万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1828)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(40)―万葉集 巻七 一二五〇

●歌は、「妹がため菅の実摘みに行きし我れ山道に惑ひこの日暮らしつ」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(40)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(40)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一二五〇)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まど)ひこの日暮しつ

 

(訳)故郷で待ついとしい人のために山菅の実を摘みに出かけた私は、山道に迷いこんで、とうとうこの一日を山で過ごしてしまった。(同上)

 

「菅(すが)」と詠んだ歌は、この一首だけで、他の十三首は、「山菅(やますげ)」である。「やますげ」が現在の植物の何に相当するか諸説がある。ジャノヒゲかヤブラン、もしくはスゲといわれており、水辺や野で詠われたものはスゲ、山辺では、ジャノヒゲかヤブランが』有力とされている。秋にはジャノヒゲは紫、ヤブランは黒い実をつける。

 

左注は、「右四首柿本朝臣人麻呂之歌集出」<右の四首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ>である。                         

 

 この歌ならびに一二四七から一二四九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その711)」で紹介している。

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 今回の巻末歌は、巻五から巻八である。みてみよう。

 

■■巻末歌 巻五~八■

■巻五 九〇六歌■

  九〇四~九〇六歌の題詞は、「戀男子名古日歌三首 長一首短二首」<男子(をのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌三首 長一首短二首>である。

 

◆布施於吉弖 吾波許比能武 阿射無加受 多太尓率去弖 阿麻治思良之米

      (山上憶良 巻五 九〇六)

 

≪書き下し≫布施(うせ)置きて我(あ)れは祈(こ)ひ禱(の)むあざむかず直(ただ)に率行(ゐゆ)きて天道(あまぢ)知らしめ

 

(訳)布施を捧げて私はひたすらお願い申し上げます。あらぬ方(かた)に誘わずにまっすぐに連れて行って、天への道を教えてやって下さい。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)布施:三宝に施与する金品。歌に少ない字音語の一つ。

(注)あまぢ【天路・天道】名詞:①天上への道。②天上にある道。(学研)

(注の注)前歌の「黄泉」(下方)と言い、ここで「天道」(上方)と言ったのは、亡き子がいずれにいっても不備ないようにはからったもの。

 

左注は、「右一首作者未詳 但以裁歌之體似於山上之操載此次焉」<右の一首は、作者未詳。 ただし、裁歌(さいか)の体(たい)、山上(やまのうえの)の操(さう)に似たるをもちて、この次(つぎて)に載(の)す。

(注)「右の一首」は、九〇六歌をさす。

(注の注)この左注は、追補者が入手した、憶良作と伝える九〇四~九〇六の最後の一首だけに、憶良の詠とはしない異伝があったことによる注。 

(注の注)作風が憶良の趣に似ているので資料の順序のまま載せた、の意。

 

 

 九〇四(長歌)、九〇五(反歌)もみてみよう。

 

◆世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼婆 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等ゝ奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃尓 尓布敷可尓 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸ゝ 可多知都久保里 朝ゝ 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣吉 手尓持流 安我古登婆之都 世間之道

      (山上憶良 巻五 九〇四)

 

≪書き下し≫世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も 我(わ)れは何せむ 我(わ)が中(なか)の 生(うま)れ出(い)でたる 白玉(しらたま)の 我(あ)が子古日(ふるひ)は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷栲の 床(とこ)の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆふへ)になれば いざ寝(ね)よと 手をたづさはり 父母(ちちはは)も うへはなさかりり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人と成(な)り出(い)でて 悪(あ)しけくも 良けくも見むと 大船(おおぶね)の 思ひ頼むに 思はぬに 横しま風のに にふふかに 覆(おほ)ひ来れば 為(な)むすべの たどきを知らに 白栲(しろたへ)の たすきを懸(か)け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み 国つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈(こ)ひ禱 (の)めど しましくも 良(よ)けくはなしに やくやくに かたちくつほり 朝(あさ)な朝(さ)な 言ふことやみ たまきはる 命(いのち)絶えぬれ 立ち躍(をど)り 足(あし)すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世の中の道

 

(訳)世間の人が貴び願う七種の宝、そんなものも私にとっては何になろうぞ。われわれ夫婦の間の、願いに願ってようやくうまれてきてくれた白玉のような幼な子古日は、明星の輝く朝になると、寝床のあたりを離れず、立つにつけ座るにつけ、まつわりついてはしゃぎ回り、夕星の出る夕方になると、「さあ寝よう」と手に縋(すが)りつき、「父さんも母さんもそばを離れないでね。ぼく、まん中に寝る」と、かわいらしくもそいつが言うので、早く一人前になってほしい、良きにつけ悪しきにつけそのさまを見たいと楽しみにしていたのに、思いがけず、横ざまのつれない突風がいきなり吹きかかって来たものだから、どうしてよいのか手だてもかわらず、白い襷(たすき)を懸け、鏡を手に持ちかざして、仰いで天の神に祈り、伏して地の神を拝み、治して下さるのも、せめてこのままで生かして下さるのも、神様の思(おぼ)し召(め)しのままですと、ただうろうろと取り乱しながら、ひたすらお祈りしたけれども、ほんの片時も持ち直すことはなく、だんだんと顔かたちがぐったりし、日ごとに物も言わなくなり、とうとう息が絶えてしまったので、思わず跳(と)びあがり、地団駄(じだんだ)踏んで泣き叫び、伏して仰ぎつ、胸を叩(たた)いて嘆きくどいた、だが、そのかいもなく、この手に握りしめていた我が幼な子を飛ばしてしまった。ああ、これが世の中を生きていくということなのか。(同上)

(注)七種の宝>しちほう【七宝】: 仏教で、7種の宝。無量寿経では金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)。法華経では金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰(まいかい)。七種(ななくさ)の宝。七珍。しっぽう。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しらたま【白玉・白珠】名詞:白色の美しい玉。また、真珠。愛人や愛児をたとえていうこともある。(学研)

(注)あかほしの【明星の】分類枕詞:「明星」が明け方に出ることから「明く」に、また、それと同音の「飽く」にかかる。(学研)

(注)ゆふつづの【長庚の・夕星の】分類枕詞:「ゆふつづ」が、夕方、西の空に見えることから「夕べ」にかかる。また、「ゆふつづ」が時期によって、明けの明星として東に見え、宵の明星として西の空に見えるところから「か行きかく行き」にかかる。(学研)

(注)うへはなさかり:そばを離れないで、の意か。

(注)さきくさの【三枝の】分類枕詞:「三枝(さきくさ)」は枝などが三つに分かれるところから「三(み)つ」、また「中(なか)」にかかる。「さきくさの三つ葉」(学研)

(注)し【其】代名詞〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕:①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研)ここでは②の意

(注)横しま風:子に取りついた病魔のことか。

(注)にふふかに;俄かに、の意か。

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

(注)あざる【戯る・狂る】自動詞:取り乱して動き回る。(学研)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)やくやく【漸漸】[副]:《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かたちつくほり:「かたち」は顔かたち。「つくほり」はしぼんで勢いがなくなる意か。

 

 

 

◆和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世

        (山上憶良 巻五 九〇五)

 

≪書き下し≫若ければ道行(ゆ)き知らじ賄(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負ひて通らせ

 

(訳)まだ年端(としは)もゆかないので、どう行ったらよいのかわかりますまい。贈り物は何でも致しましょう。黄泉(よみ)の使いよ、どうか背負って行ってやって下さい。(同上)

(注)賄(まひ):便宜を乞うて予め贈る礼物。

(注)したへ【下方】名詞:死後に行く世界。あの世。黄泉(よみ)の国。 ※死後の世界は地下にあるという考えから。(学研)

 

 この歌群について、伊藤 博氏は、脚注において「署名はないが、憶良帰京後の作らしい。ただし後人追補の歌」と書かれ、「古日は、憶良の知人の子で一人子らしい。」とも書かれている。

 

 万葉集には、恋歌が多いが、子供のことをこのように愛しく思って詠っているのは珍しい。

 

 この歌群については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1224)」で紹介している。

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■巻六 一〇六七歌■

◆濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱

      (田辺福麻呂 巻六 一〇六七)

 

≪書き下し≫浜清み浦うるはしみ神代(かみよ)より千舟(ちふね)の泊(は)つる大和太(おほわだ)の浜(はま)

 

(訳)浜は清らかで、浦も立派なので、遠い神代の時から舟という舟が寄って来て泊まった大和太(おおわだ)の浜なのだ、ここは。(同上)

 

  一〇六五~一〇六七歌の題詞は、「過敏馬浦時作歌一首并短歌」<敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に作る歌一首并せて短歌>である。

 

 一〇六五(長歌)と一〇六六歌(反歌)をみてみよう。

 

◆八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱

        (田辺福麻呂 巻六 一〇六五)

 

≪書き下し≫八千桙(やちほこ)の 神の御世(みよ)より 百舟(ものふね)の 泊(は)つる泊(とまり)と 八島国(やしまくに) 百舟人(ももふなびと)の 定(さだ)めてし 敏馬(にぬめ)の浦は 朝風(あさかぜ)に 浦浪騒(さわ)き 夕波(ゆふなみ)に 玉藻(たまも)は来寄る 白(しら)真砂(まなご) 清き浜辺(はまへ)は 行き帰り 見れども飽(あ)かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継(つ)ぎ 偲(しの)ひけらしき 百代(ももよ)経(へ)て 偲(しの)はえゆかむ 清き白浜

 

(訳)国造りの神、八千桙の神の御代以来、多くの舟の泊まる港であると、この大八島の国の国中の舟人が定めてきた敏馬の浦、この浦には、朝風に浦波が立ち騒ぎ、夕波に玉藻が寄って来る。白砂の清らかな浜辺は、行きつ戻りついくら見ても見飽きることはない。さればこそ、見る人の誰しもが、この浦の美しさを口々に語り伝え、賞(め)で偲んだのであるらしい。百代ののちまでも長く久しく、いとしまれてゆくにちがいない。この清らかな白砂の浜辺は。(同上)

(注)やちほこのかみ【八千矛神】:大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)白真砂(読み)シラマナゴ:白いまさご。白砂。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)うべし【宜し】副詞:いかにももっとも。なるほど。 ※「し」は強意の副助詞。(学研)

(注)けらし 助動詞特殊型:《接続》活用語の連用形に付く。①〔過去の事柄の根拠に基づく推定〕…たらしい。…たようだ。②〔過去の詠嘆〕…たのだなあ。…たなあ。 ➡参考:(1)過去の助動詞「けり」の連体形「ける」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の変化した語。(2)②は近世の擬古文に見られる。(学研)

 

 

◆真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國

       (田辺福麻呂 巻六 一〇六六)

 

≪書き下し≫まそ鏡敏馬(みぬめ)の浦は百舟(ももふね)の過ぎて行くべき浜ならなくに

 

(訳)よく映る鏡を見るというその敏馬の浦は、ここを通る舟という舟が素通りして行くことのできるような浜ではないのに。(同上)

 

 

 この歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その565)」で紹介している。

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■巻七 一四一七歌■

題詞は、「羈旅歌」<羈旅の歌>である。

(注)羈旅の歌:旅中の歌。巻末に追補された歌であろう。(伊藤脚注)

 

◆名兒乃海乎 朝榜来者 海中尓 鹿子曽鳴成 ▼怜其水手

       (作者未詳 巻七 一四一七)

  ▼は、「りっしんべん」に「可」である。 「▼怜」=「あはれ」

 

≪書き下し≫名児(なご)の海を朝漕(こ)ぎ来(く)れば海中(わたなか)に鹿子(かこ)ぞ鳴くなるあはれその鹿子

 

(訳)名児の海を朝方漕いでやって来ると、海のまっただ中で鹿子(かこ)が鳴いている。ああいとおしいその鹿子よ。(同上)

(注)名児の海:一一五三歌に「住吉の名児の浜辺・・・」、一一五五歌に「名児の海」とあるが、所在未詳。(伊藤脚注)

(注)かこ【鹿子】:《「かご」とも》シカ。また、シカの子。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)鹿は海を渡ってでも妻どいすると考えられた。「鹿子」は鹿の愛称。(伊藤脚注)

 

 

■巻八 一六六三歌■

題詞は、「大伴宿祢家持歌一首」<大伴宿禰家持が歌一首>である。

 

◆沫雪乃 庭尓零敷 寒夜乎 手枕不纒 一香聞将宿

       (大伴家持 巻八 一六六三)

 

≪書き下し≫沫雪(あわゆき)の庭に降り敷き寒き夜(よ)を手枕(たまくら)まかずひとりかも寝(ね)む

 

(訳)泡雪が庭にしきりに降り敷いて肌寒い夜、こんな夜を、あの子と手枕も交わさず、ただ独りで寝なければならぬというのか。(同上)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会