万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その154)―奈良県高市郡明日香村 雷交差点近く道路脇―

●歌は、「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも」である。

f:id:tom101010:20190803223836j:plain

明日香村雷丘万葉歌碑(柿本人麻呂)遠くに畝傍山

 

●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 雷交差点から北30m位のところの道路沿いにある。この辺りは小高い丘になっており、雷丘(いかづちのおか)と呼ばれている。雷丘の東側一帯は奈良時代離宮の一つであった小治田宮(おはりだのみや)の跡と考えられ推古天皇小墾田宮(おはりだのみや)もこの近くにあった可能性が高まってきているという。

1987年明日香村雷丘(いかずちのおか)東方遺跡で「小治田宮」の墨書土器が発見されという。歴史ロマン万葉の地である。

f:id:tom101010:20190803224534j:plain

万葉歌碑近くの雷丘東方小墾田宮跡等説明案内板

 

●歌をみていこう。

◆皇者 神二四座者 雷之上尓 廬為流鴨 

             (柿本人麻呂 巻三 二三五)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほ)らせるかも

 

(訳)天皇は神であらせられるので、天雲を支配する雷神、その神の上に廬(いおり)をしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いほる 【庵る・廬る】:仮小屋を造って宿る。

 

 題詞は、「天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首」<天皇(すめらみこと)、雷(いかづち)の岳(おか)に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首>である。

(注)天皇持統天皇か。天武天皇とも文武天皇ともいう。

 

 左注は、「右或本云獻忍壁皇子也 其歌日 王 神座者 雲隠 伊加土山尓 宮敷座」<右は、或本には「忍壁皇子(おさかべのみこ)に献(たてまつ)る」という。その歌は「大君は神にしませば雲隠(くもがく)る雷山(いかづちやま)に宮(みや)敷きいます」といふ。>

(或本の歌の訳)大君は神であらせられるので、雲に隠れる雷、その雷山に宮殿を造って籠(こも)っておられます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌は、万葉集巻三の冒頭歌である。

 犬養孝氏は「万葉の大和路」(旺文社文庫)の中で、「壬申の乱をわずか一か月で勝ちとった大海人皇子(おおあまのみこ)(天武天皇)は当時の宮廷人からみればまさに「神」であり、持統・文武天皇天皇権の伸張につれて、天皇即神の意識がひろまってゆく時代気運であってみれば、持統女帝はまさに神であり、だから天雲の中で也とどろく雷をも征服しておられると考える。天皇絶対礼讃の人麻呂の心は、躍如と出てくるといえるのではなかろうか。低い丘を、凄い山地に感じさせるところに、人麻呂の天皇讃歎の心が見られるというべきであろう。」と述べておられる。

天皇即神」の考え方に結びつけるには無理があるという考え方もある。

「おほきみは神にしませば」という初句の歌は万葉集には、六首ある。一三五歌と左注の「或る本」の歌。そしてあと四首である。

 

 六首を題詞とともにみていこう。

 

題詞「天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首」

大君(おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほ)らせるかも      (巻三 二三五)

 

 

大君(おほきみ)は神にしませば雲隠(くもがく)る雷山(いかづちやま)に宮(みや)敷きいます

             (巻三 二三五の左注の歌)

 左注には、「忍壁皇子(おさかべのみこ)に献(たてまつ)る」とある。

 

 

題詞は、「長皇子遊獦路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」

長歌ならびに反歌一首は省略>

「或本反歌一首」として、

大君(おほきみ)は神にしませば真木(まき)の立つ荒山中(あらやまなか)に海を成すかも             (巻三 二四一)

 

 

題詞は、「弓削皇子薨時置始東人作歌一首幷短歌」

長歌は省略>

王(おほきみ)は神にしませば天雲の五百重(いほへ)が下(した)に隠(かく)りたまひぬ

             (巻三 二〇五)

 

 

題詞は、「壬申年之乱平定以後歌二首」

大君(おほきみ)は神にしませば赤駒(あかごま)の腹這(はらば)ふ田居(たゐ)を都と成(な)しつ            (巻十九 四二六〇)

 

 

大君(おほきみ)は神にしませば水鳥(みづどり)のすだく水沼(みぬま)を都と成しつ

             (巻十九 四二六一)

 

 一三五左注の歌は「忍壁皇子」であり、二四一歌は「長皇子」、二〇五歌は「弓削皇子」であり天皇が対象となっていない歌もある。二〇五歌の挽歌を除けば、下句で具体的な事象をのべ、「人間わざではない」「神でなくてはこのようなことはできない」と感嘆しているととらえる方が自然の流れであろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」

★「weblio古語辞書 学研全訳古語辞典」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、サンチュとトマトそして焼き豚である。井形に組み真ん中に野菜ジュースのグラスを置いた。デザートは、切子のグラスを用いて、涼しさを演出した。トンプソンとクリムゾンシードレスを中心に飾りつけた。

f:id:tom101010:20190803225821j:plain

8月3日のザ・モーニングセット

f:id:tom101010:20190803225907j:plain

8月3日のフルーツフルデザート