●歌は、「草枕旅の宿りに誰が夫か国忘れたる家待たまくに(柿本人麻呂 3-426)」である。
【人麻呂塚】
「(柿本人麻呂 巻三‐四二六)(歌は省略) 香具山のほとりにあった行きだおれの死人を見て、・・・人麻呂が哀悼をそそいだ歌である。その人麻呂もまた後年石見(島根県)に客死して、『自分の死をも知らないで妻はさぞ帰りを待っていることだろう』と、わが身におそってきた運命をうたっている(巻二‐二二三)」「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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四二六歌ならびに二二三歌をみてみよう。
■巻三 四二六歌■
題詞は、「柿本朝臣人麻呂見香具山屍悲慟作歌一首」<柿本朝臣人麻呂。見香具山の屍(しかばね)を見て、悲慟(かな)しびて作る歌一首>である。
◆草枕 羈宿尓 誰嬬可 國忘有 家待真國
(柿本人麻呂 巻三 四二六)
≪書き下し≫草枕旅の宿(やど)りに誰(た)が夫(つま)か国忘れたる家待たまくに
(訳)草を枕のこの旅先の宿りで、いったいどなたの夫なのであろうか、故郷へ帰るもの忘れて臥せっているのは。家の妻たちは帰りをひたすら待っているのであろうに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)やどり【宿り】名詞:①旅先で泊まること。宿泊。宿泊所。宿所。宿。②住まい。住居。特に、仮の住居にいうことが多い。③一時的にとどまること。また、その場所。 ⇒参考:「宿り」は、住居をさす「やど」「すみか」とは異なり、旅先の・仮のの意を含んでいる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)国忘れ:死んで横たわっていることをいう。「国」は故郷。(伊藤脚注)
(注)家:家人。マクはムにク語法。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1786)」で紹介している。
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■巻二 二二三歌■
題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。
◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有
(柿本人麻呂 巻二 二二三)
≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ
(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(同上)
(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。(伊藤脚注)
(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(学研)
(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意
(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」人麻呂の終焉地をめぐる話題にもふれながら紹介している。
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「人麻呂の墓は諸国にあり、大和にも天理市櫟本(いちのもと)と北葛城郡新庄町と二か所あって、たしかなことはわからない。・・・和爾下(わにした)神社の鳥居があり、そこから一五〇メートルほどゆくと左側に柿本寺址と人麻呂塚がある。・・・人麻呂塚は1メートルほどの盛土の小塚で、平安末に藤原清輔がここにきて墓標をたてたのを、享保年間再興したのが小塚の傍らの歌塚の碑である。・・・歌塚のすぐ東の小山に式内和爾下神社(治道(はるみち)宮)があって、柿本氏と同族の春日・和爾・櫟井・布留臣らの祖神天押足彦(あめのおしたらしひこ)命をまつっている。・・・新庄の柿本神社にも墓(宝暦建碑)があり付近に柿本の小字の村がある。」(同著)
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当時、「歌塚」については調査不足で撮影ができていなかった。機会をとらえて再挑戦したいものである。
【柿本寺址と人麻呂塚】
【和爾下神社】
【新庄の柿本神社】
柿本神社については、人麻呂歌集の「略体」の典型と言われる歌「春楊葛山發雲立座妹念」(各句二字ずつ、全体では十字)の歌碑とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」