万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1829)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(41)―万葉集 巻七 一三三七

●歌は、「たらちねの母がその業る桑すらに願えば衣に着るといふものを」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(41)万葉歌碑(作者未詳)



●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(41)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎

        (作者未詳 巻七 一三五七)

 

≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。

 

(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)母の反対がゆえにかなえられない恋を嘆く女心を詠っている。

 

 この歌については、絹にまつわる歌とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1052)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 本稿では、巻九から巻十二の巻末歌をみてみよう。

 

■■巻末歌 巻九~十二■■

■巻九 一八一〇歌■

◆墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壮士尓之 依家良信母

       (高橋虫麻呂 巻九 一八一〇)

 

≪書き下し≫墓の上(うへ)の木(こ)の枝(え)靡(なび)けり聞きしごと茅渟壮士(ちむをとこ)にし寄りにけらしも

 

(訳)墓の上の木の枝がそちらに向いて靡いている。話に聞いたとおり、娘子は茅渟壮士に心を寄せていたらしい。(同上)

(注)聞きしごと:伝え聞く話のとおり、娘子の本心は。(伊藤脚注)

 

 

一八〇九(長歌)から一八一一歌の題詞は、「見菟原處女墓歌一首幷短歌」<菟原娘子(うなひをとめ)が墓を見る歌一首 幷せて短歌>」である。

 

 長歌をみてみよう。

 

◆葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壮士 宇奈比壮士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壮士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原壮士伊 仰天 ▼於良妣 ▽地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬尉蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 壮士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨  

      (高橋虫麻呂 巻九 一八〇九)

 ▼は「口へん+リ」=さけび

 ▽は「足へん+昆」=ふむ

 

≪書き下し≫葦屋(あしのや)の 菟原娘子の 八年子(やとせご)の 片(かた)生(お)ひの時ゆ 小放(をばな)り 髪たくまでに 並び居(を)る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 隠(こも)りて居(を)せば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問(と)ふ時 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) 菟原(うなひ)壮士(をとこ)の 伏屋(ふせや)焚(た)き すすし競(きほ)ひ 相(あひ)よばひ しける時は 焼太刀(やきたち)の 手(た)かみ押(お)しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負(お)ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向(むか)ひ 競(きほ)ひし時に 我妹子(わぎもこ)が 母に語らくしつたまき いやしき我(わ)がゆゑ ますらをの 争(あらそ)ふ見れば 生(い)けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉(よみ)に待たむと 隠(こも)り沼(ぬ)の 下延(したは)へ置きて うち嘆き 妹が去(い)ぬれば 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) その夜(よ)夢(いめ)見 とり続(つつ)き 追ひ行きければ 後(おく)れたる 菟原(うなひ)壮士(をとこ)い 天(あめ)仰(あふ)ぎ 叫びおらび 地(つち)を踏(ふ)み きかみたけびて もころ男(を)に 負けてはあらじと 懸(か)け佩(は)きの 小太刀(をだち)取り佩(は)き ところづら 尋(と)め行きければ 親族(うから)どち い行き集(つど)ひ 長き代(よ)に 標(しるし)にせむと 遠き代に 語り継(つ)がむと 娘子墓(をとめはか) 中(なか)に造り置き 壮士墓(をとこはか) このもかのもに 造り置ける 故縁(ゆゑよし)聞きて 知らねども 新喪(にひも)のごとも 哭(ね)泣きつるかも

 

(訳)葦屋の菟原娘子(うないおとめ)が、八つばかりのまだ幼い時分から、振り分け髪を櫛上(くしあ)げて束ねる年頃まで、隣近所の人にさえ姿を見せず、家(うち)にこもりっきりでいたので、一目見たいとやきもきして、まるで垣根のように取り囲んで男たちが妻どいした時、中でも茅渟壮士(ちぬおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)とが、最後までわれこそはとはやりにはやって互いに負けじと妻どいに来たが、その時には、焼き鍛えた太刀(たち)の柄(つか)を握りしめ、白木の弓や靫(ゆき)を背負って、娘子のためなら水の中火の中も辞せずと必死に争ったものだが、その時に、いとしいその子が母にうち明けたことには、「物の数でもない私のようなもののために、立派な男(お)の子が張り合っているのを見ると、たとえ生きていたとしても添い遂げられるはずはありません。いっそ黄泉の国でお待ちしましょう」と、本心を心の底に秘めたまま、嘆きながらこの子が行ってしまったところ、茅渟壮士はその夜夢に見、すぐさまあとを追って行ってしまったので、後れをとった菟原壮士は、天を仰いで叫びわめき、地団駄踏んで歯ぎしりし、あんな奴に負けてなるかと、肩掛けの太刀を身に着け、あの世まで追いかけて行ってしまった。それで、この人たちは身内の者が寄り集まって、行く末かけての記念にしようと、遠いのちの世まで語り継いでゆこうと、娘子の墓を真ん中に造り、壮士の墓を左と右に造って残したというその謂(い)われを聞いて、遠い世のゆかりもな人のことではあるが、今亡くなった身内の喪のように、大声をあげて泣いてしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かたおひ【片生ひ】名詞:まだ十分に成長していないこと。また、その年ごろ。 ※「かた」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はなり【放り】:少女の、振り分けに垂らしたまま束ねない髪。また、その髪形の少女。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)たく【綰く】他動詞:髪をかき上げて束ねる。(学研)

(注)うつゆふの【虚木綿の】「こもり」、「真狭(まさき)」、「まさき国」、「こもる」にかかる枕詞(weblio辞書 Wiktionary日本語版)

(注)てしか 終助詞:《接続》活用語の連用形に付く。〔自己の願望〕…したらいいなあ。…(し)たいものだ。 ※上代語。完了の助動詞「つ」の連用形に願望の終助詞「しか」が付いて一語化したもの。中古以降「てしが」。(学研)

(注の補)いぶせし 形容詞:①気が晴れない。うっとうしい。②気がかりである。③不快だ。気づまりだ。 ⇒ 参考 「いぶせし」と「いぶかし」の違い 「いぶせし」は、どうしようもなくて気が晴れない。「いぶかし」はようすがわからないので明らかにしたいという気持ちが強い。(学研)

(注)かきほ【垣穂】名詞:垣。垣根。(学研)

(注)ふせやたき【伏せ屋焚き】:「すすし」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary日本語版)

(注)すすしきほふ【すすし競ふ】自動詞:進んでせり合う。勇んで争う。(学研)

(注)手かみ押しねり:柄頭を押しひねり

(注)ゆき【靫・靱】名詞:武具の一種。細長い箱型をした、矢を携行する道具で、中に矢を差し入れて背負う。 ※中世以降は「ゆぎ」。(学研)

(注)しづたまき【倭文手纏】分類枕詞:「倭文(しづ)」で作った腕輪の意味で、粗末なものとされたところから「数にもあらぬ」「賤(いや)しき」にかかる。 ※上代は「しつたまき」。(学研)

(注)ししくしろ【肉串ろ】:「熟睡(うまい)」、「黄泉(よみ)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary日本語版)

(注)こもりぬの【隠り沼の】分類枕詞:「隠(こも)り沼(ぬ)」は茂った草の下にあって見えないことから、「下(した)」にかかる。(学研)

(注)したばふ【下延ふ】自動詞:ひそかに恋い慕う。「したはふ」とも。(学研)

(注)菟原壮士いの「い」間投助詞:《接続》体言や活用語の連体形に付く。〔強調〕…こそ。とくにその。 ※上代語。 ⇒  参考主語の下に付く「い」を格助詞、副助詞「し」・係助詞「は」の上に付く「い」を副助詞とする説がある。(学研)

(注)きかみたけぶ:歯ぎしりしいきり立って

(注)もこ【婿】: 相手。仲間。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ところずら〔‐づら〕【野老葛】【一】[名]トコロの古名。【二】[枕]:① 同音の繰り返しで「常(とこ)しく」にかかる。② 芋を掘るとき、つるをたどるところから、「尋(と)め行く」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)このもかのも【此の面彼の面】分類連語:①こちら側とあちら側。②あちらこちら。そこここ。(学研)

 

 もう一首の反歌(一八一〇歌)もみてみよう。

 

◆葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣

       (高橋虫麻呂 巻九 一八一〇)

 

≪書き下し≫葦屋(あしや)の菟原娘子(うなひをとめ)の奥つ城(おくつき)を行き来(く)と見れば哭(ね)のみし泣かゆ

 

(訳)葦屋の菟原娘子のこもる奥つ城を、往き来のたびに見ると、むやみやたらと泣けてくる。(同上)

(注)ゆきく【行き来】自動詞:行ったり来たりする。往来する。(学研)

 

 

 菟原娘子に関する田辺福麻呂の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その562)」で、大伴家持のそれは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1346表②)」で紹介している。

 その562

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 その1346表②

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

■巻十 二三五〇歌■

◆足桧木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛

       (作者未詳 巻十 二三五〇)

 

≪書き下し≫あしひきの山のあらしは吹かねども君なき宵(よひ)はかねて寒しも

 

(訳)山おろしの風は吹きすさんではいないけれども、我が君がいらっしゃらない夜は、前もって肌寒く感じられてならない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かねて【予ねて】副詞:前もって。あらかじめ。(学研)

 

 

■巻十一 二八四〇歌■

◆幾多毛 不零雨故 吾背子之 三名乃幾許 瀧毛動響二

       (作者未詳 巻十一 二八四〇)

 

≪書き下し≫いくばくも降らぬ雨(あめ)ゆゑ我(わ)が背子が御名(みな)のここだく瀧もとどろに

 

(訳)いくらも降らない雨なのに、あの方のお名前がこんなにもひどく広まって、そう、まるで滝がごうごうととどろきわたるばかり。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句はいくらも逢っていない譬え。(伊藤脚注)

(注)いくばく【幾許】副詞:①どのくらい。どれほど。②〔「いくばくも」の形で下に打消の語を伴って〕いくらも。たいして。(学研)ここでは①の意

(注)ここだく【幾許】副詞:「ここだ」に同じ。 ※上代語。(学研)

(注の注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)

 

左注は、「右一首寄瀧喩思」<右の一首は、滝に寄せて思ひを喩(たと)ふ>である。

 

 

 

■巻十二 三二二〇歌■

◆豊國能 聞乃高濱 高ゝ二 君待夜等者 左夜深来

       (作者未詳 巻十二 三二二〇)

 

≪書き下し≫豊国の企救の高浜(たかはま)高々(たかたか)に君待つ夜(よ)らはさ夜更(よふ)けにけり

 

(訳)豊国の企救の高浜、高々と砂丘の続くその浜ではないが、高々と爪立(つまだ)つ思いであなたの帰りを待っているこの夜は、もうすっかり更けてしまいました。(同上)

(注)上二句は序。「高々に」を起こす。(伊藤脚注)

 

 左注は「右の二首」であり、三二一九歌と、筑紫路の羇旅発思の問答歌になっている。

 三二一九歌もみてみよう。

 

 

◆豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念

      (作者未詳 巻十二 三二一九)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の長浜(ながはま)行き暮らし日の暮れゆけば妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)豊国の企救の長浜、この長々と続く浜を日がな一日歩き続けて、日も暮れ方になってゆくので、あの子のことが思われてならない。(同上)

(注)企救:北九州市周防灘沿岸の旧郡名。

(注)ゆきくらす【行き暮らす】他動詞:日が暮れるまで歩き続ける。一日じゅう歩く。(学研)

 

 三二一九、三二二〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その880)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 Wiktionary日本語版」

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会