―その2793(1)―
●歌は、「葛飾の真間の浦みを漕ぐ舟の舟人騒く波立つらしも (作者未詳 14-3349)」である。

●歌碑(プレート)は、千葉県市川市真間大門通り(12-①)である。
●歌をみていこう
◆可豆思加乃 麻萬能宇良未乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母
(作者未詳 巻十四 三三四九)
≪書き下し≫葛飾(かつしか)の真間(まま)の浦(うら)みを漕(こ)ぐ舟の舟人(ふなびと)騒(さわ)く波立つらしも
(訳)葛飾の真間の浦辺、あれ、あそこを漕いでゆく舟の舟人たちが、せわしく動き廻っている。波がしきりに立つのであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)葛飾:東京・埼玉・千葉にまたがる江戸川沿岸一帯の地。(伊藤脚注)
(注)真間 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の千葉県市川市真間付近の地。『万葉集』に歌われた伝説の美少女「真間の手児奈(てこな)」によって有名である。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)騒く:せわしく動き廻っている。(伊藤脚注)
左注は、「右一首下総國歌」<右の一首は下総(しもつふさ)の国の歌>である。
(注)下総:千葉県北部から茨城県南部。(伊藤脚注)
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この歌は、「巻十四の巻頭五首」のうちの一首である。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2781)」で巻頭五首とともに紹介している。
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―その2793(2)―
●歌は、「葛飾の真間の手児名をまことかも我れに寄すとふ真間の手児名を(作者未詳 14-3384)」である。

●歌碑(プレート)は、千葉県市川市真間大門通り(12-②)である。
●歌をみていこう
◆可都思加能 麻末能手兒奈乎 麻許登可聞 和礼尓余須等布 麻末乃弖胡奈乎
(作者未詳 巻十四 三三八四)
≪書き下し≫葛飾(かつしか)の真間(まま)の手児名(てごな)をまことかも我(わ)れに寄すとふ真間の手児名を
(訳)葛飾の真間の手児名、あの子、ほんとうかいな、世間の人がこの私に言い寄せているそうな。あの真間の手児名をさ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)真間の手児名:伝説上の美女。背後に現実の美女がいる。(伊藤脚注)
―その2793(3)―
●歌は、「葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに(作者未詳 14-3385)」である。

●歌碑(プレート)は、千葉県市川市真間大門通り(12-③)である。
●歌をみていこう。
◆可豆思賀能 麻萬能手兒奈我 安里之可婆 麻末乃於須比尓 奈美毛登杼呂尓
(作者未詳 巻十四 三三八五)
≪書き下し≫葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに
(訳)昔、葛飾の真間の手児名という、それは美しい女がいたからさ、この真間の磯辺で、寄せる波までが大騒ぎしたものさ(同上)
(注)おすひ:イソへ(磯辺)の訛りか。(伊藤脚注)
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―その2793(4)―
●歌は、「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ(作者未詳 14-3387)」である。

●歌碑(プレート)は、千葉県市川市真間大門通り(12-➃)である。
●歌をみていこう。
◆安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟
(作者未詳 巻十四 三三八七)
≪書き下し≫足(あ)の音(おと)せず行かむ駒(こま)もが葛飾の真間(まま)の継橋(つぎはし)やまず通(かよ)はむ
(訳)足音を立てずに行くような駒でもあったらなあ。そしたら、その駒で、葛飾の真間の継橋を、しょっちゅう通うことができように。(同上)
(注)あ 【足】名詞:足(あし)。 ⇒参考:上代語。「足占(あうら)」「足結(あゆひ)」などのように多く複合語の形で使われた。(学研)
三三八四、三三八五、三三八七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2308)」で紹介している。
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本稿で、市川市真間大門通りの万葉の歌パネルシリーズは終わりである。町全体で万葉集を盛り上げようとするエネルギーを感じさせるパネルである。これまで万葉歌碑を訪れてきたが、このように町全体で統一感ある試みは記憶がない。
箱根越えしてはるばる訪ねて来た疲れも吹っ飛び心浮き浮きである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」