万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1787)―橿原市木之本町 畝尾都多本神社―万葉集巻二 二〇二

●歌は、「哭沢の神社に御瓶据ゑ折れども我が大君は高日知らしぬ」である。

橿原市木之本町 畝尾都多本神社万葉歌碑(檜隈女王)

●歌碑は、橿原市木之本町 畝尾都多本神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

 この歌は、一九九から二〇一歌の歌群の題詞「高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 幷短歌」<高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>の「或書の反歌一首」のである。

 

■二〇二歌■

 題詞は、「或書反歌一首」<或書の反歌一首>である。

(注)長歌の異文系統の反歌だったのか。(伊藤脚注)

 

◆哭澤之 神社尓三輪須恵 雖祷祈 我王者 高日所知奴

       (檜隈女王 巻二 二〇二)

 

≪書き下し≫哭沢(なきさわ)の神社(もり)に御瓶(みわ)据(す)ゑ祈れども我(わ)が大君は高日(たかひ)知らしぬ

 

(訳)哭沢(なきさわ)の神社(やしろ)に御酒(みき)を据え参らせて無事をお祈りしたけれども、我が大君は、空高く昇って天上を治めておられる。(同上)

(注)哭沢(なきさわ)の神社(もり):香具山西麓の神社。(伊藤脚注)

(注)たかひしる【高日知る】分類連語:死んで神として天上を治める。または、天皇・皇子が死ぬことを婉曲的にいう。(学研)

 

左注は、「右一首類聚歌林曰 檜隈女王怨泣澤神社之歌也 案日本紀云十年丙申秋七月辛丑朔庚戌後皇子尊薨」<右の一首は、類聚歌林(るいじうかりん)には、「檜隈女王(ひのくまのおほきみ)、哭沢(なきさわ)の神社(もり)を怨(うら)むる歌なり」といふ。日本紀(にほんぎ)を案(かむが)ひるに、日(い)はく、「十年丙申(ひのえさる)の秋の七月辛丑(かのとうし)の朔(つきたち)の庚戌(かのえいぬ)に、後皇子尊(のちのみこのみこと)薨(こう)ず」といふ>である。

(注)檜隈女王( ひのくまのおほきみ):「?-? 奈良時代歌人。『万葉集』の高市(たけちの)皇子への挽歌(ばんか)の中に泣沢(なきさわ)神社をうらんだ反歌1首がみえる。高市皇子の縁者とおもわれる。天平(てんぴょう)9年(737)には従四位上をさずけられている。」(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

(注)後皇子尊:高市皇子草壁皇子尊に対して「後皇子尊」という。(伊藤脚注)

歌の解説案内板

 

 一九九歌ならびに反歌二首も併せてみてみよう。

 

■一九九歌■

◆挂文 忌之伎鴨 <一云 由遊志計礼抒母> 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能 天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 背友乃國之 真木立 不破山越而 狛劔 和射見我原乃 行宮尓 安母理座而 天下 治賜 <一云 掃賜而> 食國乎 定賜等 鶏之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而 千磐破 人乎和為跡 不奉仕 國乎治跡 <一云 掃部等> 皇子随 任賜者 大御身尓 大刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻▼ 吹響流 小角乃音母 <一云 笛之音波> 敵見有 虎可▼2吼登 諸人之 恊流麻▼尓 <一云 聞或麻▼> 指擧有 幡之靡者 冬木成 春去来者 野毎 著而有火之 <一云 冬木成 春野焼火乃> 風之共 靡如久 取持流 弓波受乃驟 三雪落 冬乃林尓<[一云 由布乃林> 飃可毛 伊巻渡等 念麻▼ 聞之恐久 <一云 諸人 見或麻▼尓> 引放 箭之繁計久 大雪乃 乱而来礼 <一云 霰成 曽知余里久礼婆> 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相競端尓 <一云 朝霜之 消者消言尓 打蝉等 安良蘇布波之尓> 渡會乃 齋宮従 神風尓 伊吹或之 天雲乎 日之目毛不令見 常闇尓 覆賜而 定之 水穂之國乎 神随 太敷座而 八隅知之 吾大王之 天下 申賜者 萬代尓 然之毛将有登 <一云 如是毛安良無等> 木綿花乃 榮時尓 吾大王 皇子之御門乎 <一云 刺竹 皇子御門乎> 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 白妙乃 麻衣著 埴安乃 門之原尓 赤根刺 日之盡 鹿自物 伊波比伏管 烏玉能 暮尓至者 大殿乎 振放見乍 鶉成 伊波比廻 雖侍候 佐母良比不得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未不盡者 言左敝久 百濟之原従 神葬 々伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文

      (柿本人麻呂 巻二 一九九)

 ▼は、「亻に弖」⇒「麻▼」=「まで」  

 ▼2は、「口偏にリ」⇒「虎可▼2吼登」=「虎か吼(ほ)ゆると」

 

≪書き下し≫かけまくも ゆゆしきかも <一には「ゆゆしけれども」といふ> 言はまくも あやに畏(かしこ)き 明日香の 真神(まかみ)の原に ひさかたの 天(あま)つ御門(みかど)を 畏くも 定めたまひて 神(かむ)さぶと 磐隠(いはがく)ります やすみしし 我(わ)が大君の きこしめす 背面(そもと)の国の 真木(まき)立つ 不破山(ふはやま)超えて 高麗剣(こまつるぎ) 和射見(わざも)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)りいまして 天(あめ)の下(した) 治めたまひ <一には「掃ひたまひて」といふ> 食(を)す国を 定めたまふと 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 御軍士(みいくさ)を 召したまひて ちはやぶる 人を和(やは)せと 奉(まつ)ろはぬ 国を治めと <一には「掃へと」といふ> 皇子(みこ)ながら 任(よさ)したまへば 大御身(おほみみ)に 大刀(たち)取り佩(は)かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士(みいくさ)を 率(あども)ひたまひ 整(ととのふ)ふる 鼓(つづみ)の音は 雷(いかづち)の 声(こゑ)と聞くまで 吹き鳴(な)せる 小角(くだ)の音も <一には「笛の音は」といふ> 敵(あた)見たる 虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の おびゆるまでに <一には「聞き惑ふまで」といふ> ささげたる 旗(はた)の靡(なび)きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の <一には「冬こもり 春野焼く火の」といふ> 風の共(むた) 靡(なび)くがごとく 取り持てる 弓弭(ゆはず)の騒き み雪降る 冬の林に <一には「木綿の林」といふ> つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの畏(かしこ)く <一には「諸人の 見惑ふまでに」といふ> 引き放つ 矢の繁(しげ)けく 大雪の 乱れて来(きた)れ <一には「霰なす そちより来れば」といふ> まつろはず 立ち向(むか)ひしも 露霜(つゆしも)の 消(け)なば消(け)ぬべく 行く鳥の 争ふはしに <一には「朝霜の 消なば消とふに うつせみと 争ふはしに」といふ> 渡会(わたらひ)の 斎(いつ)きの宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き惑(まと)はし 天雲(あまくも)を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆(おほ)ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を 神(かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして やすみしし 我(わ)が大君の 天の下 奏(まを)したまへば 万代(よろづよ)に しかしもあらむと <一には「かくしもあらむと」といふ> 木綿花(ゆふばな)の 栄ゆる時に 我(わ)が大君 皇子(みこ)の御門(みかど)を <一には「刺す竹の 皇子の御門を」といふ> 神宮(かむにや)に 装(よそ)ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲(しろたへ)の 麻衣(あさごろも)着て 埴安(はにやす)の 御門の原に あかねさす 日のことごと 鹿(しし)じもの い匍(は)ひ伏しつつ ぬばたまの 夕(ゆうへ)になれば 大殿(おほとの)を 振り放(さ)け見つつ 鶉(うづら)なす い匍(は)ひ廻(もとほ)り 侍(さもら)へど 侍ひえねば 春鳥(はるとり)の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば 言(こと)さへく 百済(くだら)の原ゆ 神葬(かむはぶ)り 葬りいまして あさもよし 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 高く奉(まつり)りて 神(かむ)ながら 鎮(しづ)まりましぬ しかれども 我(わ)が大君の 万代(よろづよ)と 思ほしめして 作らしし 香具山(かぐやま)の宮 万代に 過ぎむと思へや 天(あめ)のごと 振り放(さ)け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏(かしこ)くあれども

 

(訳)心にかけて思うのも憚(はばか)り多いことだ。<憚り多いことであるけれども、>ましてや口にかけて申すのも恐れ多い、明日香の真神(まかみ)の原に神聖な御殿を畏(かしこ)くもお定めになって天の下を統治され、今は神として天の岩戸にお隠れ遊ばしておられる我が天皇(すめらみこと)(天武)が、お治めになる北の国の真木生い茂る美濃(みの)不破山を越えて、高麗剣和射見(わざみ)が原の行宮(かりみや)に神々しくもお出ましになって、天の下を治められ<掃(はら)浄(きよ)められて>国中をお鎮めになろうとして、鶏が鳴く東の国々の軍勢を召し集められて、荒れ狂う者どもを鎮めよ、従わぬ国を治めよと<掃い浄めよと>、皇子であられるがゆえにお任せになったので、わが皇子は成り代わられた尊い御身に太刀(たち)を佩(は)かれ、尊い御手(おんて)に弓をかざして軍勢を統率されたが、その軍勢を叱咤(しった)する鼓の音は雷(いかずち)の声かと聞きまごうばかり、吹き鳴らす小角笛(つのぶえ)の音<笛の音は>も敵に真向かう虎がほえるかと人びとが怯(おび)えるばかりで<聞きまどうばかり>、兵士(つわもの)どもが捧(ささ)げ持つ旗の靡くありさまは、春至るや野という野に燃え立つ野火が<冬明けて春の野を焼く火の>風にあおられて靡くさまさながらで、取りかざす弓弭(ゆはず)のどよめきは、雪降り積もる冬の林<まっしろな木綿(ゆう)の林>に旋風(つむじかぜ)が渦巻き渡るかと思うほどに<誰しもが見まごうほどに>恐ろしく、引き放つ矢の夥(おびただ)しさといえば大雪の降り乱れるように飛んでくるので<霰(あられ)のように矢が集まってくるので>、ずっと従わず抵抗した者どもも、死ぬなら死ねと命惜しまず先を争って刃向かってきたその折しも<死ぬなら死ねというばかりに命がけで争うその折りしも>、度会(わたらい)に斎(いつ)き奉(まつ)る伊勢の神宮(かむみや)から吹き起こった神風で敵を迷わせ、その風の呼ぶ天雲で敵を日の目も見せず真っ暗に覆い隠して、このようにして平定成った瑞穂(みずほ)の神の国、この尊き国を、我が天皇(すめらみこと)(天武・持統)は神のままにご統治遊ばされ、我が大君(高市)は天の下のことを奏上なされたので、いついつまでもそのようにあるだろうと<かくのごとくであるだろうと>、まさに木綿花のようにめでたく栄えていた折も折、我が大君(高市)その皇子の御殿を<刺し出る竹のごとき皇の御殿を>御霊殿(みたまや)としてお飾り申し、召し使われていた宮人たちも真っ白な麻の喪服を着て、埴安の御殿の広場に、昼は日がな一日、鹿でもないのに腹這(はらば)い伏し、薄暗い夕方になると、大殿を振り仰ぎ見ながら鶉(うずら)のように這いまわって、御霊殿にお仕え申しあげるけれども、何のかいもないので、春鳥のむせび鳴くように泣いていると、その吐息(といき)もまだ消えやらぬのに、その悲しみもまだ果てやらぬのに、百済(くだら)の原を通って神として葬り参らせ、城上(きのえ)の殯宮(あらき)を永遠の御殿として高々と営み申し、ここに我が大君はおんみずから神としてお鎮まりになってしまわれた。しかしながら、我が大君が千代万代(よろずよ)にと思し召して造られた香具山の宮、この宮はいついつまでも消えてなくなることなどあるはずがない。天(あま)つ空(ぞら)を仰ぎ見るように振り仰ぎながら、深く深く心に懸けてお偲びしてゆこう。恐れ多いことではあるけれども。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち 動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(学研)

(注)まかみがはら【真神原】:現在の奈良県明日香村飛鳥の中央部にあった原野をさす古代地名。《万葉集》に,〈大口の真神の原〉とうたわれているから,かつては真神すなわちオオカミのすむような原野と意識されていたらしい。(後略)(コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

(注)天つ御門:清御原宮に対する神話的表現。(伊藤脚注)

(注)神さぶ:今は神として天上におられる。(伊藤脚注)

(注)背面(そとも)の国:北の国。近江のかなた美濃の国。(伊藤脚注)

(注の注)そとも 名詞:【背面】(山の)北側。北。日光を受ける側の背面、日の当たらない方。◇上代語。[反対語] 影面(かげとも)。(学研)

(注)不破山:不破関址の西伊増峠あたりか。(伊藤脚注)

(注)こまつるぎ【高麗剣】分類枕詞:高麗(こま)伝来の剣は、柄頭(つかがしら)に輪があるところから、輪と同音の「わ」にかかる。(学研)

(注)あんぐう【行宮】名詞:天皇の旅行の際、その地に一時的に設けられる御所。行在所(あんざいしよ)。(学研)伊藤氏は「行宮」を「かりみや」と読まれている。

(注)天降り:アマオリの約。天武の行幸を神話的にいったもの。(伊藤脚注)

(注)とりがなく【鳥が鳴く・鶏が鳴く】分類枕詞:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。(学研)

(注)おほみみ【大御身】名詞:天皇のおからだ。 ※「おほみ」は接頭語。(学研)

(注の注)おほみ-【大御】接頭語」主として神・天皇に関する語に付いて、最大級の尊敬を表す。 ⇒参考 尊敬の意を表す「おほ」と「み」を重ねた語。(学研)

(注)くだのふえ【管の笛/小角】古代の軍楽器の一。大角(はらのふえ)とともに戦場で用いた、管の形をした小さい笛。くだ。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。 ※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)「そち」は未詳。「さち(矢)」か。(伊藤脚注)

(注の注)さち【幸】名詞:①(山海の)獲物をとるための道具。弓矢・釣り針の類にいう。②漁や狩りで獲物があること。また、その獲物。③幸福。しあわせ。(学研)ここでは①の意

(注)まつろふ【服ふ・順ふ】自動詞:服従する。つき従う。仕える。 ⇒参考 動詞「まつ(奉)る」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」が付いた「まつらふ」の変化した語。貢ぎ物を献上し続けるの意から。(学研)

(注)定めてし:このようにして平定の成った。(伊藤脚注)

(注)木綿花の:「栄ゆ」の枕詞(伊藤脚注)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。「ことさへく韓の」 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)

 

 短歌二首と「或る書の反歌1首」をみてみよう。

 

■二〇〇歌■

◆久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨

       (柿本人麻呂 巻二 二〇〇)

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)知らしぬる君(きみ)故(ゆゑ)に日月(ひつき)も知らず恋ひわたるかも

 

(訳)ひさかたの天(あめ)をお治めになってしまわれたわが君ゆゑに、日月の経つのも知らず、われらはただひたすらお慕い申しあげている。(同上)

(注)日月も知らず恋ひわたるかも:死後やや時を経ているので、以下の表現がある。(伊藤脚注)

 

 

■二〇一歌■

◆埴安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑

       (柿本人麻呂 巻二 二〇一)

 

≪書き下し≫埴安(はみやす)の池の堤(つつみ)の隠(こも)り沼(ぬ)のゆくへを知らに舎人(とねり)は惑(まと)ふ

 

(訳)埴安の池、堤に囲まれた流れ口もないその隠(こも)り沼(ぬ)のように、行く先の処そ方もわからぬまま、皇子の舎人たちはただ途方に暮れている。(同上)

(注)こもりぬ【隠り沼】名詞:茂った草などに覆われて隠れて、よく見えない沼。うっとうしいものとしていうこともある。(学研)

(注)上三句は嘱目の序。「ゆくへを知らに」にかかる。(伊藤脚注)

(注)ゆくへを知らに:どうしてよいかあてどもなくて。ニは打消のヌの連用形。(伊藤脚注)

 

 

橿原市HP「かしはら探訪ナビ」によると、「畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)は、『哭澤の神社』(なきさわのもり)とも言います。祭神の哭澤女神(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると国生みの最後の段階で、伊邪那美神(いざなみのかみ)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生み亡くなったのを、父の伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。

神殿はなく玉垣で囲んだ空井戸をご神体とし、境内には末社の八幡(はちまん)神社が鎮座しています。

桧隈女王(ひのくまのおおきみ)が、『哭澤の 神社(もり)に神酒据(みわす)ゑ 祈れども 我が大君は 高日(たかひ)知らしぬ』と詠んだと言われる万葉歌碑が境内にあります。」と書かれている。

 

 神社名碑には「畝」でなく「畞」の字が使われている。


畞尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)名碑と鳥居

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市パンフレット)

★「橿原市HP」