万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2426)―

■はんのき■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

歌は、「いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(高市黒人) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「高市連黒人歌二首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が歌二首>である。

 

◆去来兒等 倭部早 白菅乃 真野乃榛原 手折而将歸

       (高市黒人 巻三 二八〇)

 

≪書き下し≫いざ子ども大和(やまと)へ早く白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)手折(たお)りて行かむ

 

(訳)さあ皆の者よ、大和へ早く帰ろう。白菅の生い茂る真野の、この榛(あんのき)の林の小枝を手折って行こう。(同上)

(注)いざこども…:「さあ、諸君。」 ※「子ども」は従者や舟子、場に居合わせた者らをさす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典+加筆)

(注)しらすげの【白菅の】分類枕詞:白菅(=草の名)の名所であることから地名「真野(まの)」にかかる。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その788)」で、二七九歌ならびに題詞「黒人妻答歌一首」<黒人が妻(め)の答ふる歌一首>の二八一歌、さらに「白菅の真野の榛原」を詠んだ一三五四歌を紹介している。

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 「いざこども」と詠いだす歌は集中に四首収録されている。他の三首をみてみよう。

 

■巻一 六三歌■憶良が唐で詠んだこの歌が、「日本人が外国で詠んだ最初の歌」である。

題詞は、「山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌」<山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)、大唐(だいたう)に在る時に、本郷(ほんがう)を憶(おも)ひて作る歌>である。

(注)ほんがう【本郷】:①その人の生まれた土地。故郷。②ある郷の一部で、最初に開けた土地。③郡司の庁、また、郷役所のあった場所。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは①の意

 

去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武

      (山上憶良 巻一 六三)

 

≪書き下し≫いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴(おほとも)の御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ

 

(訳)さあ者どもよ、早く日の本の国、日本(やまと)へ帰ろう。大伴(おおとも)の御津の浜辺の松も、われらを待ち焦がれていることであろう。(同上)

(注)こども【子供・子等】名詞:①(幼い)子供たち。▽自分の子にも、他人の子にもいう。②(自分より)若い人たちや、目下の者たちに、親しみをこめて呼びかける語。 ⇒参考:「ども」は複数を表す接尾語。現代語の「子供」は単数を表すが、中世以前に単数を表す例はほとんど見られない。(学研)ここでは②の意

(注)御津:難波津。遣唐使の発着した港。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1959)」で紹介している。

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■巻六 九五七歌■

標題は、「冬十一月大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時馬駐于香椎浦各述作懐歌」<冬の十一月に、大宰(だざい)の官人等(たち)、香椎(かしい)の廟(みや)を拝(をろが)みまつること訖(をは)りて、退(まか)り帰る時に、馬を香椎の浦に駐(とど)めて、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌>である。

 

題詞は、「帥大伴卿歌一首」<帥大伴卿が歌一首>である。

 

去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六

       (大伴旅人 巻六 九五七) 

 

≪書き下し≫いざ子ども香椎(かしひ)の潟(かた)に白栲(しろたへ)の袖(そで)さへ濡(ぬ)れて朝菜(あさな)摘みてむ

 

(訳)さあ皆の者、この香椎の干潟で、袖の濡れるのも忘れて、朝餉(あさげ)の藻を摘もうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より

(注)白妙の、以下の表現は、朝菜を採る海人娘子を見ているからであろう。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その873)」で紹介している。

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■巻二十 四四八七歌■

題詞は、「天平寶字元年十一月十八日於内裏肆宴歌二首」<天平宝字(てんびやうほじ)元年の十一月の十八日に、内裏(うち)にして肆宴(とよのあかり)したまふ歌二首>である。

 

◆伊射子等毛 多波和射奈世曽 天地能 加多米之久尓曽 夜麻登之麻祢波

       (藤原仲麻呂 巻二十 四四八七)

 

≪書き下し≫いざ子どもたはわざなせそ天地(あめつち)の堅(かた)めし国ぞ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)皆々の者よ、狂(たわ)けた振舞いだけはして下さるな。天地の神々が造り固めた国なのだ。この大和島根は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)こども【子供・子等】名詞:①(幼い)子供たち。▽自分の子にも、他人の子にもいう。②(自分より)若い人たちや、目下の者たちに、親しみをこめて呼びかける語。 ⇒参考 「ども」は複数を表す接尾語。現代語の「子供」は単数を表すが、中世以前に単数を表す例はほとんど見られない。(学研) ここでは②の意

(注)たはる【戯る・狂る】自動詞:①みだらな行為をする。色恋におぼれる。②ふざける。たわむれる。③くだけた態度をとる。(学研)

(注の注)たはわざ:橘奈良麻呂の反乱を背景にして言った語。

 (注)やまとしまね【大和島根】名詞:①「やまとしま」に同じ。②日本国の別名。(学研)

 

 「第一等の権勢を手にした者のいかにも誇らかな歌・・・『いざ子ども』は目下の者、部下たちなどに親しく呼びかける語で、肆宴の場でいかにも仲麻呂の思い上がったことばである。」(「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 學燈社

 

 この歌については、四四八六歌と共に、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1011)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 學燈社

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉