万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2196)―岐阜県(1)養老町―

養老町

岐阜県養老町養老公園 元正天皇行幸遺跡万葉歌碑(巻二十 四四三七)■

岐阜県養老町養老公園 元正天皇行幸遺跡万葉歌碑(元正天皇)   
20221019撮影        

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「先太上天皇御製霍公鳥歌一首  日本根子高瑞日清足姫天皇也」<先太上天皇(さきのおほきすめらみこと)の御製、霍公鳥(ほととぎす)の歌一首  日本根子高瑞日清足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめ)なり>である。

(注)先太上天皇:ここでは元正天皇のこと。(伊藤脚注)

 

◆冨等登藝須 奈保毛奈賀那牟 母等都比等 可氣都ゝ母等奈 安乎祢之奈久母

       (元正天皇 巻二十 四四三七)

 

≪書き下し≫ほととぎすなほも鳴かなむ本(もと)つ人かけつつもとな我(あ)を音(ね)し泣くも

 

(訳)時鳥(ほととぎす)よ、どうせ鳴くならもっと鳴くがよい。お前は、亡き人、その人の名をむやみに呼んだりして、やたら私を泣かせるよ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)本つ人かけつつもとな我を音し泣くも:お前は亡き人の名をむやみに呼んだりして私をやたらと泣かせる。父草壁、弟文武、母元明が時の元正天皇にとっての亡き人。(伊藤脚(注)もとつひと【元つ人】名詞:昔なじみの人。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1937)」で紹介している。2022年12月8日、元正天皇奈保山西陵と母である元明天皇の東陵を訪れた時の写真も掲載している。

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岐阜県養老町養老公園 元正天皇行幸遺跡万葉歌碑(巻六 一〇三五)■

岐阜県養老町養老公園 元正天皇行幸遺跡万葉歌碑(大伴家持) 20221019撮影

 上述の写真「元正天皇行幸遺跡」碑の背面にこの歌が刻されている。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大伴宿祢家持作歌一首」<大伴宿禰家持が作る歌一首>である。    

 

◆田跡河之 瀧乎清美香 従古 官仕兼 多藝乃野之上尓

       (大伴家持 巻六 一〇三五)

 

≪書き下し≫田跡川(たどかわ)の滝を清みかいにしへゆ宮仕(みやつか)へけむ多芸(たぎ)の野の上(へ)に 

 

(訳)田跡川(たどかわ)の滝が清らかなので、遠く古い時代からこうして宮仕えしてきたのであろうか。ここ多芸の野の上で。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より) 

(注)田跡川:養老川。養老の滝に発し揖斐川に注ぐ。(伊藤脚注)

(注)みやづかふ【宮仕ふ】自動詞:①宮殿の造営に奉仕する。②宮中や貴人に奉公する。(学研)

 

 「田跡河の滝(たどがはのたぎ)」については、犬養 孝著「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」(平凡社ライブラリー)のなかで、「近鉄養老線養老駅の西、多度山中の養老滝で、養老川の源流付近はいま養老公園となる。」と書かれている。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1938)」で紹介している。

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岐阜県養老町養老公園 万葉歌碑(大伴家持・大伴東人)

岐阜県養老町養老公園 万葉歌碑(大伴家持・大伴東人) 20221025撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「美濃國多藝行宮大伴宿禰東人作歌一首」<美濃(みの)の國の多芸(たぎ)の行宮(かりみや)にして、大伴宿禰東人(おほとものくねあづまひと)が作る歌一首>

(注)多芸(たぎ)の行宮(かりみや):岐阜県養老郡養老町付近か。(伊藤脚注)

 

◆従古 人之言来流 老人之  變若云水曽 名尓負瀧之瀬

       (大伴東人 巻六 一〇三四)

 

≪書き下し≫いにしへゆ人の言ひ来(け)る老人(おいひと)のをつといふ水ぞ名に負ふ滝の瀬 

 

(訳)遠く古い時代から人が言い伝えて来た、老人の若返るという神聖な水であるぞ、名にし負うこの滝の瀬は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)をつ【復つ】自動詞:元に戻る。若返る。(学研)

 

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感想(0件)

 家持の歌(一〇三五歌)は、上述「元正天皇行幸遺跡」碑の背面の歌と同じなので省略させていただきます。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1940)」で紹介している。

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岐阜県養老町養老公園 養老神社万葉歌碑(巻三 三五一、三三六)■

岐阜県養老町養老公園 養老神社万葉歌碑(沙弥満誓) 20221019撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「沙弥満誓詠綿歌一首  造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也」<沙弥満誓(さみまんぜい)、綿(わた)を詠(よ)む歌一首  造筑紫觀音寺別当、俗姓は笠朝臣麻呂なり>

(注)べったう【別当】名詞:①朝廷の特殊な役所である、検非違使庁(けびいしちよう)・蔵人所(くろうどどころ)・絵所・作物所(つくもどころ)などの長官。②院・親王家・摂関家大臣家などで、政所(まんどころ)の長官。③東大寺興福寺法隆寺などの大寺で、寺務を総括する最高責任者。 ※もと、本官のある者が別の職を兼務する意。「べたう」とも。(学研)

 

 

◆世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如

        (沙弥満誓 巻三 三五一)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)を何(なに)に譬(たと)へむ朝開(あさびら)き漕(こ)ぎ去(い)にし船の跡なきごとし

 

(訳)世の中、これをいかなる物に譬えたらよいだろうか。それは、朝早く港を漕ぎ出て消え去って行った船の、その跡方が何もないようなものなのだ。(同上)

(注)あさびらき【朝開き】名詞:船が朝になって漕(こ)ぎ出すこと。朝の船出。(学研)

 

もう一首もみてみよう。

 

◆白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者伎袮杼 暖所見

       (沙弥満誓 巻三 三三六)

 

≪書き下し≫しらぬひ筑紫(つくし)の綿(わた)は身に付けていまだは着(き)ねど暖(あたた)けく見ゆ

 

(訳)しらぬひ筑紫、この地に産する綿は、まだ肌身に付けて着たことはありませんが、いかにも暖かそうで見事なものです。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。(学研)

(注)筑紫も捨てたものではないと私見を述べている。

 

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1939)」で紹介している。

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岐阜県養老町養老公園 滝前広場「続日本紀等銘文碑」(巻六 一〇三四、一〇三五)■

岐阜県養老町養老公園 滝前広場「続日本紀等銘文碑」(大伴家持・大伴東人) 
20221025撮影

●この「続日本紀等銘文碑」に刻されている歌は、上述の「養老公園 万葉歌碑(大伴家持・大伴東人)」と同じなので省略させていただきます。

 


岐阜県養老町養老公園 「養老美泉辨碑」(巻六 一〇三四、一〇三五)■

岐阜県養老町養老公園 「養老美泉辨碑」(大伴家持・大伴東人)

●この「養老美泉辨碑」に刻されている歌は、上述の「養老公園 万葉歌碑(大伴家持・大伴東人)」と同じなので省略させていただきます。

 

一〇三四、一〇三五歌ならびに「続日本紀等銘文碑」、「養老美泉辨碑」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1041,1042)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 




 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」