■ひのき■
●歌は、「鳴る神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨
(柿本人麻呂歌集 巻七 一〇九二)
≪書き下し≫鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも
(訳)噂にだけ聞いていた纏向の檜原の山、その山を、今日この目ではっきり見た。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)なるかみの【鳴る神の】分類枕詞:「雷の」の意から、「音(おと)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)なるかみ【鳴る神】名詞:かみなり。雷鳴。[季語] 夏。 ⇒参考「かみなり」は「神鳴り」、「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。(学研)
(注)檜原の山:今、三輪山西麓に檜原社がある。(伊藤脚注)
この歌については、集中「檜原」が詠まれたのは六首、「檜乃嬬手」「檜山」「檜橋」の形で三首が収録されているが、これらを含め、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1124)」で紹介している。
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「檜原神社」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その66改)」で紹介している
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一〇九二歌の(注の注)に「『かみなり』は『神鳴り』、『いかづち』は『厳(いか)つ霊(ち)』から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。(学研)」と書かれていたが、その雷も、天皇を神と考え、しかも雷の上に位置付けられては、雷の威厳もどこへやら、である。
次の歌をみてみよう。
◆皇者 神二四座者 雷之上尓 廬為流鴨
(柿本人麻呂 巻三 二三五)
≪書き下し≫大王(おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほ)らせるかも
(訳)天皇は神であらせられるので、天雲を支配する雷神、その神の上に廬(いおり)をしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)いほる 【庵る・廬る】:仮小屋を造って宿る。
題詞は、「天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首」<天皇(すめらみこと)、雷(いかづち)の岳(おか)に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首>である。
二三五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その154)」で紹介している。
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次の歌をみてみよう。こちらは、さすがの雷神様も二人のメロメロぶりに雷鳴を轟かすこともできないように思われる。
◆雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二五一三)
≪書き下し≫鳴る神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君を留(とど)めむ
(訳)雷がちょっとだけ鳴って空がかき曇って、そして雨でも降ってくれないものか。そうしたら、あなたをお留めできように。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
◆雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二五一四)
≪書き下し≫鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば
(訳)雷がちょっとだけ鳴ったりして雨など降らなくたって、私は留まろう。お前さんがじかに引きとめてくれるなら。(同上)
「雷」「鳴る神」が詠まれている歌をみてみよう。
■一九九歌■
◆・・・大御身尓 大刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻▼ 吹響流 小角乃音母 <一云 笛之音波> 敵見有 虎可▼2吼登 諸人之 恊流麻▼尓 <一云 聞或麻▼>・・・
(柿本人麻呂 巻二 一九九)
▼は、「亻に弖」⇒「麻▼」=「まで」
▼2は、「口偏にリ」⇒「虎可▼2吼登」=「虎か吼(ほ)ゆると」
≪書き下し≫・・・大御身(おほみみ)に 大刀(たち)取り佩(は)かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士(みいくさ)を 率(あども)ひたまひ 整(ととのふ)ふる 鼓(つづみ)の音は 雷(いかづち)の 声(こゑ)と聞くまで 吹き鳴(な)せる 小角(くだ)の音も <一には「笛の音は」といふ> 敵(あた)見たる 虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の おびゆるまでに <一には「聞き惑ふまで」といふ>・・・
(訳)・・・尊い御身に太刀(たち)を佩(は)かれ、尊い御手(おんて)に弓をかざして軍勢を統率されたが、その軍勢を叱咤(しった)する鼓の音は雷(いかずち)の声かと聞きまごうばかり、吹き鳴らす小角笛(つのぶえ)の音<笛の音は>も敵に真向かう虎がほえるかと人びとが怯(おび)えるばかりで<聞きまどうばかり>・・・(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
一九九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1787)」で紹介している。
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■九一三歌■
◆味凍 綾丹乏敷 鳴神乃 音耳聞師 三芳野之 真木立山湯 見降者 川之瀬毎・・・
(車持千年 巻六 九一三)
≪書き下し≫味凝り あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 真木立つ山ゆ 見下ろせば 川の瀬ごとに・・・
(訳)むしょうに見たいと思いつつ、鳴る神の音のように噂にばかり聞いていたみ吉野、ここみ吉野の真木茂り立つ山の上から見おろすと・・・
(注)うまこり [枕]:美しい織物の意で、同意の「綾(あや)」と同音の「あや」にかかる。[補説] 「美(うま)き織り」の音変化した形か。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■一三六九歌■
◆天雲 近光而 響神之 見者恐 不見者悲毛
(作者未詳 巻七 一三六九)
≪書き下し≫天雲(あまくも)に近く光りて鳴る神し見れば畏(かしこ)し見ねば悲しも
(訳)天雲の近くで光って鳴る雷、この雷は、見れば見たで恐ろしいし、見なければ見ないで不安でせつない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)雷:身分の高い男の譬え。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その76改)」で奈良県桜井市穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)境内の歌碑と共に紹介している。
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■二六五八歌■
◆天雲之 八重雲隠 鳴神之 音耳尓八方 聞度南
(作者未詳 巻十一 二六五八)
≪書き下し≫天雲(あまくも)の八重(やへ)雲隠(くもがく)り鳴る神(かみ)の音(おと)のみにやも聞きわたりなむ
(訳)天雲の八重雲の奥に隠れて鳴り響く雷のように、あの方の噂を耳にするだけで過ごしてゆかねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)なるかみの【鳴る神の】分類枕詞:「雷の」の意から、「音(おと)」にかかる。(学研)
(注)上三句は序。「音のみに聞く」を起こす。
(注の注)おとにきく【音に聞く】分類連語:①うわさに聞く。②有名だ。評判が高い。(学研)
(注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。 ⇒語法 「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考 「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち 係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)
(注)ききわたる【聞き渡る】他動詞:長い間聞き続ける。いつも聞く。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1134)」で紹介している。
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■三四二一歌■
◆伊香保祢尓 可未奈那里曽祢 和我倍尓波 由恵波奈家杼母 兒良尓与里弖曽
(作者未詳 巻十四 三四二一)
≪書き下し≫伊香保嶺(いかほね)に雷(かみ)な鳴りそね我(わ)が上(へ)には故(ゆゑ)はなけども子らによりてぞ
(訳)伊香保嶺なんぞで、雷よ、鳴らないでおくれ。私にはさしつかえはないけれど、あの子のためにさ。(同上)
(注)故(ゆゑ)はなけども子らによりてぞ:支障はないが、あの子のためにさ。(伊藤脚注)
■四二三五歌■
題詞は、「太政大臣藤原家之縣犬養命婦奉天皇歌一首」<太政大臣(だいじやうだいじん)藤原家の縣犬養命婦(あがたのいぬかひのみやうぶ)、天皇(すめらみこと)に奉(たてまつる)る歌一首>である。
(注)縣犬養命婦:県犬養宿禰三千代。美努王に嫁し橘諸兄らを生んだが、後、不比等に嫁し、光明皇后を生んだ。天平五年(732年)没。(伊藤脚注)
◆天雲乎 富呂尓布美安太之 鳴神毛 今日尓益而 可之古家米也母
(県犬養三千代 巻十九 四二三五)
≪書き下し≫天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日にまさりて畏けめやも
(訳)天雲、その雲をばらばらに蹴散らして鳴る雷の恐ろしさも、今日にまさって恐れ多いことがありましょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ほろに [副]:散り乱れるさま。ばらばら。(goo辞書)
(注)ほろに踏みあだし:ばらばらに踏み蹴散らかして。「あだす」はあばれる意か。(伊藤脚注)
(注)今日にまさりて畏けめやも:今日の天皇の恐れ多さにまさるとは考えられない。景気づけに持ち出された古歌だが、今日の宴をほめる意もこもる。(伊藤脚注)
左注は、「右一首傳誦掾久米朝臣廣縄也」<右の一首、伝誦(でんしよう)するは掾(じよう)久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)>である。
文末になりましたが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も万葉集の海を泳ぎまわります。
拙稿にお目を通していただき心から御礼申し上げます。
引きつづきご指導賜りますようお願いいたします。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」