万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1827)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(39)―万葉集 巻三 三三〇

●歌は、「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(39)万葉歌碑(大伴四綱)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君

      (大伴四綱 巻三 三三〇)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

 

(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ

 

三二九、三三〇歌の題詞は、「防人司佑大伴四綱歌二首」<防人司佑(さきもりのつかさのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)が歌二首>である。

 

三二九、三三〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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 前稿までで各巻の巻頭歌について紹介してきたが本稿から各巻の巻末歌をみてみよう。

 

■■巻末歌 巻一~四■

■巻一 八四歌■

題詞は、「長皇子與志貴皇子於佐紀宮俱宴歌」<長皇子(ながのみこ)、志貴皇子(しきのみこ)と佐紀(さき)の宮(みや)にしてともに宴(うたげ)する歌>である。

(注)佐紀の宮:長皇子の邸宅。大極殿の北方にあった。(伊藤脚注)

 

◆秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍

       (長皇子 巻一 八四)

 

≪書き下し≫秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上(うへ)

 

(訳)秋になったら、今もわれらが見ているように、妻に恋い焦がれて雄鹿がしきりに泣いてほしいと思う山です。あの高野原の上は。(同上)

(注)今も見るごと:鹿の鳴く絵を見ての表現。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首長皇子」<右の一首は長皇子>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その25の2改)」で紹介している。

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■巻二 二三四歌■

三笠山 野邊従遊久道 己伎太久母 荒尓計類鴨 久尓有名國

       (笠金村 巻二 二三四)

 

≪書き下し≫御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒にけるかも久(ひさ)にあらなくに

 

(訳)御笠山、この野辺を通る宮道(みやじ)は、こんなにもひどく荒れてしまいました。あの方が亡くなってからまだ時はいくらも経っていないのに。(同上)

(注)荒にけるかも:荒れ果ててしまった。カモは詠嘆。(伊藤脚注)

 

 二三〇から二三四歌の歌群の題詞は、「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊亀元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴親王(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)霊亀元年:715年

(注)志貴親王天智天皇の子。奈良期には皇子を親王、皇女を内親王と記す。(伊藤脚注)

 

二三〇から二三四歌の歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」で紹介している。

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■巻三 四八三歌■

◆朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無

       (高橋朝臣 巻三 四八三)

 

≪書き下し≫朝鳥(あさとり)の哭(ね)のみし泣かむ我妹子(わぎもこ)に今またさらに逢ふよしをなみ

 

(訳)これから先、朝鳥のようにただ声をあげて泣き暮らして行くことになろう。いとしいの子にもう二度と逢う手立てもなくて。(同上)

 

 

 四八一(長歌)ならびに四八二歌をみてみよう。

題詞は、「悲傷死妻高橋朝臣作歌一首 幷短歌」<死にし妻を悲傷(かな)しびて、高橋朝臣(たかはしのあそみ)が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不果 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆<會> 腋<挾> 兒乃泣<毎> 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念

 

[訓読]白栲の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ

 

衣の袖をさし交わして寄り添い寝たこの黒髪がまっ白になってしまうまで、二人の仲はいつも新しい気持ちでいようね、けっして仲を絶やすまいね、お前よと、誓い合った約束は果たさず、そう思い決めていた気持ちは遂げずに、交わしあった私の袖口を振り切って、慣れ親しんだ家をもあとにして、幼い子の泣くのも置きざりにして、朝霧のように姿もほのかになりながら、山背の相楽山の山あいに行き隠れてしまったので、何といってよいのやら、何をしてよいのやら、わけもわからぬままに、いとしい子と睦まじく寝た寝屋にいて、朝になると外に立って偲び、夕になると中にうずくまって嘆き続け、脇にかかえる幼な子が泣くたびに、男だというのに、負ぶったり抱いたりしてあやし、果てには朝鳥のように声をあげてただ泣きくれながら、あの子に恋い焦がれるけれど、何の効もないままに、物を言わない山ではあるけれど、あのいとしい子が籠ってしまった山、その山を、せめてもの形見と思い続けている。

 

 

◆打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟

       (高橋朝臣 巻三 四八二)

 

≪書き下し≫うつせみの世のことにあれば外(よそ)に見し山をや今はよすかと思はむ

 

(訳)はかないこの世の定めなのであるから、これまではゆかりのないものを見ていたこの山なのに、今はあの子の形見と思わねばならぬというのか。(同上)

(注)世のこと:世の道理。世の定め。(伊藤脚注)

(注)よすが【縁・因・便】名詞①頼り。ゆかり。身や心を寄せる所。②(頼りとする)縁者。夫・妻・子など。③手がかり。手段。便宜。 ※上代は「よすか」。(学研)ここでは①の意。

 

左注は、「右三首七月廿日高橋朝臣作歌也 名字未審 但云奉膳之男子焉」<右の三首は、七月の二十日に、高橋朝臣が作る歌なり。名字(な)いまだ審(つばひ)らかにあらず。ただし、奉膳(かしはで)の男子(をのこ)といふ。

(注)高橋朝臣:誰ともわからない。「高橋朝臣」は代々天皇の膳部を掌る家柄。(伊藤脚注)

(注)奉膳の男子:奉膳の息子の意か。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻四 七九二歌■

七九一、七九二歌の題詞は、「藤原朝臣久須麻呂来報歌二首」<藤原朝臣久須麻呂(ふじはらのあそみくずまろ)来報(こた)ふる歌二首>である。

(注)藤原久須麻呂:仲麻呂の次男。天平宝字八年(764年)刑死。家持の女婿になったらしい。(伊藤脚注)

(注の注)天平宝字八年:恵美押勝の乱

 

◆春雨乎 待常二師有四 吾屋戸之 若木乃梅毛 未含有

       (藤原久須麻呂 巻四 七九二)

 

≪書き下し≫春雨(はるさめ)を待つとにしあらし我(わ)がやどの若木(わかき)の梅もいまだふふめり

 

(訳)春の若木は春雨の降るのを待つもののようです。わが家の梅の若木もいまなおつぼんだままです。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 ※七八六歌「春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若(わか)みかも<春の雨はいよいよしきりに降り続くのに、梅の花がまだ咲かないのは、よほど木が若いからでしょうか>」を承けた歌。「春の雨はいやしき降る」とは、藤原久須麻呂が大伴家持の娘に誘いかけていることをいう。

(注)ふふむ【含む】:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。

 

 七九一歌もみてみよう。

◆奥山之 磐影尓生流 菅根乃 懃吾毛 不相念有哉

      (藤原久須麻呂 巻四 七九一)

 

≪書き下し≫奥山の岩蔭(いはかげ)に生(お)ふる菅(すが)の根のねもころ我れも相思(あひおも)はざれや

 

(訳)奥山の岩陰にひっそり生えている菅の根のように、私だって、心の底からねんごろに思っていないことがあるものですか。

(注)上三句は序。「ねもころ」を起す。(伊藤脚注)

(注)ねもころ【懇】副詞:心をこめて。熱心に。「ねもごろ」とも。 ※「ねんごろ」の古い形。(学研)

 

 

 七八六~七八八歌の題詞は、「大伴宿祢家持報贈藤原朝臣久須麻呂歌三首」<大伴宿禰家持、藤原朝臣久須麻呂に報(こた)へ贈る歌三首>と題詞「又家持贈藤原朝臣久須麻呂歌二首」<また、家持、藤原朝臣久須麻呂に贈る歌二首>(七八九、七九〇歌)に対して藤原朝臣久須麻呂が家持の女婿になることの意思表示をおこなった歌と思われる。

 家持の娘については不詳である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会