「告(の)る」の尊敬語。 ⇒なりたち 動詞「の(告)る」の未然形+尊敬の助動詞「す」(学研)

(注の注)家や名を告げるのは、結婚の承諾を意味する。

(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)

 (注)おしなぶ 他動詞:(一)【押し靡ぶ】押しなびかせる。「おしなむ」とも。(二)【押し並ぶ】①すべて同じように行きわたる。②並である。普通である。 ※(二)の「おし」は接頭語。(学研)

(注)しきなぶ【敷き並ぶ】自動詞:すべてにわたって治める。一帯を統治する。(学研)

(注)ます【坐す・座す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)

(注)こそ 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞・助詞などに付く。上代では已然形にも付く。①〔上に付く語を強く指示し、文意を強調する〕ほかの事・物・人ではなく、その事・物・人。②〔「こそ…已然形」の句の形で、強調逆接確定条件〕…は…だけれど。…こそ…けれども。 参考⇒ばこそ・もこそ・あらばこそ

 

 最後の三句を「ワニコソハ告ラメ家ヲモ名ヲモ」と読む説もあるそうである。これについて、神野志隆光氏は、「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」の中で、「第二段ですでに王たることをあかしており、また、求婚において家・名を告げることが求められるのは女の側ですから、女に名・家を告げることを求めるという、この読み方にも理はあります。しかし、原文は「我許背歯」であり、『ニ』を詠み添えるには、根拠が弱いのです。ワレコソバと、有無をいわさぬような威圧感をもってせまると受けとられます。春を背景に、求婚のかたちをとって、天皇が、世界を支配する王たることを宣言する歌です。」と述べておられる。

 

 題詞は、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇 天皇御製歌」<泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)の宮に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと) 天皇御製歌>とある。

(注)大泊瀬稚武天皇:二十一代雄略天皇

 万葉集巻一は、この歌を巻頭歌とし、寧楽宮(平城京)にいたる構成をなし、巻二は、仁徳天皇の歌を巻頭歌とし、同じく寧楽宮(平城京)を巻末にもってくる構成となっている。いわば、姉妹編である。

 題詞によって、歌が作られた背景や作者を示し、左注に「日本紀(「日本書紀」「紀」)を引き年次等を具体化している。このことは、明確な歴史性の志向がうかがえるのである。

 

 万葉集はこの雄略天皇の「春の求婚の歌」という「賀歌」で始まり、大伴家持の「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)」という「賀歌」で終わっている。

 これに関して、伊藤 博氏は「万葉集 四(角川ソフィア文庫)」の中で、次のように述べられている。

 「万葉集の巻一巻頭歌と巻二十巻末歌との照応は、『賀歌』のひびきあいという面では伝統の構造精神を追って完全ではあるけれども、古代の至尊雄略天皇の御製と現代の臣大伴宿禰家持の歌との対応という面では、違和感が伴うことを否定しがたい。完全と違和の交錯するこの微妙な姿は、公と私とを統一しようとした家持の心情の軌跡を象徴しているといえるであろう。(中略)万葉集は民族的歌集であると同時に、切実な古代詩人の生み落した悲しいまでに美しい文学的遺産であったということができる。」

 

 

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白山神社参道

 

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白山神社拝殿

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白山神社本殿

 

 

 

 桜井市黒崎の白山神社には、万葉集がこの地から始められたことを讃える意味で、「萬葉集發耀讃仰碑」と書かれた記念碑がある。このあたりは、雄略天皇泊瀬朝倉宮があったといわれている。(読み:まんようしゅうはつようさんぎょうひ)

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萬葉集發耀讃仰碑

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の「発見」と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書」

 

※20210608朝食関連記事削除、一部改訂