万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その66改)―井寺池農道脇―万葉集 巻七 一〇九二

●歌は、「鳴神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも」である。

 

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奈良県桜井市井寺池東側の農道脇万葉歌碑(柿本人麻呂

●この歌碑は、井寺池から少し離れた農道脇にある。 

 

●歌をみていこう。 

 

◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨

               (柿本人麻呂 巻七 一〇九二)

 

≪書き下し≫鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも

(訳)噂にだけ聞いていた纏向の檜原の山、その山を、今日この目ではっきり見た。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)なるかみ【鳴る神】:かみなり。雷鳴。

    「かみなり」は「神鳴り」。「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から

    出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことがわかる。

 

 当時、巻向の檜原の山と言えば、誰一人知らないものはいないほどであったのだろう。雷鳴のような評判を聞いているとの歌いだしが物語っている。

 

 題詞は「詠山」である。

 一〇九四の歌の左注に「右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出」とある。

 他の二首も見てみよう。

 

◆三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜

               (柿本人麻呂 巻七 一〇九三)

 

≪書き下し≫みもろのその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継(つ)ぎのよろしも

(訳)三輪山のその山並(やまなみ)にあって、いとしい子が手をまくという名の巻向山は、並び具合がたいへんに好ましい。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神野語座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など、特に、「三輪山(みわやま)にいうこともある。また、神坐や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」の中で、「山の辺の道を歩くひとびとは、巻向の珠城宮の故地、珠城山古墳のあたりから、三輪山(みもろ山)と、巻向山の山裾が、交叉しているようすを眺めて、(中略)あまりにもなごやかな山のならび具合に、この歌のこころを味あうだろう」と述べておられる。機会を作って見てみたいものである。

 

 

◆我衣 色取染 味酒 三室山 黄葉為在

               (柿本人麻呂 巻七 一〇九四)

 

≪書き下し≫我が衣ににほひぬべくも味酒(うまさけ)三室(みむろ)の山は黄葉(もみち)しにけり

(訳)私の着物が美しく染まってしまうほどに、三輪の山は見事に黄葉している。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)ぬべし 分類連語:①〔「べし」が推量の意の場合〕きっと…だろう。…てしまうにちがいない。②〔「べし」が可能の意の場合〕…できるはずである。…できそうだ。③〔「べし」が意志の意の場合〕…てしまうつもりである。きっと…しよう。…てしまおう。④〔「べし」が当然・義務の意の場合〕…てしまわなければならない。どうしても…なければならない。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「ぬ」の終止形+推量の助動詞「べし」(学研)

 

 

 農道と言っても、登り坂になっている。歌碑は坂を上り切った平坦なところにあると思いきや、坂の途中の草むらの中にあった。急いで登っていたので危うく見落すところであった。

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急な坂道の農道

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「weblio古語辞書」

 

※20210802朝食関連記事削除、一部改訂