―その25の1―
●歌は、「春日なる三笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく」である
●歌碑は、高の原駅とバス停の間の植込みの中に設置されている。通勤やウォーキングで20年ほどこの側を何度行き来したことか。まったく気が付かなかった。今回の奈良市HP「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」でその存在を初めて知ったのである。
●歌をみていこう。
題詞は、「旋頭歌」である。
◆春日在 三笠乃山尓 月母出奴可母 佐紀山尓 開有櫻之 花乃可見
{作者未詳 巻十 一八八七)
≪書き下し≫春日(かすが)にある御笠(みかさ)の山に月も出(い)でぬかも佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく
(訳)東の方春日に聳(そび)える御笠の山に早く月が出てくれないものか。西の方佐紀山に咲いている桜の花がよく見えるように。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)
旋頭歌としてもう一首が、この歌に続いて一八八八にあるのでみてみよう。
◆白雪之(しらゆきの) 常敷冬者(つねしくふゆは) 過去家良霜(すぎにけらしも) 春霞(はるかすみ) 田菜引野邊之(たなびくのへに) 鸎鳴焉(うぐひすなくも)
(作者未詳 巻十 一八八八)
(訳)白雪がいつも降り積もっていた冬は、もう過ぎ去ったらしい。 春霞のたなびく野辺の鴬が鳴きしきっている。(同上)
―その25の2―
●歌は、「秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「長皇子與志貴皇子於佐紀宮俱宴歌」<長皇子(ながのみこ)、志貴皇子(しきのみこ)と佐紀(さき)の宮(みや)にしてともに宴(うたげ)する歌>である。
◆秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍
(長皇子 巻一 八四)
≪書き下し≫秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上(うへ)
(訳)秋になったら、今もわれらが見ているように、妻に恋い焦がれて雄鹿がしきりに泣いてほしいと思う山です。あの高野原の上は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
左注は、「右一首長皇子」 とある。
この歌は、万葉集巻一の締めの歌である。
長皇子は天武天皇の第四皇子、弓削皇子の兄。志貴皇子は天智天皇の第七皇子である。
題詞にあるように、佐紀に長皇子の宮があった。平城京の北側一帯は台地である。佐紀にある孝謙天皇陵は高野陵と称されることから、この一帯の台地を含めて高野原と言われていたのではないかと思われる。
高の原駅周辺は、京都府と奈良県の県境がある。平城京から平安京、平安京から平城京へと自由に地理的移動ができる。
駅周辺を紹介してみる。
高の原駅前のイオンの中に「京都府と奈良県の県境」の標識がある。
また、高の原駅の歩道橋を朱雀方面に進むと左側手に公園がありコンビニの前を左手に進みむと団地内の遊歩道上にも県境の標識がある。
高の原駅は、朝夕特急が止まる。また構内は4車線になっているので、電車の行き来を見ていると楽しいのである。
(参考文献)
★「萬葉集」鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」(奈良市HP)
※朝食関連記事削除、一部改訂