万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1024)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(6)―万葉集 巻十 二二〇二

●歌は、「黄葉する時になるらし月人の桂の枝の色づく見れば」である。

 

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愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(6)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(6)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆黄葉為 時尓成 月人 楓枝乃 色付見者

                (作者未詳 巻十 二二〇二)

 

≪書き下し≫黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば         

 

 (訳)木の葉の色づく時節になったらしい。お月さまの中の桂の枝が色付いてきたところを見ると。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)月人:月を人に喩えた言い方

(注)色づく:月光の冴えをいう

 

「月人」と同じような表現として「月人壮士(つきひとをとこ)」がある。

(注)つきひとをとこ【月人男・月人壮士】名詞:月。お月様。 ▽月を擬人化し、若い男に見立てていう語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

部立「秋雑歌」の「詠黄葉」に収録されている。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その532)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

古代中国の伝説に、カツラの木が月の中に生えているというのがある。それを踏まえた歌をみてみよう。

 

 題詞は、「湯原王(ゆはらのおほきみ)、娘子(をとめ)に贈る歌二首 志貴皇子の子なり」である。このうちの一首である。

 

◆目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

               (湯原王 巻四 六三二)

 

≪書き下し≫目には見て手には取らえぬ月の内の桂(かつら)のごとき妹(いも)をいかにせむ    

 

(訳)目には見えても手には取らえられない月の内の桂の木のように、手を取って引き寄せることのできないあなた、ああどうしたらよかろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いかにせむ【如何にせむ】分類連語:①どうしよう。どうしたらよいだろう。▽疑問・困惑の意を表す。②どうすることができようか(どうしようもない)。▽反語的に嘆きあきらめる意を表す。 ⇒なりたち 副詞「いかに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」(学研)

 

 

 

「月人壮子」を詠った歌をみてみよう。

 

◆天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月人壮子

               (作者未詳 巻十 二二二三)

 

≪書き下し≫天(あめ)の海に月に舟浮(う)け桂楫(かつらかぢ)懸(か)けて漕(こ)ぐ見(み)ゆ月人壮士(つきひとをとこ)

 

(訳)天(あめ)の海に月の舟を浮かべ、桂の楫(かじ)を取り付けて漕いでいる。月の若者が。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 (注)桂楫(かつらかぢ):桂で作った楫。月に桂の木があるという伝説による。

 

 

◆夕星毛 徃来天道 及何時鹿 仰而将待 月人<壮>

               (作者未詳 巻十 二〇一〇)

 

≪書き下し≫夕星(ゆふつづ)も通ふ天道(あまぢ)をいつまでか仰(あふ)ぎて待たむ月人壮士(つきひとをとこ)

 

(訳)宵の明星ももう往き来している天道、この天道を、いつまで振り仰いで彦星が川を渡るのを待っていればよいのか。月の舟の若者よ。(同上)

(注)ゆふつづ【長庚・夕星】名詞:夕方、西の空に見える金星。宵(よい)の明星(みようじよう)。 ※後に「ゆふづつ」。[反対語] 明星(あかほし)。(学研)

(注)あまぢ【天路・天道】名詞:①天上への道。②天上にある道。(学研) ここでは②の意

 

 

◆秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人壮子

              (作者未詳 巻十 二〇四三)

 

≪書き下し≫秋風の清き夕(ゆふへ)に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士(つきひとをのこ)

 

(訳)秋風がすがすがしく吹く今宵、天の川に舟を出して漕ぎ渡っている。月の若者が。(同上)

 

 

天原 徃射跡 白檀 挽而隠在 月人壮子

              (作者未詳 巻十 二〇五一)

 

≪書き下し≫天(あま)の原(はら)行きて射(い)てむと白真弓(しらまゆみ)引きて隠(こも)れる月人壮士(つきひとをとこ)

 

(訳)天の原を往き来して獲物を射止めようと、白木の弓を引き絞ったまま、山の端(は)に隠(こも)っている月の若者よ。(同上)

(訳)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】名詞:まゆみの木で作った、白木のままの弓。

しらまゆみ【白真弓・白檀弓】分類枕詞:弓を張る・引く・射ることから、同音の「はる」「ひく」「いる」などにかかる。(学研)

 

いずれも部立は、「秋雑歌」である。二二二三歌は、題詞「詠月」、二〇一〇、二〇四三、二〇五一歌は、題詞「七夕」に収録されている。このうち二〇一〇歌は、柿本人麻呂歌集の歌である。

 

 万葉の時代、はるかかなたの月や夕星に思いを馳せているのである。作者未詳ではあるが、中国の伝説などを踏まえた発想力には脱帽である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」