万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1785)―橿原市南浦町 天香山神社―万葉集巻十 一八一二

●歌は、「ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも」である。

橿原市南浦町 天香山神社万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、橿原市南浦町 天香山神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

部立は「春雜歌」、巻十の巻頭歌である。

 

◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一二)

※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも                           

 

(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その73改)」で紹介している。

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歌の解説案内板

 巻頭歌群(一八一二から一八一八歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その73改)」でふれているが、改めてみてみよう。

 

■一八一三歌■

◆巻向之 檜原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一三)

 

≪書き下し≫巻向(まきむく)の檜原(ひはら)に立てる春霞(はるかすみ)おほにし思はばなづみ來(こ)めやも

 

(訳)この巻向の檜原にぼんやりと立ち込めている春霞、その春霞のように、この地をなおざりに思うのであったら、何で歩きにくい道をこんなに苦労してまでやって来るものか。(同上)

(注)上三句は序。「おほに」を起こす。

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。※「おぼなり」とも。上代語。(学研)

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

■一八一四歌■

◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏▼ 春者来良之

     (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一四)

   ※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞(かすみ)たなびく春は来(き)ぬらし

 

(訳)遠く古い世の人が植えて育てたという、この杉木立の枝に霞がたなびいている。たしかにもう春はやってきたらしい。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その693)」で紹介している。

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■一八一五歌■

◆一八一五 子等我手乎 巻向山丹 春去者 木葉凌而 霞霏▼

   ※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一五)

 

≪書き下し≫子らが手を巻向山(まきむくやま)に春されば木(こ)の葉しのぎて霞たなびく

 

(訳)あの子の手をまくという名の巻向山、その山に春がやって来たので、木々の葉を押し伏せるようにして霞がたなびいている・(同上)

(注)こらがてを【児等が手を】:[枕]妻や恋人の腕を巻く(=枕にする)の意から、「巻く」と同音の部分を含む地名「巻向山(まきむくやま)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

■一八一六歌■

◆玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏▼

      (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一六)

※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫玉かぎる夕(ゆふ)さり来(く)ればさつ人(ひと)の弓月が岳に霞たなびく

 

(訳)玉がほのかに輝くような薄明りの夕暮れになると、猟人(さつひと)の弓、その弓の名を負う弓月が岳に、いっぱい霞がたなびいている。(同上)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)さつひとの【猟人の】分類枕詞:猟師が弓を持つことから「弓」の同音を含む地名「ゆつき」にかかる。「さつひとの弓月(ゆつき)が嶽(たけ)」 ※「さつひと」は猟師の意。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1186)」で紹介している。

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■一八一七歌■

◆今朝去而 明日香来る牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏微

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一七)

 

≪書き下し≫今朝(けさ)行(ゆ)きて明日(あす)には来(こ)ねと言ひし子か朝妻山(あさづまやま)に霞たなびく

 

(訳)今朝はひとまずお帰りになっても、今夜はまたきっと来て下さいと言ったあの子ででもあるのか、その朝妻の山に霞がたなびいている。(同上)

(注)明日:今夜の意。日没から一日が始まるという考えによる。

(注)朝妻山:奈良県御所市、金剛山の東麓。(伊藤脚注)

 

 

■一八一八歌■

◆子等名丹 關之宣 朝妻之 片山木之尓 霞多奈引

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一八)

 

≪書き下し≫子らが名に懸(か)けのよろしき朝妻(あさづま)の片山崖(かたやまきし)に霞たなびく

 

(訳)あの子の名に懸けて呼ぶにふさわしい朝妻山の、その片山の崖に霞がたなびいている。

(注)片山崖:平野部の方にだけ傾斜面を持つ端山。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出」である。

 

 一八一五歌の巻向山については次の様に書かれている。

「まきむくやま【巻向山】:奈良県桜井市の北部,三輪山の北東にある山。標高567m。〈纏向山〉とも書く。2峰からなり,《万葉集》に詠まれる弓月ヶ嶽(ゆつきがたけ)(由槻ヶ嶽)はこの一峰にあてられる。またこの付近の山を含めて巻向山とよぶ。西麓は垂仁天皇の纏向珠城(たまき)宮,景行天皇の纏向日代(ひしろ)宮が置かれたと推定される地。付近には山辺(やまのべ)の道が通り,巻向山に発し南西流して初瀬(はせ)川に注ぐ巻向川とともに古来,歌に詠まれている。」(コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

 

 天の香具山の歌碑を訪ねたあと、山沿いの道を天香山神社へと向かう。途中、二上山が遠望できた。白い雲波を下に漂わせ、高山の連峰の雰囲気である。

二上山遠望

 やがて鳥居が見えて来る。以前来た時と変わっていない。時が止まっているような感じである。人の姿も見えない。

天香山神社拝殿

 歌碑を撮影し、社殿に向かい深々と頭を下げる。

 神々しさに包まれる。

境内

 鳥居から出ると現実に戻った感が。山道を急ぐ。駐車場の側の畑の蓮の実も撮影。

蓮畑

 次の目的地古池に向かう。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉