●歌は、「玉だすき畝傍の山の橿原のひじりの御代ゆ生れましし神のことごとつがの木のいやつぎつぎに天の下知らしめししを天にみつ大和を置きてあをによし奈良山を越えいかさまに思ほしめせかあまざかる鄙にはあれどいはばしる近江の国の楽浪の大津の宮の天の下知らしめしけむ天皇の神の尊の大宮はここと聞けども大殿はここと言へども春草の茂く生ひたる霞立ち春日の霧れるももしきの大宮ところ見れば悲しも(柿本人麻呂 1-29)」である。
【大津京址】
「柿本人麻呂(巻一‐二九)(歌は省略)斉明天皇崩御(六六一)によって中大兄皇子の称制となったが、その六年(六六七)三月一九日、飛鳥から近江大津京に遷都があり、翌七年一月皇子は即位して天智天皇となった。・・・近江では智謀の人藤原鎌足を背後にして、着々と新制は強化された。・・・一方、反近江派の空気も年を追うて宮廷の内外にひろまりつつあったようで、鎌足没(六六九)後は、天皇と皇太子(皇太弟)大海人(おおあま)皇子との対立も深まり、一〇年(六七一)一月天智皇子の大友皇子を太政大臣にたてるにおよんで表面化し、ついに一〇月一七日、大海人皇子は病床の兄天皇の譲位の話を拒否して一九日吉野人となった。時人は『虎に翼(つばさ)を著(つ)けて放てり』といったという。・・・天皇は一二月三日亡くなった。翌年(六七二)六月大海人皇子の吉野進発にはじまる壬申の乱によって七月近江朝は潰滅に帰し、やがて都は飛鳥にうつって天武天皇(大海人)の時代となる。大津京はわずか五年四か月、興亡に浮き沈みした悲運の都であった。・・・人麻呂は現実をいつも歴史的現実としてつかもうとする。この歌でも遠い神武天皇のむかしからときおこしてとくに大和をあとに大津に都した天智天皇におよび、その荒廃した宮址に立って幻影を追いもとめその幻滅を哀傷する呼吸で、枕詞や対句を多用し、流動してやまぬ壮大な音楽美を構成している。・・・この歌を持統朝初期の作とすれば乱後二〇年足らずのころになる。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻一 二九歌をみていこう。二九歌(長歌)・三〇、三一歌(反歌)で構成されている。
■■巻一 二九、三〇、三一歌■■
題詞は、「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」<近江(あふみ)の荒れたる都(みやこ)を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。
(注)近江の荒れたる都:天智天皇近江大津の宮の廃墟。(伊藤脚注)
(注)都を過ぐる時:立ち寄って通り過ぎる時に宮跡を見て、の意。(伊藤脚注)
■巻一 二九歌■
◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>
(柿本人麻呂 巻一 二九)
≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或いは「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>
(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)玉たすき:「畝傍」の枕詞。欅をうないで神祭をする意。(伊藤脚注)
(注の注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)
(注)ひじり:支配者。ここは初代神武天皇。(伊藤脚注)
(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)
(注)そらにみつ>そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。「そらみつ大和の国」(学研)
(注)いかさまに思ほしめせか:痛恨の気持から出た表現。挽歌の常套句。(伊藤脚注)
(注の注)いかさまなり【如何様なり】形容動詞ナ:どのようだ。どんな具合だ。(学研)
(注)石走る:「近江」の枕詞。以下六句、山の地大和に対し水の地近江を選んだのか、の意がこもる。(伊藤脚注)
(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。「ささなみの長等」。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。「ささなみの寄り来る」 ⇒参考:『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)
(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)
(注)きる【霧る】自動詞:①霧や霞(かすみ)が立ちこめる。かすむ。②目が涙でかすんでよく見えない。(学研)ここでは①の意
(注)ももしきの【百敷の・百石城の】分類枕詞:「ももしき」は「ももいしき(百石木)」の変化した語。多くの石や木で造ってあるの意から「大宮」にかかる。(学研)
この二九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その247)」で滋賀県大津市錦織2 近江大津京跡錦織遺跡の歌碑とともに紹介している。
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この二九歌、ならびに反歌二首(三〇歌、三一歌)は、近江荒都歌と呼ばれている。
三〇、三一歌をみてみよう。
■巻一 三〇歌■
◆楽浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津
(柿本人麻呂 巻一 三〇)
≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の唐崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人(おほみやひと)の舟待ちかねつ
(訳)楽浪(ささなみ)の志賀の唐崎よ、お前は昔のままにたゆとうているけれども、ここで遊んだ大宮人たちの船、その船はいくら待っても待ち受けることができない。(同上)
三〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その241)」で唐崎苑湖岸緑地万葉歌碑とともに紹介している。
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■巻一 三一歌■
◆左散難弥乃 志我能<一云比良乃> 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛<一云将會跡母戸八>
(柿本人麻呂 巻一 三一)
≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<一には「比良の」といふ>大わだ淀むとも昔(むかし)の人にまたも逢はめやも<一には「逢はむと思へや」といふ>
(訳)楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<比良の>大わだよ、お前がどんなに淀(よど)んだとしても、ここで昔の人に、再びめぐり逢(あ)うことができようか、できはしない。(同上)
(注)大わだ:湾入して水の淀んでいるところ。(伊藤脚注)
(注)淀むとも:どんなに淀んだとしても。トモはここは事実を仮定的に言ったもの。(伊藤脚注)
(注)昔:現在からは遮断された向う側の時期として対象化された過去をいう。(伊藤脚注)
三一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その233)」で大津市役所正面横時計台下万葉歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」