●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。
◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(志貴皇子 巻八 一四一八)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌については、志貴皇子六首とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1216)」で紹介している。
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この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。本稿から5回にわたって全巻の巻頭歌をみてみよう。
■■巻頭歌 巻一~四■■
■巻一 一歌■
題詞は、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇 天皇御製歌」<泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)の宮に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと) 天皇御製歌>とある。
◆籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
(雄略天皇 巻一 一)
≪書き下し≫籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串(ぶくし)持ちこの岡(をか)に 菜(な)摘(つ)ます子 家告(の)れせ 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居(を)れ 我れこそば 告(の)らめ 家をも名をも
(訳)おお、籠(かご)よ、立派な籠を持って、おお。堀串(ふくし)よ、立派な堀串を持って、ここわたしの岡で菜を摘んでおいでの娘さん、あなたの家をおっしゃい、名前をおっしゃいな。霊威満ち溢れるこの大和の国は、隅々までこの私が平らげているのだ。果てしもなくこのわたしが治めているのだ。が、わたしの方から先にうち明けようか、家も名も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)もよ 分類連語:ねえ。ああ…よ。▽強い感動・詠嘆を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち 係助詞「も」+間投助詞「よ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)み- 【御】接頭語:名詞に付いて尊敬の意を表す。古くは神・天皇に関するものにいうことが多い。「み明かし」「み軍(いくさ)」「み門(みかど)」「み子」(学研)
(注の注)持ち物を通して娘子をほめている。
(注)ふくし【掘串】名詞:土を掘る道具。竹や木の先端をとがらせて作る。 ※後に「ふぐし」とも。(学研)
(注)菜摘ます:「菜摘む」の尊敬語
(注)のらす【告らす・宣らす】分類連語:おっしゃる。▽「告(の)る」の尊敬語。 ⇒なりたち 動詞「の(告)る」の未然形+尊敬の助動詞「す」(学研)
(注の注)家や名を告げるのは、結婚の承諾を意味する。
(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)
(注)おしなぶ 他動詞:(一)【押し靡ぶ】押しなびかせる。「おしなむ」とも。(二)【押し並ぶ】①すべて同じように行きわたる。②並である。普通である。 ※(二)の「おし」は接頭語。(学研)
(注)しきなぶ【敷き並ぶ】自動詞:すべてにわたって治める。一帯を統治する。(学研)
(注)ます【坐す・座す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
(注の注)原文は「吾己曽座」となっているが、伊藤氏は「我れこそ居(を)れ」に改めておられる。
(注)こそ 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞・助詞などに付く。上代では已然形にも付く。①〔上に付く語を強く指示し、文意を強調する〕ほかの事・物・人ではなく、その事・物・人。②〔「こそ…已然形」の句の形で、強調逆接確定条件〕…は…だけれど。…こそ…けれども。 参考⇒ばこそ・もこそ・あらばこそ
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その95改)」で紹介している。
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万葉歌碑を訪ねて(その95改)―奈良県桜井市黒崎白山神社境内―万葉集 巻一 一 - 万葉集の歌碑めぐり
■巻二 八五歌■
標題は、「難波高津宮御宇天皇代 大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇」<難波(なにわ)の高津(たかつ)の宮(みや)に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(よ) 大鷦鷯(おほさざきの)天皇(すめらみこと) 、謚(おくりな)して仁徳天皇(にんとくてんのう)といふ>である。
題詞は、「磐姫皇后思天皇御作歌四首」<磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)、天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて作(つく)らす歌四首>である。
◆君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 待尓可将待
(磐姫皇后 巻二 八五)
≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山(やま)尋(たづ)ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。山を踏みわけてお迎えに行こうか。それともこのままじっと待ちつづけようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)君が行き:「が」は連体助詞、「行き」はお出ましの意。
(注)「尋ぬ」は原則男の行為、「待つ」は普通、女の行為
左注は、「右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉」<右の一首の歌は、山上憶良臣が類聚歌林に載(の)す>である。
この歌については、大阪府堺市大仙町 仁徳陵西側遊歩道の歌碑とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1034~1037)」で紹介している。
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■巻三 二三五歌■
題詞は、「天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首」<天皇(すめらみこと)、雷(いかづち)の岳(おか)に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首>である。
◆皇者 神二四座者 雷之上尓 廬為流鴨
(柿本人麻呂 巻三 二三五)
≪書き下し≫大王(おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほ)らせるかも
(訳)天皇は神であらせられるので、天雲を支配する雷神、その神の上に廬(いおり)をしていらっしゃる。(同上)
(注)いほる 【庵る・廬る】:仮小屋を造って宿る。
左注は、「右或本云獻忍壁皇子也 其歌日 王 神座者 雲隠 伊加土山尓 宮敷座」<右は、或本には「忍壁皇子(おさかべのみこ)に献(たてまつ)る」という。その歌は「大君は神にしませば雲隠(くもがく)る雷山(いかづちやま)に宮(みや)敷きいます」といふ。>
(或本の歌の訳)大君は神であらせられるので、雲に隠れる雷、その雷山に宮殿を造って籠(こも)っておられます。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その154)」で紹介している。
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■巻四 四八四歌■
題詞は、「難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首」<難波天皇(なにはのすめらみこと)の妹(いもひと)、大和(やまと)に在(いま)す皇兄に奉上(たてまつ)る御歌一首>である。
(注)妹:仁徳天皇の異母妹、矢田皇女。(伊藤脚注)
◆一日社 人母待吉 長氣乎 如此耳待者 有不得勝
(八田皇女 巻四 四八四)
≪書き下し≫一日(ひとひ)こそ人も待ちよき長き日(け)をかくのみ待たば有りかつましじ
(訳)一日ぐらいなら人を待つのもたやすいことでしょう。しかし、日を重ねに重ねてこんなにも待たされたのでは、とても生きてはいられない気持ちです。(同上)
(注)よき:上代では、形容詞はコソを連体形で承ける。(伊藤脚注)
(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒なりたち:可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)
矢田皇女の名は、巻二 九〇歌に左注にみえる。左注については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その番外200513)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会)