●歌は、「ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも(柿本人麻呂歌集 10-1812)」である。
【天の香具山】
「柿本人麻呂歌集(巻十‐一八一二)(歌は省略) 香具山は、畝傍山や耳成山が平野の中にぽっかりと孤立しているのとはちがって、多武峰の山つづきの端山が、西北でぐっと低くなって、そのまた端山が平野になだらかにつき出たような位置にある。だから三山の中でここだけはゆったりと横にふしたような形だ。・・・古くからこの山によせる古代大和人の、神聖と畏敬とまた親愛の気持がさせるわざともいえる。(作者未詳 巻七‐一〇九六)(歌は省略)の歌など、『天(あめ)』香具山によせる、郷土の万葉人たちの実感であったであろう。三山の妻争やいろいろの伝説がこの山をめぐって伝わり、『万葉集』中、三山の中ではいちばん多くの歌(畝傍三、耳成六、香具山一三)がのこされているのも古代のこのあたりの人々の敬慕のしるしといわねばならない。こんにち、南麓の南浦には天岩戸神社が、北麓の北浦には天香山(あまのかぐやま)神社がのこされ、平和な農村生活と深く結びついている実景をみると、山をめぐる古代民話の実態も探れるような気がする。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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一八一二歌をみていこう。
■巻十 一八一二歌■
部立は「春雜歌」、巻十の巻頭歌である。
◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下
(柿本人麻呂歌集 巻十 一八一二)
※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。
≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも
(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)天の香具山:大和の中心をなす聖山。この山に霞がたなびくことで大和への春到来を認識したもの。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1785)」で天香山神社の万葉歌碑とともに紹介している。
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続いて一〇九六歌をみてみよう。
■巻七 一〇九六歌■
◆昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山
(作者未詳 巻七 一〇九六)
≪書き下し≫いにしへのことは知らぬを我(わ)れ見ても久しくなりぬ天(あめ)の香具山(かぐやま)
(訳)過ぎ去った遠い時代のことはわからないけれども、私が見はじめてからでも、もうずいぶんのあいだ、変わることもなく神々(こうごう)しく聳(そび)えている。天の香具山は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)を 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。まれに体言に付く。:①〔逆接の確定条件〕…のに。…けれども。②〔順接の確定条件〕…ので。…から。③〔単純接続〕…と。…ところ。…が。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意
(注)我見ても:私が見始めてからも・(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1788)」で、橿原市明日香村小山 紀寺跡<明日香庭球場>万葉歌碑ならびに「天の香具山」、「香具山」と詠まれた歌は十三首とともに紹介している。
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同著巻末の「万葉全地名の解説」の「天(あめ)の香具山(かぐやま)」には、「『古事記』に『阿米能迦具夜麻(あめのかぐやま)』とあって『天』は『アメ』とよむ。この山だけ『天(あめ)の』を冠らせるのは、古代、天から降って来た神聖な山として仰がれていたためである。『伊予風土記』逸文にその伝説がある。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」